追悼、楳図かずお先生。
もう30年くらい前の話ですが、吉祥寺で暮らしていた頃、ぼくが住んでいたマンションの近くに楳図さんの仕事場がありました。
八王子のご自宅から中央線に乗って、2つ前の武蔵境駅で電車を降り、歩いて仕事に向かうのが楳図さんのルーティーンで、仕事場の手前にある近鉄百貨店(今のヨドバシカメラ)の1階にあった小さなカフェスペースで、休憩がてらよくお茶を飲んでおられました。
メディアに出る時は笑顔をふりまいていらっしゃいましたが、そういう時の先生は少し厳しい顔つきで、心をぎゅっと締めておられるようでした。だから、たとえお見かけしても声をかけようとは思いませんでした。
ところがある日、ぼくが信号待ちをしているとき、楳図さんがいつの間にか横に立っていました。まわりに人はおらず、先生もいつになく朗らかな雰囲気を醸していたので、意を決してぼくは話しかけました。
「読者です。『14歳』本当に素晴らしかったです。ごくろうさまでした」
はっきりと覚えていませんが、『スピリッツ』で連載していた『14歳』の最終回が掲載された直後だったので、だいたいそのようなことをぼくは口にしたと思います。
楳図さんは一瞬、驚いたような表情をされましたが、すぐにっこりして「どうもありがとう、嬉しいねえ。読んでくれてたんだ」と、小さな声でおっしゃいました。
その後、二言三言やりとりしたけど、それもよく覚えていません。そして、信号は青に変わり、先生はぼくに会釈して、そのまままっすぐ歩いていき、ぼくは左方向にある自宅へ歩き出しました。
2004年に鵠沼海岸へ引っ越したので、吉祥寺にはめったに行かなくなり、楳図さんをお見かけする機会も無くなりました。
いわゆる「まことちゃんハウス」騒動も吉祥寺を去ったあとに起きた話で、ニュースを見ながら心を痛めるばかりでした。
5年前、井の頭線沿線に住んでいる妹と姪と吉祥寺で食事の約束があり、少し早めに駅に着いたぼくは、ふと思い立って「まことちゃんハウス」を見に行きました。公園の近くの静かな住宅街に佇んでいるご自宅は、心をぎゅっと締めたような顔つきでコーヒーカップを口に運んでいた楳図さんの姿と、とてもよく似ていました。
先生、たくさんのすごい作品をありがとうございました。そして、ごくろうさまでした。これからも一生、作品は読み続けていきます。