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デビュー作【ハードX版】【eブックス版】比較

◎この記事には十八歳以上向けの表現が含まれています。

デビュー作【ハードX版】と【eブックス版】の違いについて


はじめに

 草飼のデビュー作は2006年にフランス書院ハードXノベルズから刊行されました。フランス書院公式でのみ電子化されてはいるようですけれど、実際にそちらの電子版を購入して確かめたわけではないのでよくわかりません。フランス書院のページに各種電子書籍サイトへのリンクが貼られていますが、リンク先では販売されていないと思います。
 各種電子書籍サイトで購入可能な電子書籍版『牝豹陥落』は、全面改稿しております。これはもちろん、よかれと思ってやっているわけで、こちらが《完全決定版》であると、胸を張って言えるのではありますが、しかし、「直せばよいというわけではない」という意見もあるだろうし、「初出バージョンの方がよかったのではないか」という見方もあるでしょう。「あの文体には二段組のあの版面が合っていた」という意見もあるかもしれない。
 それ以前にそもそも現在、読み比べるということはあまり容易ではないと思えるわけで、少なくとも、選ぶ自由、または、読み比べる自由、くらいはあったらいいなと思うわけです。
 本当は【ハードX版】ももっと入手容易な電子化ができればそれがいちばんよいと思うのですが、販売契約やら何やらがありますので、草飼が勝手にやるわけにはいかないのです。
 抜粋・引用し比較・検証するというかたちでなら、ある程度可能ではないかと考え、それをここで試みたいと思います。

【ハードX版】

第三章 女教師、野獣の巣へ


     1呼び出しの手紙

「そんないやらしいことばかりおっしゃるんなら、わたし、あなたをほんとうに軽蔑するわ」
 軽蔑ということばには、夫も顔色を変えた。
「わ、わるかったよ……すまない香澄」
「ここは学校です。わたしたちは教育者なんです」
 身なりをととのえながら香澄はこんこんと年上の校長をさとしつづけた。
 そして今度こそ不良生徒たちのことを話そうとした矢先──妻のお説教はもうたくさんだとでも思ったのか校長は、いつまでもここでのんびりしているわけにもいかないからな、とつぶやいて、職員室に行ってしまった。
 手首にはめた時計をみると、もう昼休みが終わりかけていた。
 ため息をひとつつき、自分も校長室をあとにする。
 いつの間にそんなに時間が過ぎていたのかしらと思いながら廊下を歩きはじめた香澄に、男子生徒が声をかけてきた。
「あ、あの、すいません先生──あの、これを」
 名札のクラス名をみると、一年生だった。
 香澄に小さくおりたたんだ紙きれをさしだしてきた。
「なあに、これ?」
 ラブレター……じゃあないわよね。
「三年の、せ、先輩が、これを望月先生に直接手渡せって、ぼくに、言ってきて」
 そう言って男子生徒は下を向いた。
「まあ。そうだったの」
 ごめんなさいねと香澄は言った。
 自分は一時間以上も校長室にいて、しかもそこは来客中ということで入室禁止になっていたのだ。
「先生のこと、ずっと探してたの?」
 と香澄は訊いた。
 香澄の顔にはうっすらと汗がうかんだままだったし、頬にも紅潮した名残りがあった。
 しかし男子生徒がそんな彼女の艶やかさのために正面を向いていられなくなって、それでうつむいてしまったのだとまでは、香澄は気づけなかった。
 この子はなにを恥ずかしがっているのだろうくらいにしか思わなかったのだ。
「は、はい──午前中の四時間目にはいるときに、その先輩に、望月先生は授業がなくて教官室にいるはずだから、これを渡してこいって言われて、すぐ行ったんですけど、先生いなくて」
 どうやら香澄が校長室によばれたのと行き違いだったらしい。
「ああ……ごめんね」
「あのう、先輩に渡されたときが十一時ごろだったから──先輩の感じだと、今すぐ先生のところへ持っていけって風だったから……」
 香澄に早く手渡せなかったことを気にしているようだった。
 ありがとうと言うと一年生はぺこんと頭をさげて女教師に背をむけ、足早にたちさっていった。
 廊下を歩きながら、小さくおりたたまれた紙片をひらいていった。
 そして、なかに書かれていた文字を読みはじめたとたん──
 香澄は顔色を変えた。
「ば──ばかな」
 すぐに香澄は駆けだしていた。

