【短編小説】クリスマスプレゼント
「メリークリスマス!」
乾杯して盛り上がる自分と同じ世代の若者たち
センスのいいイルミネーションで装飾されたオシャレなバーの大きな窓からは温かいオレンジ色の光が漏れ、笑い声や賑やかな音楽が溢れ出していた
1年前の自分ならあのグループの中にいてもおかしくなかっただろう
でも、今年の俺は真逆だ
人々が浮かれ気分で酔いしれるのがあたり前とされているこの日に、俺は身も心も凍えそうになっていた
窓の中のテーブルに並ぶ、乱暴に食い散らかされた食べ物でさえ今の俺には似合わないだろう…
迷いの時間はたっぷりとあった
あとは人生を終わらせる”タイミング”を考えるのみだ
それをイブにするか、
クリスマス当日にするか、
当日までにすべてのお金を使い果たして翌日に決行するか…
もう誰かに頼るような気力もないし、年を越すつもりもない
場所についても既に下調べをし、万が一の予備の場所まで用意してある
考えず機械的に足を踏み出せば実行できる段取りは整っていた
その時、雑踏の中に数人の警官の姿が見えた
俺はさり気なく道を外れ狭い路地に身を隠す
そして、足元にいた汚ならしい何かに足を取られた
それは使い古したモップのように毛が伸びきり泥だらけになった野良犬だった
その犬は、まるでゼンマイの切れかかった玩具のようにフラフラと歩きだし、ゆっくりと俺に近寄ってくる
どうやら足に怪我をしているようで、足取りがぎこちない
来た通りの方から足早に走る靴音が聞こえた
俺はすぐに路地を抜ける予定だったが、反対側の大通りにも警官が見えたような気がしたためにそのまま少し身を潜めることにする
この年末の時期に警備が強化されているのは知っている、珍しいことではない
先程の犬が俺の足元までたどり着くと、そのまま通り過ぎて、大通りの方へフラフラと歩いて行った
明るくきらびやかな歩道に出ると、汚い野良犬は遠巻きに避けられる
その歩みは止まること無く、そのまま歩道を横切り車道へと向かう…そして犬は縁石に前足をかけた
「お、おい…!」
俺はとっさに犬の前に滑り込み、その歩みを手で静止した
その瞬間、長く伸びきったモップの毛先がブシュン!という破裂音とともに舞い上がり犬の表情が見える
俺はその匂いと鼻水の気持ち悪さに身悶えした
犬を抱きかかえてみると、寒さのせいか、小刻みに震えていることが伝わってくる
時々くしゃみをするので無理やり持っていたマスクをつけた耳にかけた紐は伸び切っている
犬は体力が無いせいか特に抵抗することなくそれを装着している
「俺がいないと、こいつは死んでしまうかもしれない…」
体温ができるだけ伝わるようにコートの中に抱えながら、俺はふとそんな風に考えていた
死のうとしている人間がおかしなことを、と思うかもしれない
しかし気にかかることをそのままにしては、それを言い訳にして死にきれないかもしれないのだ
「こいつを誰かに預けてから、死んでも遅くはない」
そんな思索の結果、俺は動物病院の前までたどり着いた
「あ、でも、いくらかかるだろう…金、足りるか?」
一瞬考えるが、すぐに思い直す
もうお金のことなどどうでも良い
少し重い動物病院の扉を開けると、そこには数匹の先客とその飼主たちが居た
整えられた髪型や着せられた人間のような装いが大事にされていることをアピールしているように見えた
受付の職員と目が合うと、俺の懐を見て顔をしかめる
周囲の飼い主たちも俺と汚い犬に気がつきサッと距離を開けた
きっとこんな汚い犬を連れてくる飼い主などいないのだろう
「あなたのワンちゃんですか?」
受付がカウンターの向こうから怪訝そうな表情で俺に訪ねてくる
そこで…そうか、と俺は気がついた
もし俺が飼い主なら「どうしてこんな状態になるまで放っておいたのか」という話の展開となり、俺は動物虐待を疑われるのかもしれない
「ち、違います…こいつはさっき見つけて、大通り沿いで、い、今にも死にそうになっていたので…それで…」としばらく人とまともに会話をしていなかったせいか、声は高く言葉もしどろもどろになる
そのせいか受付は鼻に手をあて、さらに疑うような素振りを見せた
するとそこにこの病院の獣医らしきマスクの男性がたまたま通りかかる
目が細いのか一本線でまるで黒目が見えない
「どうしたのー?」
緊張感を感じさせない人当たりの良い笑顔で彼はまっすぐ犬に向かって近づいて来た
