【短編小説】ムダな時間
あらすじ
本編
フラれた…
この3ヶ月はいったい何だったんだ…
そして僕は、今夜もまたコイツと一緒にファミレスで貴重な人生の時間を浪費している
橘音子は同じ大学の学生で、お互い授業もサボり気味
いつも暇を持て余していたため週5のペースで会っていた
彼女とは高校だけは別だったが、小学生の頃からの付き合いで、大学で偶然再会した時にはとても新鮮だったことを覚えている
しかし男女の関係ではない
熊のような女性を僕は異性として見てはいなかった
「なんで?」
音子は目線をハンバーグを切る手元から離すことなく軽い相槌を打った
大食いの音子はテーブルいっぱいの料理に夢中だ
きっと僕の話などBGM程度なんだろう
「たぶん僕が悪いんだ…優柔不断でいつもヘラヘラしていて優しいだけの頼りない男、らしい…」
音子へ彼女のことを話すのはこれが初めてだった
彼女優先の生活で、ここ最近は音子と会う時間も無かったためだ
他の友人とは数ヶ月会わないことなどザラだったが、日常すぎる音子と会っていない空白は久しぶりだった
そこには開放感のようなものがあり、心のどこかで音子とは意図的に距離を置いていたのかもしれない
だから音子の方からの誘いがあっても忙しいと断っていたし、音子からその理由を聞かれることもなかった
”いつも一緒にいる”と、仲が良いこととは、イコールではないのかもしれない
「…あーね」
音子は傷つく僕を慰める様子もなく、むしろ納得したような表情で半笑いの表情をしながら今度は大盛りパスタをフォークでグルグルと巻いている
相変わらず、目線は合わない
「お前って全然共感してくれないよな…」
「そうか…?」
「もっとあるだろ? 興味を持って前のめりに”うんうん”って女の子らしく、かわいく頷いて、目線を合わせて…とかさぁ」
「……ウエッ!」
一瞬こっちを向いた音子が吐きそうになる
「あんなぁ、こうあるべきとか、女とか男とか、全部お前の思い込みだし、お前の都合だし、お前の問題なんだよ」
そう言うと音子はまたすぐに目線を落とす
今度はコーンスープを一気に口に流し込んでいた
柄が悪いようで、まじめ
頭が悪いようで、理路整然なのが音子らしい
「…だったらなんでずっと聞いてるんだよ」
言い返す言葉が見つからない僕は、思いついた疑問をそのまま口に出してしまう
「…ほら、まだ食べてるし」
そう言って音子は、フォークでコロッケ持ち上げて見せる
説教をされた僕は、追い打ちをかけられたようにさらに落ち込んだ…
彼女に対しての不満をこぼしていたさっきまでとは打って変わり、
言葉数が減って、いつの間にか店のBGMが耳に入るほど静かになった
でも、僕らにとって沈黙は珍しいことではない
すると音子は立ち上がり、僕のコップも持ってドリンクバーでおかわりを注いでくる
「ウチにできるのは聞いてやることぐらいだからなぁ…金も車も無いし」
音子は再び席に座り、腕まくりをしながら独り言のように小さくつぶやく
僕はお礼も言わずに、おかわりを一気に飲み干し、カンとテーブルに置いた
すると、音子から話しかけてくる
「ところでお前さぁ、その女からウチのこと聞いたことある?」
「ゲ! まさか知り合い…?」
僕は瞬間、彼女への文句や愚痴を音子へぶちまけたことを寒気がするほど後悔した
「あー、高校んときの同級生
まぁ、そんなに親しくしてた訳じゃないけど」
音子はそんな大げさなことじゃないという手振りをしながらも、食事の手は止めない
「そうなんだ…」
僕は少し安心すると同時に、彼女の高校時代に興味が湧いた
「…彼女ってさ、高校の時からモテた?」
「んー、そんなイメージはなかったなぁ…なんか男にすっごい尽くしてた」
「んで、フラれて1ヶ月くらい休んでたよ、あんま詳しくは知らんけど」
あんな美人でも、男にフラれることがあるんだな…
僕は今の自分と同じようなことが、彼女にもあったことを知り、彼女に対してこれまでとは別の何か温かいものを感じた
すると、音子は手にエビフライを持ったままちょっとためらいがちに言う
「たぶんだけど、さ…」
「あんたが言うほど、彼女は悪い奴じゃないと思うし
あんたが落ち込むほど、あんたも悪い奴じゃないよ」
そう言い終わると同時に、音子は再び食事モードに戻り、エビフライを口に頬ぼる
「……」
その時、僕はただムシャムシャと食べている音子の様子から目が離せなかった
まるで、大食い動画を見ている時のようにじっと見つめていた
(やばい! コイツ、かっこいいかも…!)
僕はまるで乙女のような心境で男らしい音子に見とれてしまっていたのだ
「あ、ありがとう…音子、ちょっとグッと来た」
「おごりなんだから、こんぐらいは当然でしょ」
食べ終わった皿を重ねながら音子は片手で”サムズアップ”のジェスチャーをする
「…え? これ全部、俺持ち?」
僕はテーブル上の大量の皿を見て呆然とする…
実際には既に店員さんが片付けた分も会計上には存在するのだ…
「あん? そっちが呼び出しておいて…ったりめぇだろが?」
そう言って音子はドスの利いた低く静かな声でゆっくりと立ち上がりそうになる
「は、はい、すみません…」
僕は被せ気味に謝罪した
「ありがとうございましたー!」
カランカラン…と出口のドアが鳴り、店員さんのお礼の言葉が背後から聞こえてくる
帰り道、音子は満足そうにお腹を撫で、あくびをしながら歩いていた
「で、次フラれるのは、いつ頃かな? 青年よ」
音子はペコちゃんのように舌を出し、次の”食事会”を期待する目を僕に向けてくる
「あのなぁ…」
俺はまだ未練たらたらの頭を整理できないでいた
「まさか、お前…”もう女はいいよぉ”とか言うつもりか?」
音子はバカにしたように僕の口真似を披露する
「たかが、1人にフラれたくらいで、世界中に何人の女がいると思ってんだー!」
音子が唐突に棒読みしたセリフのような声を上げた時、僕らは反射的に懐かしいお笑い芸人のネタを口に出していた
「35億!!」
そして、それまで何を考えていたか忘れるほど大笑いする
大きな満月が浮かぶ夜空の下
僕らは最寄り駅までの道のりを無意味にダラダラと歩いていた
卒業後はお互いに生活が一変し、音子との関係もフェードアウトしていった
もう何年も連絡を取っていない
共通の友人から彼女が昨年結婚したと聞いたのは20代最後の日だった
僕の元に招待状は来ていない
友人から観せられた写真の中の彼女はすっかり痩せており、もともとの長身が手伝ってまるでモデルのように見えた
純白の花のようなドレスに包まれたその笑顔はとても幸せそうに咲いていた
今僕の隣には、結婚を考えている女性がお笑い動画を見ながら笑っている
いつもネガティブな僕を支え、人間的に成長させてくれた明るい音子の“教育”のおかげだろう
忙しない社会人となる前のあのムダな時間を僕は今でも折に触れて思い出している