 すでに内部の引越しが終わった旧部室棟。
 本校舎や北校舎にくらべれば立地面積はおおきくはない。
 それでも鉄筋コンクリートでできた堅牢な建物だ。
 学校の敷地の脇に建てられているここにはもう、埃と錆とさまざまなゴミくらいしか残されてはいないはずだった。
 入り口には、立ち入りを禁じていることを示すビニール紐が張りわたされていた。
 香澄はそれをかがみながら通りぬけた。
 自分がつい先ほどまでいた本校舎のなかの、昼休みが終わる間際の生徒たちの声やざわめきは、ここにはまったく届いてはこない。
 一度顔をだしたはずの太陽もまた厚い雲のなかに隠れてしまっていた。
(どこ──?)
 下駄箱やロッカーの類もほとんど運びだされたあとなので、内部にはほんとうになにもない印象が強かった。
 リノリウムの床の、色が淡いままのところは、長年にわたってスチール製の下駄箱が置かれていた箇所なのだろう。
 そうでないところは泥ともカビともつかないようなもので、もう真っ黒になっている。
 扉があけはなたれたままのそれぞれの部室のなかも、だいたい同じような状態だった。
 備品が置いてあった跡を示す床の変色。
 黄ばんだタオルや、泥水に浸しておいてからそのまま乾燥させたような雑巾、真ん中で折れた鉛筆、縁の欠けたプラスチック製のクリップボードなどが散乱している。体育館用のうわばきが片方だけ転がっている。
 どれも埃まみれだ。
 蜘蛛やゴキブリの死骸まである部屋もあった。
(上かしら……)
 一階の部屋をひととおりすべて見て回ったけれど、だれもいなかった。
 この旧部室棟は四階建てなので、香澄をここによびだした者たちは二階から上にいるということなのだろう。
 そういえばあいつらは屋上をたまり場にしていたような生徒たちだったわとも香澄は思った。
 もっともこの部室棟は構造上、はじめから屋上にはでていけないつくりになっているはずなので、やつらがいるとすれば四階までのどこかだ。
(それにしては、いやに静かね……)
 まったく物音がきこえない。
 悲鳴なり、救いを求める声なりがきこえてくるのではないかと香澄は思っていたのだ。だからその声のほうに行けばいいだろうと。
 あるいはあの不良生徒どもが入り口のところで待ち構えていて、空いている部屋のどこかへ自分を案内するのだろうと思っていた。
 ところが、そのどちらも、なかったのだ。
(いたずら──みたいなものだったのかしら)
 書かれていたことはでたらめだったのかもしれない、と香澄は思った。
 自分があわててこの旧部室棟に走っていくのを、教室の窓のどこかからニヤニヤしながら眺めるためだけの、幼稚ないたずらだったのかもしれない。
 香澄にとっては、そういういたずらであったほうがありがたかった。
 なぜなら──。
 手紙には『一年生の鈴本恵利をコンパニオンにして旧部室棟で宴会をひらくので今すぐ望月先生も来い』とあったからだ。
 鈴本恵利といえば──月曜日に屋上でレイプされかかっていたあの小柄な女子生徒だ。
 こんな手紙を書く奴といえばあの四人組以外には思いあたらない。
『他の先公どもに相談なんかしていたら一生後悔するぜ。手遅れになるかもしれないぜ』ともつけくわえられていた。
(たちの悪いいたずらだった──?)
 そうかもしれない、と香澄は思った。あるいはこの建物のなかに第二の手紙があるかもしれないとも思った。
 もちろんなにもない可能性もある。
 あるいは最悪の場合には、昼休みの間ずっと待ち続けていたかれらが、いつまでたっても香澄がやってこないので、いいつけを破って彼女が先生方と相談でも始めているとでも思いこんで、すでにどこかに立ち去っているということも考えられた。
 もしそうなら──。
(あの一年生の女の子──鈴本さんが今、教室にいるかどうかを、先にたしかめたほうがいいのかもしれない)
 屋上の事件の翌日の火曜日、あの女子生徒は学校を休んだらしい。
 水曜日には登校してきたようだったが、それだけでもおそらく少女にとってはたいへんに精神的な苦痛をともなうことだったはずである。
 これ以上少女をつらい目にあわせることだけはできないと思う。
(ここまで来たのだから一応──)
 校舎に戻る前に、ここにだれかがいた痕跡があるかどうかだけは手早く調べてみよう、と香澄は決めた。
 階段をのぼって、まず二階の廊下をブーツで踏みしめる。
「だれかっ! だれかいるのっ?」
 しばらく待ってみたが──。
 物音ひとつしない。
 宴会といわれるとどうしても香澄が連想してしまいがちな、歌声とか手拍子とか笑い声とか、そういったものがいっさいないのだ。
 六月に、しかも昼ひなかから宴会はあるまいとは思う。
 ではかれらがどういう意図で手紙に宴会ということばを使ったのかがわからなくなる。
(ああいう生徒たちのことばでは、宴会ってべつの、変な意味でもあるのかしら)
 二階の部室をひとつひとつ、手早く見てまわりながら、ブーツを履いた美人教師はそんなことを考えていた。
(鈴本さんをコンパニオンに……って)
 香澄としては、とにかくあの女子生徒の身になにもおこっていないことを祈るばかりである。
 四日前に屋上に出入りしていたことや教師に暴行しようとしたことなどの件で教頭先生に注意を受けたばかりのかれらが、今、過激な行動にでるとは、香澄にはどうしても考えにくかった。
 なにか事件があらたにおこるとすれば、教師の目がとどきにくくなる夏休みだ。
 あるいはかれらが香澄になにか復讐めいたことを考えているとすれば卒業式の直後か。半年以上も先になってしまうけれど。
(よほどのバカでないかぎり、今は、たとえそのふりだけだとしても、おとなしくしているはずなんだけどな……)
 そんなことを思いつつ、三階の部屋にとりかかった。二階や一階と同様、朽ちかけた不用品や埃やゴミがあるばかりのようだ。
(──ん?)
 かすかに、なにか話し声のようなものが聞こえた。
 空耳──かと思って耳をすましてみると、今度はちいさくなにかの物音がした。
(上かしら)
 三階のチェックはとりやめて、階段をさらにのぼっていく。

