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[ヴァン・ダイク・パークス "ディスカヴァー・アメリカ"を勉強する] FDR in Trinidad(1)
ルーズベルトがハチドリの島へやってきた
歓迎の声がこだました
ハチドリ、ハチドリ、ハチドリ
大統領の訪問はトリニダードと米国の歴史的転換点
新時代の到来を告げた
大統領はコーデル・ハル氏を同行
ブラジルとアルゼンチンを訪問してきたばかり
彼らは平和会議に参加してきたんだ
彼の気取らないスタイルにやられ
かの有名な笑顔にも魅了されて
島の誰もがルーズベルトを大歓迎
偉大なる大統領の魅力
寛大な人格
洗練された精神に感銘を受けた
戦争と残虐行為を止めるため
民主主義のため
世界に安全をもたらすため
尊厳を迫害されている人々のため
今世紀最大のイヴェント
ポート・オブ・スペインは大統領に門戸を開き
トリニダードの民は誰もが
ルーズベルトを盛大に歓迎したのさ
ヤァ!ヤァ!ヤァ!大統領がやってきた
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第32代のアメリカ大統領、フランクリン・デラノ・ルーズベルトのトリニダード訪問がテーマになっている歌だ。
作詞・作曲はフリッツ・マクリーン(Fritz McLean)。The Atillaことアッティラ・ザ・フンが歌い、1937年にDeccaから78回転盤でリリースされた。
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当初は「Roosevelt In Trinidad」という曲名だった。同じファーストネームを持つセオドア・ルーズベルト(第26代大統領)がいるので、混同を避けるために改題したのだろうか。
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ライナーノーツには〝ディレクション〟という名義で、リトル・フィートのロウエル・ジョージがアレンジャーとしてクレジットされている。演奏メンバーは例によって詳しく分からない。ロウエルのギター、ロイ・エストラーダのベース、リッチー・ヘイワードのドラムスというリトル・フィート組の参加は間違いないだろう。
ただ、サウンドがフィートぽいか? といえばそうでもなく、当時、世界的に流行していたラテン・ロック───サンタナやエル・チカーノなどを彷彿とさせる粘り気のあるアレンジに仕上がっている。
この曲のバックトラックで存在感が際立っているのはパーカッション。さまざまな打楽器が曲全体に散りばめられている。特に印象的なのは冒頭の0'00''〜0'07''あたりの、ティンバレスのようにもトーキング・ドラムのようにも聴こえるメロディックな太鼓の音だ。
このアルバムでパーカッションを担当しているミュージシャンは、カレン・アーヴィン、ゲイリー・コールマン、ジョン・ベルガモ、ミルト・ホランドの4人(スティール・ドラム担当は除く)である。
カレン・アーヴィンは主にクラシック畑でティンパニやマリンバを得意としていた。1970年代にはアメリカで最も有名なソロパーカッショニストと見なされていた。2番目の夫と死別した80年以降、作家としてロマンス小説を7冊も出版した、という異色の経歴も。
ゲイリー・コールマンは西海岸の腕利きミュージシャン集団「レッキング・クルー」の一員として、フランク・シナトラやクインシー・ジョーンズといったマエストロのセッション、またビーチ・ボーイズ『ペット・サウンズ』をはじめとした、ロック、ソウル、ジャズの名盤に数多の演奏を残したほか、前作『ソング・サイクル』にも参加した。
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ジョン・ベルガモはタブラのようなインド系、東南アジア系のパーカッション、およびアフリカン・ドラムのオーソリティだ。もともとはジャズが出発点で、若かりし日に伝説的サマースクール「レノックス・スクール・オブ・ジャズ」に参加。
レノックス・スクール・オブ・ジャズ───モダン・ジャズ・カルテットのジョン・ルイスがマサチューセッツ州レノックスで、1957年から1960年まで主宰したジャズ教育プログラム。ディジー・ガレスピー、マックス・ローチ、ケニー・ドーハム、オスカー・ピーターソンら錚々たるジャズミュージシャンが教員として参加。若く有望な音楽家たちを指導した。
オーネット・コールマンやドン・チェリーらと机を並べ、ジョージ・ラッセルから作曲の手ほどきを受けた経歴を持つ。60年代前半はニューヨークで前衛音楽集団「クリエイティブ・アソシエイツ」に参加。1968年に西海岸へ拠点を移すと、1970年から2005年までカリフォルニア芸術大学で教鞭を執った。