「ああ、随分弱っているねー…あ、足も怪我している」と、手袋をした手で汚い犬に躊躇なく触診をはじめる
「処置室は空いているかなー?」
医師が犬へ目線を向けたまま奥の部屋へ大声で問いかけると「はい!大丈夫です!」と奥から顔を出した看護師が返事を返す
医師は俺の肩に軽く手を当てて奥の部屋へと促してくる
「じゃあ、ちょっとそのまま来てください、あ、マスクだけ取りますねー」
「苦しかったねー」と医師が犬へ話しかけながらマスクを外すと、それが刺激になったのか、犬は豪快なクシャミを医師へぶちまけた
犬を処置室まで運ぶと、俺は待合室へ案内されたが、その足で玄関へと向かう
先程の受付に呼び止められたが、俺は喫煙の仕草をして見せ、扉を開いたそのままお金も払わずに病院を後にした
これでいい、あの犬は誰かが何とかしてくれるだろう
思わぬ邪魔が入ったが予定通りあの場所へ行こう
俺は”タイミング”を今夜と決めた
外界の光がまったく届かない闇の中
ヘッドライトの光だけを頼りに日中下調べしておいた道を進む
そこへガサガサっと草をかき分ける音がして振り向くと光る目に驚く
そこには数匹の狸の家族がいた
きっとこの辺りを縄張りとしているのだろう
「里親が見つからなかった場合、あの犬はどうなるのだろうか…」
ふと気になって、スマホで保護動物のことを調べてみる
そこには自治体によっては最悪、保健所で殺処分になることが記されていた
あんな怪我した汚い老犬、引き取り手など見つからないに違いない…
「くそ…」
結局、俺は翌日のクリスマス当日の朝、再び動物病院を訪れる
まだ診療時間前だったこともあり、その扉は固く閉ざされていた
「俺は何がしたいんだ…」
俺は急に我に返る
そしてその場を去ろうとした時、昨日の獣医と鉢合わせになった
丁度出勤してきたタイミングだったらしい
「あ、昨日の!どうぞどうぞー!」
「いやー、急にいなくなるものですから、随分探したんですよー、あ、よかったらこれ飲んでください」
俺は再び通された待合室でまだあたたかい缶コーヒーを渡される
「ちょっと待っていてくださいねー、今連れて来ますからー」
そう言って獣医は奥から昨日の犬をゲージに入れて連れてきた
俺はその変わり様に驚く
「どうです?随分かわいくなったでしょう?」
老犬だと思っていた犬は、毛も整えられすっかり綺麗になってその若々しい姿を取り戻していた
怪我をしていた足も治療をされたようでしっかりと保護されている
それもメスだったという
犬は「ハ、ハ、ハ、ハ…」と舌を出しながらこちらをしばらくじっと見て力強くワン!と吠えた
「どうやらこの子、栄養失調で目も良く見えていなかったみたいです
たぶんあなたに助けてもらえなかったら、どうなっていたか…
この子にとってあなたは命の恩人ですよ」
医師はそう言って俺に頭を下げた
「助けていただいて、ありがとうございます」
俺が戸惑っていると医師は何やら受付のカウンターの奥からゴソゴソと何かを取り出した
「これ、クリスマスプレゼントです」
それは暖かそうな赤い靴下に包まれたポケットサイズの湯たんぽだった
「飼い主の皆様へ差し上げているものなんですけどねー、最初は予算の関係でカイロにしようと思ったんですよー、でも”使い捨て”というのが嫌でしてね…」
と医師はプレゼント選定の経緯やら医院の経営について立て続けに話し続ける
俺は医師に促されるまま、カウンター横のウォーターサーバーで湯たんぽへお湯を注ぎまた靴下に入れる
その間、ついでにというくらい自然に身分証明書まで渡してしまい、医師は簡単にメモを取るとすぐに返してくれた
そして”次の場所”へと案内される
「叔母がやっている施設なんです、角を曲がってすぐのところですので」
俺は外へ出て、うっすら積もった雪道を歩く
別にあの獣医に従う必要など無いのだが、まだあの場所へは行く気にはならなかった
降ってきた一粒の雪が目に入る
思わず目をつぶると瞼の裏にはあの犬の嬉しそうな表情が浮かんだ
あれだけ汚く震え、まともに歩けなかった犬が…すっかり綺麗になって、嬉しそうにこちらを見つめている顔が…
「とりあえず施設というのを見に行ってみるか…怪我が治ったら、里親を見つけてもらわないといけないしな…」
ポケットに手を入れると、中のある靴下がほんのりと温度を伝えてくる
動物保護施設はすぐにわかった
そして、あの医師の叔母もすぐわかる
「あー、はいはい、聞いてますよー、寒いでしょ、入って入ってー」