     2野獣どもの窖

 廊下の端にたって眺めるかぎりにおいては、最上階もまた、下の階同様の荒れはてかたをしていた。
 手前のほうの部屋は柔道部や剣道部の用具室として使われていたらしい。
 独特の臭気がまだそのまま残っていて、香澄の立っている廊下のあたりまで匂いが漂ってきていた。
 香澄が四月から面倒をみている女子剣道部を含む女子の運動部関係の更衣室は、はじめから体育館のほうにあるので、今彼女の鼻が嗅ぎとっているのはすべて男子の匂い、ということになる。
(くさいわね……)
 スポーツでかいた汗の匂いならけっして毛嫌いはしていない香澄だったけれど、さすがに今は細い眉をひそめ、口元に手をあててしまっていた。
 室内にはカップめんの空容器や、萎びたミカンの皮が散乱していたほか、水着グラビアのページがひらいたままのマンガ週刊誌まであった。
 イヤな黄ばみかたをした手拭いや、ティシューの空き箱も。
 つまり部屋に染みついているのはおそらく、汗の匂いだけではないということだ。
(いやだわ……男の子って)
 カップめんもミカンも水着グラビアも、男子高校生が手にしても法に触れるわけではないから、たまたまかたづけられずに残っているのだろう。
 移転にあたって教師たちの注意がむけられるようになる以前には、おそらくもっと別のものもあったのではなかろうか、と香澄はなんとなく思った。もっといかがわしい雑誌とか。
(あれは)
 そこからいちばん遠い部屋──十数メートル先の廊下のつきあたりの部屋のひらいたままの戸口から、なにか白っぽくて薄い、煙のようなものが流れていることに視力の良い香澄は気づいた。
 そちらへ速足で向かう。
 つきあたりにたどりついたときには、剣道部の更衣室のあの匂いはもう感じとれなくなっていた。
 四階のこちらの側はなにか別の部室か用具室だったのだろう。
(煙草──だわ)
 剣道部の匂いのかわりにそこは煙草の煙の匂いが強かった。
 その部屋の戸口に立っても、なかの様子はわからなかった。
 古い机がつみあげられて、視界を塞いでいた。
 一歩ふみこむと、その机バリケードの左右が細い通路のようになっていた。
 煙はその通路の奥から漂ってきている。
 そして──。
「……ひっ、ふ……ふイッ……」
 泣き声まじりの、くぐもったうめき。
 高さやうめき声の色からいって、おそらく若い女の子のものだ。
(鈴本さん……? そんな)
 とたんに胸のなかがざわざわと波打つ。
 若い男性のものらしい笑い声や低い話し声もある。
 それらの声が聞こえてくるのはあきらかに通路の先──この室内からだ。
 短い通路を通ると机バリケードの裏側にでた。
 そこは、この建物の他の部室とは違って、什器がまだたくさん残っていた。
 どれもスクラップ置き場へ直行していてもおかしくはない古くてボロボロのものではあったが、簡易ロッカーやテーブルや椅子などが雑然と置かれていた。そこに──
 そいつらがいた。
「ああ?」
 いちばん近くであぐらをかいて坐っていたパンチパーマ頭の男子生徒の背中が、香澄の入ってきた気配にピクンと動いた。
 そいつは振りかえった。
 上は樽体型の素肌の上に学校指定のカッターシャツをボタンを留めずに羽織っている。
 下は学生ズボンだが、チャックは半分さがったままだし、ベルトもずいぶんゆるめてある。
「なんだよ、先生。へへっ。やっと来たのかよ」
 パンチパーマはじろりと香澄を見て、うれしそうにニタリと笑った。
 木村だ。
 口には煙草を咥えたままで、おそかったじゃねえか、とつづけた。
「ここに──だれか女子がいるの?」
 香澄はパンチパーマ木村の返事を待たず、喫煙もとがめずに、さらに室内に足をふみいれていった。
 もうもうと煙草の煙がたちこめていて、室内の様子がよくわからないくらいなのだ。
 応接用のソファがあって、そこにあの坊主頭サングラスと刈りあげの金髪がいた。
 鹿取と井野元だ。
 さらに香澄の知らない顔がふたつ。
 ふたりとも土木作業員か鳶のような格好をして、よく陽に灼けている。
 ひとりは首にタオルをマフラーのように巻いている。
 もうひとりは丸いサングラスをかけている。鹿取よりもはるかにサングラス姿が様になっている。
「ほう、これがその先公かよ?」
「なるほど。うまそうなカラダみてえだな」