ジョージ・ラッセル───マイルズ・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンスなど多くのジャズミュージシャンだけでなく、武満徹にも多大な影響を与えた音楽理論〈リディアン・クロマティック・コンセプト〉の生みの親として著名な作曲家/理論家/ピアニスト。
ベルガモの名をYoutubeで検索すると、まずヒットするのが「Amazing Solo by John Bergamo (1940-2013)」という映像である。キューバ音楽でしばしば使われる胴長のボンゴドラム「Requinto(レキント)」を右手で、左手で西アフリカのパーカッション「Sogo(ソゴ)」を叩いている。奏法はタブラのテクニックを応用しているようだ。ベルガモのプレイについては、B面4曲目(12曲目)の「Ode to Tobago」で存分に楽しめるので、後ほど詳しく書く。
ミルト・ホランドは1917年、シカゴ生まれ。幼少期から始めたドラムでプロの演奏家になったのは弱冠12歳のとき。アル・カポネが経営していたスピークイージーなどでも演奏していたという。
1941年から1946年にはCBSの専属として働き、レイモンド・スコット楽団の一員として欧州ツアーも経験している。その後、西海岸に移住。ウェスト・コースト・ジャズの盛り上げ役だった打楽器奏者のロイ・ハートと共作で、エキゾティック/スペース・エイジ風のアルバム『Perfect Percussion』(1961年)を発表する。
ロイ・ハート───1952年にリチャード・ボックと共同でパシフィック・ジャズ・レコードを創立し、ジェリー・マリガン、バド・シャンク、ポール・デスモンド、チコ・ハミルトンといった西海岸を拠点とするジャズミュージシャンのレコードを多数リリースした。
ニルソン『Pandemonium Shadow Show』』(1967年)や、キャプテン・ビーフハート&ヒズ・マジック・バンド『Safe As Milk』(1967年)に参加したあたりから、ロックやシンガー・ソングライター物のセッションにも頻繁に参加。やがて、レッキング・クルーの一員としてみなされるようになる。西海岸のさまざまなレコーディングセッションでタブラが必要になれば、彼が真っ先にスタジオに呼ばれるほどの腕前だった。
1963年からインドにたびたび渡航し、ラヴィ・シャンカールのパートナーだったタブラ奏者のシャトゥル・ラルに師事。その研究成果を書籍にまとめるなど学究肌の人でもあった。
ミルトの最も有名な演奏はシットコム『奥様は魔女』でサマンサが魔法を使う瞬間、鼻を動かす時に鳴る木琴の音、そして、ジョニ・ミッチェル「Big Yellow Taxi」(1970年)のコンガとトライアングルだろう。「Big Yellow Taxi」はビルボードの最高順位67位を記録した彼女の最初のヒットシングルだ。
ヴァン・ダイク・パークスは演奏やアレンジにこそ関わってないが、別の形でこの曲に深い縁がある。CBS-TVでソニー&シェールがホストを務めていた「The Sonny & Cher Comedy Hour」(1970〜1974年放送)内に、ディズニー出身のイギリス人アニメーター、ジョン・デイヴィッド・ウィルソンが手掛けた5分程のオリジナルアニメーションのコーナーがあり、今で言うミュージック・ビデオのような映像も流されていた。この頃、ワーナー/リプリーズの中にヴァン・ダイク・パークスのアイディアで「映像音楽サーヴィス(Audio & Visual Service)」という部署が作られ、彼もそこに籍を置いて働いていた。そして、「Big Yellow Taxi」のアニメがヴァン・ダイクのコーディネイトで制作され、1970年に番組内でオンエアされた。
映像音楽サーヴィス───ヴァン・ダイク・パークスがこの部署で手掛けた映像仕事のひとつが、キャプテン・ビーフハート&ザ・マジックバンドのアルバム『Lick My Decals Off, Baby』(1970年)の広告スポット。CFとしてあまりにも前衛的すぎる仕上がりなのだが、高い芸術性が逆に認められて、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のパーマネントコレクションとして収蔵された。
ライ・クーダーが『紫の峡谷』(1972年)で、ヴァン・ダイク・パークスより3ヶ月早くこの曲を世に出しているが、そちらのパーカッションもミルトが担当している。また、リリース時期の近いリトル・フィートの『Sailin' Shoes』(1972年)や『Dixie Chicken』(1973年)にも彼は立て続けに参加。特に『Sailin' Shoes』の1曲目「Easy to Slip」はミルトの叩くタブラが曲に不思議な浮遊感を与えている。
以上を併せ考えると、『ディスカヴァー・アメリカ』版「FDR in Trinidad」に、少なくともミルトが参加しているのは間違いないだろう。
その2に続く
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