口調もさることながら、一本線の目元の笑顔もそっくりだ
案内図によると施設内の半分以上は動物たちが住む部屋のようだ
犬の部屋が最も広く、次いで猫やその他の小動物の部屋、
動物たちの餌などを管理する保管庫なども比較的広めだが、人のための事務室やエントランスは非常に狭い
館内には聞き慣れたクリスマスメドレーが流れており、俺は音楽に包まれながら”ふれあいコーナー”という部屋に通された
そこは普段の動物たちの部屋とは別の場所らしく、元気そうで愛嬌の溢れる何匹かの動物たちがいた
クリスマスの飾り付けがされた部屋に立てられたゲージの脇には何やらメッセージが書いてあった
”私たちは、去年のクリスマスプレゼントでした”
同じ部屋の中には里親を希望する人たちが何人がいるようだ
まるで人間の赤ん坊と接するような振る舞いで動物たちへ話しかけている
しばらくして、あの一本線の目の叔母が再び現れた
「あー、お待たせしてごめんなさいねー! 鈴木すず子です」
なんて覚えやすい名前だろうか
その後、改めて保護団体施設を案内され、さらにその流れで”里親希望者申込書”を渡される
しかし、これから死のうと考えている俺が里親になどなれるはずもなく、すぐに持ったペンが止まる
申込書の下部には以下のような”譲渡条件”が書かれていた
家族構成:
保護犬や保護猫の飼い主は通常、18歳から60歳までの方が対象となります。また、家族全員がペットの飼育に賛同していること、小さなお子様や高齢者がいる場合の対応なども確認させていただきますライフスタイル:
職業、収入、住所、転居の有無、旅行や入院時の対策、緊急時のための後見人の有無、ペットの留守番の時間や飼育環境(屋内か屋外か、散歩の回数、留守番時間)についても確認させていただきます飼育環境:
ペットが暮らす環境が適切であるか、脱走防止の対策がされているかなども確認させていただきますその他の条件:
譲渡後の定期報告義務、不妊去勢手術の義務、マイクロチップ装着の義務、終生飼養の意思などを確認させていただきます
動物を飼うことは大きな責任であり、長期的なコミットメントが必要です
これらの条件は、ペットが安全で愛情深い家庭環境に来ることを確認するためのものですのでご理解ください
…どれも今の俺とはあまりにもかけ離れた条件だった
「あなた、泥だらけの怪我したワンちゃんを病院へ連れてきてくれたんですってねー、真(まこと)が感心していたわよー、あ、真っていうのは動物病院の獣医のことね」
一本線の叔母はそう話しながら俺の隣の席へ無造作に座る
そして俺の手元の何も書かれていない申込書を少し覗き込んだ
「あれ?里親になりたくって来たのかと思ったけど、違った?」
「…俺には、無理ですよ」
うなだれる俺にすず子は言葉を続ける
「とりあえず希望だけでも出しておきなさいよー、時間が経てば状況も変わるかもしれないわよ、あなたが助けたワンちゃんの怪我も完治するには時間が必要なんだし」
「別に、俺は…」
「あ、そうだ治療費…こ、これで足りますか?」
俺は動物病院へ治療費を払っていないことを思い出し、とっさにポケットに残っていたお札を何枚か差し出した
「えーっと、うちでは受け取れないわ、後日動物病院で払ってちょうだいあ、でも治療費はうちでも一部補助できると思うからちょっと待ってて」
そう言って叔母は慌ただしく事務所へ駆け込んでいく
その時、玄関の方から何やら慌ただしい足音が近づいてきた
施設内のクリスマスメドレーは曲目が変わり
ジョン・レノンとオノ・ヨーコの「Happy Xmas (War Is Over)」が流れた
俺が一番大好きなクリスマスソングだ
12月8日のあの日も、ファーストフード店でこの曲が流れていたことを俺は思い出していた
「12月8日、昼の13時、この住所の家に行って教えた通りに受け取って来い」
俺はブランド時計欲しさに先輩からの誘いに乗って”闇バイト”に手を出した
先輩に言われるがまま手続きをした後に犯罪を自覚するものの時既に遅く、渡した身分証のコピーや個人情報が幹部へ共有され、俺は逃げ出すことができない状況となっていた
先輩に泣きついたところ、この1回だけという条件でなんとか幹部へ話を通してもらう
ただし、聞き知った情報を外部へ漏らさないこと、そして失敗は許されないことが条件として付いた
約束が守られる保証はない
今俺の手元には、ターゲットの名前と住所のメモが握られている