 首タオルと丸サングラスのそんな口のききかたを耳にしただけで、香澄は背すじが寒くなるのをおぼえた。
 木村たち不良生徒の粋がった話し方と根は同じだが、このふたりのほうはあきらかにそれが板についているのだ。
 まるで──ほんもののやくざかなにかのように。
 はっきりとはわからないが年齢も不良生徒たちより上ではなかろうか。高校生にはみえない。
「遅すぎだよ、先生」
「何してやがってた【ママ】んだよ、今まで」
 刈りあげ金髪と坊主頭がそう言いながら立ちあがって、Fカップ教師の前に立った。
 やくざ風のふたりは坐ったままで煙草の煙をあたりかまわず吐きちらしている。
 応接ソファの前のちいさなテーブルには、吸い殻でいっぱいになった空き缶や、まだ中身が入っているらしいビール缶やカップ酒の瓶があった。
 そして壁ぎわには、何人もの男の子たちがロープで縛られて坐らされていた。
 ロープが邪魔で名札はつけているかどうかよく見えなかったが、どうやらこの学校の男子生徒であるようだった。白い開襟シャツの襟のかたちがこの学校の指定のものだ。
 五人──いや、六人だった。
 六人とも縛られて、横一線に並べられてリノリウムの床に尻をつけている。
 なぐられでもしたのか、顔にあざをつくっている生徒もいた。
「どういうこと? その縛られている子たちはなんなの?」
「まさか、あの手紙のこと、だれかにちくったんじゃねえだろうな、先生?」
 坊主頭が酒くさい息を吐きながら、香澄の質問を無視して訊いてきた。
「だれにも言ってないわ。ここへはわたしひとりで来たわよ」
 本当みてえだぜ、と、廊下の様子を見てきたらしいパンチパーマの木村が香澄の背後で言った。
 香澄は三人に挟まれたかたちになっていた。
「それよりわたしの質問に──」
 なにモタモタしてたんだよ? と刈りあげがたたみかけるように尋ねる。
「あの一年坊主、美人で有名な望月先生もみわけられなかったのか? いつうけとったんだよ、あの手紙?」
「じゅ──十一時ごろよ」
 と香澄はうそをついた。
 あの男子生徒があとからなにかひどい目にあわないともかぎらないと、つい考えてしまったのだ。
「じゃあ今までいったいなにやってたんだよ? すぐ来いって書いてあったろうが?」
「ちょっと──忙しかっただけよ」
「なんだよそれ。なにかてめえが連絡したらすぐに教頭や他の先公どもがドカドカ踏みこんでくるしかけでも企んでやがったんじゃねえのかよ?」
「ほんとうにだれも、今わたしがここに来ていることは知らないわ。約束する。それよりわたしの質問に答えなさい。そこの縛られている子たちはいったい──」
 いったいなんなの、と訊こうとした香澄の耳に、また聞こえてきたのだ。
 さきほどよりも、はっきりと。
「──ふぐっ……ふ、ふぐ……く、グッ」
 か細いうめき声に、ウウ、ウウ、という熊かゴリラのうなり声のようなものがときおり重なっていた。
 応接ソファと、テーブルと、たちこめる煙の向こうがわ──部屋の窓ぎわのほうに、動いているものがあった。
 背中だ。
 さきほどから見えてはいたのだが、あまりにおおきすぎて、それが人間の背中だとは認識できていなかったのである。
 白いシャツをまとったおおきな背中はほとんど家具かカーテンだ。
 よく見るとそれが、そいつ自身の腰の動きにあわせて上下に揺れていた。
(たしか館野だったわね──いったいそこで、なにをしてるの……?)
「ウォウォオッ」
 腰を動かしながら、ひときわおおきく相撲部屋が吠えた。
 それにあわせるかのように、相撲部屋の背中を越えて、ぐふうッ、とまた悲鳴のようなものが聞こえてきた。
(まっ、まさか……!)
 香澄が刈りあげと坊主頭をかきわけるようにしてそちらに足をふみだしかけたときには、しかし、もう遅かった。
 かれらのほうに背をむけている相撲部屋巨人は、少女の頭を両手ではさんで、その口に強引に自分の下腹部のものを含ませていたのだ。
 相撲部屋は何度かうなり声をくりかえしたあとで満足しきったように深い息を吐くと、ゆっくりと抜き出させ、少女の頭から手を離して自分の学生ズボンやトランクスを引っ張りあげはじめた。
 そして今まで彼の巨体の影になって見えなかったひとりの女子生徒の姿が、やっと香澄の目にもはいってきた。
「す──鈴本さん……っ!」

『女教師は六度犯される』(フランス書院ハードXノベルズ)より抜粋

【eブックス版】

第三章 女教師、野獣の巣へ


1 呼び出しの手紙

「だ、だから、言っただろ。きみは怒るかもしれないがって」
「当たり前です! 怒るくらいじゃあ気が済まないわ。昼間からそんなことばかりおっしゃるんなら、わたし、あなたを人として軽蔑するわ」
 軽蔑ということばには、さすがに夫も顔色を変えた。
「わ、悪かったよ……済まない香澄」
「ここは学園です。わたしたちは教育者なんです」
 身なりを整えながら香澄はこんこんと、年上の学園長を諭しつづけた。
 そして今度こそ不良生徒たちのことを話そうとした矢先。妻のお説教はもうたくさんだとでも思ったのか学園長は、いつまでもここでのんびりしているわけにもいかないからな、とつぶやいて、職員室に行ってしまった。
 手首に嵌めた時計を見ると、もう昼休みは終わりかけていた。
 ため息を一つつき、自分も学園長室を後にする。
 いつの間にそんなに時間が過ぎていたのかしらと思いながら廊下を歩き始めた香澄に、男子生徒が声をかけてきた。
「あ、あの、すいません先生……あの、これを」
 名札のクラス名を見ると、一年生だった。
 香澄に小さく折り畳んだ紙きれを差し出している。
「なあに、これ?」
 ラブレター……じゃあないわよね。
「三年の、せ、先輩が、これを望月先生に直接手渡せって、ぼくに、言ってきて」
 そう言って男子生徒は下を向いた。
「まあ。そうだったの」
 ごめんなさいねと香澄は言った。
 自分は一時間以上も学園長室にいて、しかもそこは来客中ということで入室禁止になっていたのだ。
「先生のこと、ずっと捜してたの?」
 と香澄は訊いた。
 香澄の額にはうっすらと汗が浮かんだままだったし、頬にも紅潮の名残りがあった。
 しかし男子生徒がそんな女教師の艶やかさのために正面を向いていられなくなってうつむいてしまったのだとは、香澄は気づけなかった。
 この子は何をそんなに恥ずかしがっているのだろうくらいにしか思わなかったのだ。
「は、はい……あの、あの。四時間目に入る前に、その先輩に、望月先生は体育教官室にいるはずだから、これを渡してこいって言われて、すぐ行ったんですけど、先生いなくて」
 どうやら香澄が学園長室に呼ばれたのと行き違いだったらしい。
「ああ……ごめんね」
「それで四時間目の授業に出て、終わって、もう一度職員室とかにも行ったんですけど、やっぱり先生どこにもいなくて……あのう、先輩に渡された時が十一時頃だったから。先輩の感じだと、今すぐ先生のところへ持っていけって風だったから……」
 香澄に早く手渡せなかったことを気にしているようだった。
 わかったわ、ありがとう、と言うと、一年生はぺこんと頭を下げて女教師に背を向け、足早に立ち去っていった。
 香澄は廊下を歩きながら、紙片を開いていった。
 そして、中に書かれていた文字を読み始めたとたん。
 顔色を変えた。
「ば……ばかな」
 すぐに香澄は駆け出していた。