ふと、手の汗で書かれた文字のインクが滲んでいることに気がつく
既に現地の下見も済ませ、場所も覚えたが、万が一間違っているかもしれないと思い
俺は店内の席に備え付けられた紙ナプキンを取り、住所と名前を書き写した
約束の時間の10分前にはターゲットの家に着いたが、念のため周囲を確認して歩き回る
警察が張り込んでいる様子は無いし、やはり場所もここで間違いはない
「大丈夫、ただ機械的に”荷物”を受け取るだけだ…深く考えるな…さっと受け取って引き上げよう…それで終わりさ」
しかし、受け取りは想定以上に難航した…
やはり相手が老人のためか、通帳とカードがなかなか出てこないのだ
「そうだ、銀行に電話すれば再発行してもらえるかもしれない」などというものだから、慌てて言いくるめるのに苦労する
結局、出された茶菓子を食べきってしまうほど、時間がかかってしまった
「それでは、確かに」
そう言って、俺は通帳とカードを入れた封筒を受け取った
「若いねぇ…きっと、やり直せるよ」
「?」
老人が意味不明な言葉を言ったかと思うと、玄関や部屋のドアが勢いよく開かれ、警官が飛び込んで来た
俺はとっさにカバンも手に持った封筒も投げ出して玄関脇の窓から身を投げ出す
庭の芝生に体を打ち付けるも、すぐに起き上がり家の裏側の塀を乗り越え、道路へ飛び降りた
外にも警官がいたようだったが、逃げた方向が良かったのか、奇跡的に俺はそのままその場を逃げ切ることに成功したのだった
「ツーツーツー…」
俺は”受け子”に失敗したことを走りながら先輩へすぐに連絡した
しかし、俺が話し終わらない内にすぐにそれは切れてしまう
もしかしたら先輩の携帯の充電が無くなったのかとも思い、以前打ち合わせをした事務所にも行ってみたが、既にそこはもぬけの殻だった…
「俺は、どうしたらいいんだ…」
そこからは家にも帰れずに、なんとかネカフェなどを転々と移りながら、クリスマスの今日までなんとか逃げ続けてきたのだった
「あった、あった、これこれー」
すず子が事務室の奥から紙を持って”ふれあいコーナー”へ戻ってくる
そこで、土足の警官たちによって床に押さえつけられている俺と目があった
しばらく黙っていたと思うと、すず子はそのまま俺に近づいてきた
そして何事もなかったかのように俺の顔の前に座り、持ってきた”助成金申請書”を床に置いて説明をはじめる
「これね、ここに名前と住所を書いてね…郵送で送ってくれればいいから…」
唖然として聞いていた俺の上で「ちょっと、すみませんが…」と警官がすず子を静止した
すると、あの目が線のすず子が黒目を見開き警官に怒鳴りつけた
「その手を離しなさい!痛がっているでしょうに!もうこの子は逃げも隠れもしませんよ!立派な里親になるんですから!」
腹の底からマグマが湧き上がってきたようなその声は、とてもあの温厚なすず子と同一人物とは思えないほどの迫力があった
怒鳴られた警官も、同僚の職員も、たまたま居合わせた里親希望者たちも、動物たちまでもが皆、まるで雷が落ちたかのように驚いていた
雑居房の窓から見える寒空に今年も雪が舞い降りた
今日は特に冷える
でも体の震えとは裏腹にみんなの心は朝からワクワクしているようだ
クリスマスの特別メニューとしてチキンやケーキが出るのだからたまらないのだろう
逮捕後、俺は起訴され詐欺罪として懲役2年6ヶ月の実刑となった
検察からは逃走罪も求刑されていたが、それは免除される結果となった
先程、またあの動物保護団体のすず子から返信の封書が届いた
文面には俺が保護した犬の様子が記されており、まだ里親が見つかっていないことがわかる
印刷された書面にはいつも片隅に手書きで「ふんばれ!」と力強い文字が添えられていた
”がんばれ”じゃなくて、”ふんばれ”なのが努力をし続けていることを前提にしてもらっているようで嬉しい
だが今回は差出人が個人宅になっていた
もしかしたら、団体の名前で受刑者へ手紙を送ることが問題にでもなったのかもしれない
丁寧に手紙を封筒にしまい、他の手紙と一緒に大切に保管する
その時、俺はあることを思い出し背中に嫌な汗が流れた
もう一度封筒の差出人の住所を見る
そして、目をつぶり、額に両手を当て、よくよく思い出そうと頑張った
あの時の紙ナプキンに書き写した内容を…
やはり間違いない
”鈴木”で”この住所”は、俺が”受け子”としてチャイムを押したあの玄関に間違いない
どうやら僕の人生は2年半の刑期だけでは終わりそうもないようだ