 すでに内部の引っ越しが終わった旧部室棟。
 本学舎や北学舎に比べれば決して大きくはない。それでも鉄筋コンクリートでできた堅牢な建物だ。
 学園の敷地の外れに建てられているこの建物の内部にはもう、埃とゴミくらいしか残されてはいないはずだった。
 入り口には、立ち入りを禁じていることを示すビニール紐が張り渡されていた。
 香澄はそれをかがみながら通り抜けた。
 つい先ほどまでいた本学舎の中の、昼休みが終わる直前の生徒たちのさざめきは、ここにはまったく届いてこない。
 一度顔を出したはずの太陽は、また厚い雲に隠れてしまっていた。
(どこ?)
 下駄箱やロッカーの類もほとんど運び出された後なので、内部にはもう本当に何もないといってよかった。
 リノリウムの床の、色が淡いままのところは、長年にわたってスチール製の下駄箱が置かれていた跡なのだろう。
 そうでないところは泥ともカビともつかないようなもので、真っ黒になっている。
 扉が開け放たれたままのそれぞれの部室の中も、だいたい同じような状態だった。
 備品が置いてあった跡を示す床の変色。
 黄ばんだタオルや、泥水に浸しておいてからそのまま乾燥させたような雑巾、折れた鉛筆、縁の欠けたプラスチック製のクリップボードなどが散乱している。体育館用の上履きが片方だけ転がっている。
 どれも埃まみれだ。
 別の部屋には蜘蛛やゴキブリの死骸まであった。
(上かしら……)
 一階の部屋をひと通り見てまわったけれど、誰もいなかった。
 この旧部室棟は四階建てなので、香澄をここに呼び出した者たちは二階から上にいるということなのだろう。
 そういえばあいつらは屋上を溜まり場にしていたような生徒たちだったわと香澄は思った。
 もっともこの部室棟は構造上、屋上には出ていけないつくりになっているはずなので、奴らがいるとすれば四階までのどこかだ。
(それにしては、いやに静かね……)
 まったく物音が聞こえない。
 悲鳴なり、救いを求める声なりが聞こえてくるのではないかと香澄は思っていたのだ。だからその声の方に行けばいいだろうと。
 あるいはあの不良生徒どもが入り口のところで待ち構えていて、空いている部室のどこかへ自分を案内するのだろうと思っていた。
 ところが、そのどちらも、なかった。
(いたずら……みたいなものだったのかしら)
 書かれていたことはでたらめだったのかもしれない、と香澄は思った。
 自分があわてて旧部室棟へ走っていくのを、どこかの教室の窓からニヤニヤしながら眺めるためだけの、幼稚ないたずらだったのかもしれない。
 香澄にとっては、そういういたずらであった方がありがたかった。
 なぜなら。
 手紙には『一年生の鈴本恵利をコンパニオンにして旧部室棟で宴会を開くので今すぐ望月香澄先生も来い』とあったからだ。
 鈴本恵利といえば、月曜日に屋上で暴行されかかっていたあの小柄な女子生徒だ。
 こんな手紙を書く奴といえばあの四人組以外には思い当たらない。
『他の先公どもに相談なんかしていたら一生後悔するぜ。手遅れになるかもしれないぜ』ともつけ加えられていた。
(たちの悪いいたずらだった……?)
 そうかもしれない、と香澄は思った。あるいはこの建物の中に第二の手紙があるのかもしれないとも思った。
 もちろん何もない可能性もある。
 あるいは最悪の場合には、昼休みの間ずっと待ちつづけていた彼らが、いつまで経っても香澄がやってこないので、指示に従わずに先生方と相談でも始めていると思いこんですでにどこかに立ち去っている、ということも考えられた。
 もしそうなら。
(あの一年生の女子……鈴本さんが今教室にいるかどうかを、先に確かめた方がいいのかもしれない)
 屋上の事件の翌日の火曜日、あの女子生徒は学園を休んだらしい。
 水曜日には登校してきたようだったが、それだけでもおそらく女子生徒にとってはたいへんに精神的な苦痛を伴うことだったはずである。
 これ以上あの女子生徒をつらい目に遭わせることだけは避けなければと思う。
(ここまで来たのだから一応……)
 学舎に戻る前に、ここに誰かがいた痕跡があるかどうかだけは手早く調べてみよう、と香澄は決めた。
 階段をのぼって、まず二階の廊下をブーツで踏みしめる。
「誰かっ! 誰かいないのっ?」
 しばらく待ってみたが。
 物音一つしない。
 宴会といわれるとどうしても香澄が連想してしまう、歌声とか手拍子とか笑い声とか、そういったものがいっさいないのだ。
 六月に、しかも昼ひなかから宴会もあるまいとは思う。
 では彼らがどういう意味で手紙に宴会ということばを使ったのかがわからなくなる。
(ああいう生徒たちの間では、宴会って別の、何か変な意味でもあるのかしら)
 二階をひと部屋ひと部屋、手早く見てまわりながら、ブーツを履いた美人教師はそんなことを考えていた。
(鈴本さんをコンパニオンに……って)
 屋上に出入りしていたことや教師に暴行しようとしたことなどの件で教頭先生から注意を受けたばかりのかれらが今、過激な行動に出るというのは、ありえないことのようにも思えた。
 何か事件が新たに起こるとすれば、教師の目の届きにくくなる夏休みだろう。
 あるいは彼らが香澄に復讐めいたことを考えているのなら、卒業式の直後か。半年以上も先になってしまうけれど。
(よほどのばかでない限り、今は、たとえその振りだけだとしても、大人しくしているはずなんだけどな……)
 そんなことを思いつつ、三階の部屋に取りかかった。二階や一階と同様、朽ちかけた不用品やゴミがあるばかりのようだ。
(……ん?)
 かすかに、何か話し声のようなものが聞こえた。
 空耳かと思って耳を澄ましてみると、今度は小さく何かの物音がした。
(上かしら)
 三階のチェックは取りやめて、階段をさらにのぼっていく。

2 野獣どもの窖

 廊下の端に立って眺める限りにおいては、最上階もまた、下の階同様の荒れ果て方をしていた。
 手前の方の部屋は柔道部や剣道部の更衣室として使われていたらしい。
 独特の臭気がまだそのまま残っていて、香澄の立っている廊下にまでそれが漂ってくる。
 香澄が四月から面倒を見ている女子剣道部を含む女子の運動部関係の更衣室や用具室は、始めから体育館の方にあるので、今自分の鼻が嗅ぎ取っているのはすべて男子の匂い、ということになる。
(臭いわね……)
 スポーツで掻いた汗の匂いならけっして毛ぎらいはしていない香澄だったけれど、さすがに今は細い眉をひそめ、口元に手を当ててしまっていた。
 室内にはカップめんの空容器や萎びたミカンの皮が散乱していたほか、水着グラビアのページが開いたままのコミック誌まであった。いやな黄ばみ方をした手拭いや、ティシューの空き箱も。
 つまり部屋に染みついているのはおそらく、汗の匂いだけではないということだ。
(いやだわ……男の子って)
 カップめんもミカンも水着グラビアも、男子生徒が手にしても法に触れるわけではないから、たまたま片づけられずに残っているのだろう。
 移転に当たって教師たちの注意が向けられるようになる以前には、もっと別のものもあったのではなかろうか、と香澄は思った。もっといかがわしい雑誌とか。
(あれは)
 そこからいちばん遠い部屋。数十メートル先の廊下の突き当たりの部屋の開いたままの戸口から、何か白っぽい、薄い煙のようなものが流れ出ているのが、視力のよい香澄には見えた。
 そちらへ早足で向かう。
 突き当たりにたどり着いた時には、剣道部の更衣室のあの匂いはもう感じ取れなくなっていた。四階のこちら側は何か別の部室か用具室だったのだろう。
(やっぱり、煙草だわ)
 剣道部の匂いの代わりにそこは煙草の匂いが強かった。
 その部屋の戸口に立っても、中の様子はわからなかった。
 古い机が積み上げられて、視界を塞いでいた。
 一歩踏みこむと、その机バリケードの左右が細い通路のようになっていた。
 煙はその通路の奥から漂ってきている。
 そして。
「……ひっ、ふ……ふイッ……」
 泣き声混じりの、くぐもったうめき。
 うめき声の色からいって、おそらく若い女の子のものだ。
(鈴本さん……? そんな)
 とたんに胸の中がざわざわと波打つ。
 若い男性のものらしい笑い声や低い話し声もある。
 それらの声が聞こえてくるのは明らかに通路の先。この室内からだ。
 短い通路を通ると机バリケードの裏側に出た。
 そこは、この建物の他の部室とは違って、什器がまだたくさん残っていた。どれもスクラップ置き場へ直行していてもおかしくはない古くてボロボロのものではあったが、簡易ロッカーやテーブルや椅子などが雑然と置かれていた。
 そこに、そいつらがいた。
「ああ?」
 いちばん近くであぐらを掻いて坐っていたパンチパーマ頭の男子生徒の背中が、香澄の入ってきた気配に気づいたらしくピクンと動いた。
 そいつは振り返った。
 上は樽体型の素肌の上に学園指定のカッターシャツをボタンを留めずに羽織っている。下は学生ズボンだが、チャックは半分下がったままだし、ベルトもずいぶんゆるんでいる。
「なんだよ、先生。へへっ。やっと来たのかよ」
 パンチパーマはじろりと香澄を見て、うれしそうにニタリと笑った。
 木村だ。
 口には煙草を咥えたままで、遅かったじゃねえか、とつづけた。
「ここに誰か女子がいるの?」
 香澄はパンチパーマ木村の返事を待たず、喫煙も咎めずに、さらに室内に足を踏み入れていった。
 もうもうと煙草の煙が立ちこめており、室内の様子がよくわからないくらいだった。
 応接用のソファがあって、そこにあの坊主頭サングラスと刈り上げの金髪がいた。
 鹿取と井野元だ。
 さらに香澄の知らない顔が二つ。
 二人とも土木作業員か何かのような格好をして、よく陽に灼けている。
 一人は首にタオルをマフラーのように巻いている。
 もう一人は丸いサングラスをかけている。鹿取よりもはるかにサングラス姿が様になっている。
「ほう、これがその先公かよ?」
「なるほど。美味そうな身体みてえだな」
 首タオルと丸サングラスのそんな口のきき方を耳にしただけで、香澄の背すじにさむけが走った。
 木村たち不良生徒の粋がった話し方と根は同じだが、この二人の方は明らかにそれが板についている。
 まるで本物のやくざか何かのように。
 はっきりとはわからないが年齢も木村や鹿取たちより上ではなかろうか。学園の生徒には見えない。
「遅すぎだよ、先生」
「何してやがったんだよ、今まで」
 刈り上げ金髪と坊主頭がそう言いながら立ち上がって、Fカップ教師の前に立った。
 やくざ風の二人は坐ったままで煙草の煙をあたりかまわず吐き散らしている。
 応接ソファの前の小さなテーブルには、吸い殻でいっぱいになった空き缶、それに、飲みかけらしい缶ビールやカップ酒があった。
 そして壁際には、何人もの男の子たちがロープで縛られて坐らされていた。
 ロープが邪魔で名札はついているかどうかよく見えなかったが、どうやらこの学園の男子生徒であるようだった。体育の授業で見たことのある顔があった。
 五人……いや、六人だった。
 六人とも縛られて、横一線に並べられてリノリウムの床に尻をつけている。
 殴られでもしたのか、顔にあざをつくっている生徒もいた。
「どういうこと? その縛られている子たちはなんなの?」
「まさか、あの手紙のこと、誰かにちくったんじゃねえだろうな、先生?」
 坊主頭の鹿取が酒臭い息を吐きながら、香澄の質問を無視して訊いてきた。
「誰にも言ってないわ。ここへはわたし一人で来たわよ」
 本当みてえだぜ、と、廊下の様子を見てきたらしいパンチパーマの木村が香澄の背後で言った。
 香澄は鹿取と井野元と木村に挟まれたかたちになっていた。
「それよりわたしの質問に……」
 何モタモタしてたんだよ? と刈り上げが畳みかけるように尋ねる。
「あの一年坊主、美人で有名な望月先生も見わけられなかったのか? いつ受け取ったんだよ、あの手紙?」
「じゅ……十一時頃よ」
 と香澄は嘘をついた。
 あの男子生徒が後から何かひどい目に遭うかもしれないと思ったからだ。
「じゃあ今までいったい何やってたんだよ? すぐ来いって書いてあったろうが?」
「ちょっと忙しかっただけよ」
「なんだよそれ。何かてめえが連絡したらすぐに教頭や他の教師どもがドカドカ踏みこんでくるしかけでも企んでやがったんじゃねえだろうな?」
「本当に誰も、今わたしがここに来ていることは知らないわ。約束する。それよりわたしの質問に答えなさい。そこの縛られてる子たちはいったい」
 いったいなんなの、と訊こうとした香澄の耳に、また聞こえてきたのだ。
 先ほどよりも、はっきりと。
「……ふぐっ……ふ、ふぐ……く、グッ」
 か細いうめき声に、ウウ、ウウ、という熊かゴリラのうなり声のようなものが時折重なっていた。
 応接ソファと、テーブルと、立ちこめる煙の向こう側。部屋の窓際の一隅に、動いているものがあった。
 背中だ。
 ずっと目に入ってはいたはずなのだが、あまりに大きすぎて、それが人間の背中だとは認識できていなかったのだ。白いシャツをまとった大きな背中は干したままで放置された布団みたいだった。
 よく見るとその背中が、そいつ自身の腰の動きに合わせて揺れていた。
(確か館野だったわね。いったいそこで、何をしてるの……?)
「ウォウォウォ」
 腰を動かしながら、ひときわ大きく相撲部屋が吠えた。
 それに合わせるかのように、相撲部屋の背中を越えて、ぐふうッ、とまた悲鳴のようなものが聞こえてきた。
(まっ、まさか……!)
 香澄が刈り上げと坊主頭を掻き分けるようにしてそちらに足を踏み出しかけた時には、しかし、もう遅かった。
 彼らの方に背を向けている相撲部屋巨人は、女子生徒の頭を両手で挟んで、その口に強引に自分のものを含ませていた。
 相撲部屋は何度かうなり声を繰り返した後で満足しきったように深い息を吐くと、ゆっくりと抜き出させ、女子生徒の頭から手を離して自分の学生ズボンやトランクスを引っ張り上げ始めた。
 そして今まで彼の巨体の影になって見えなかった一人の女子生徒の姿が、やっと香澄の目にも入ってきた。
「す、鈴本さん……っ!」

『牝豹陥落 闘う女教師と六匹の青狼』(フランス書院eブックス)より抜粋

まとめ

 いかがでしたでしょうか。
 用語的な違いとしては、高校→学園、校長→学園長、という変更があります。これはいちおう規制対策といいますか、中学(中学生)・高校(高校生)およびそれに類する単語はなるべく出さない方がいいかな、と思ったからです。とはいえ、Amazon販売開始当初は〈アダルト〉に入っていなかった『牝豹陥落』が、いつからか〈アダルト〉に分類されてしまっておりまして、どうせそうなるのだったら校長のままでよかったかなとも思います。
 ハードX版の方が全体にひらがなが多いのは、『~王国』あたりでもそうなのですが、実はその頃の時点ではまだ自分の中で漢字/かなの変換ルールがまるで確立していなかったから、というのが大きな理由です。森博嗣さんの自伝風小説の中で、主人公がデビュー作のゲラが出た時点で、漢字/かなの変換の不統一を指摘されて、そこで初めて一覧表をつくる、というくだりがあります。草飼も似たような感じです。あと、草飼が文体的な影響を受けている作家さんというと西村寿行さん、菊地秀行さん、京極夏彦さん、といったあたりなのですが、もうお一人、小松左京さんの意外とひらがなの多いあの文体の影響も、初期の頃は受けています。また、栗原康さんのひらがなの多い文体(『死してなお踊れ 一遍上人伝』『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』)も大好きです。
 全角二文字分ダッシュ(またはダーシ──これ)の使用も小松左京さんや京極夏彦さんの影響が強いわけですけれども、eブックス版では、ダッシュの使用は意図的に避けています。kindle端末でいろんな小説を読むんですが、あのダッシュの線が太く表示されてしまうのが気に入らなくて、一時期、使用を控えるようにしていました。『牝豹陥落』リリースは、ちょうどその時期に当たります。最近はまた使い始めていますけれど……。
 望月香澄さんのこのお話を、〈アダルト〉ではない全年齢向けに書き直したものが、↓こちらになります。

文・写真 草飼晃
Akira Kusakai 2006, 2022, 2024

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