2月は誕生月
なぜかここ数年1月、2月の半ばまでがとても生きにくいと感じてしまう。
もとより冬生まれのわりに夏好きで寒いのは苦手、できることなら30℃くらいの気温の晴れたビーチで海に入ったり浜辺で寝そべって過ごせたら最高!と思っている。
暦の上では春だがまだ雪の舞う2月14日に私はこの世に誕生した。だからこの時期はまだ母の腹の中で冬ごもりよろしくぬくぬく丸まっていたんだな。迫りつつある来たるべき日の為にエネルギーを漲らせつつ。
昨年は少しでも太陽光を浴びようと、朝夕の20分ずつ通勤時に歩いてみた。すると無理なく歩いてもひと月に換算して大体30kmから多い月は80km歩き、体や顔のラインもスッキリして何より気分も良くなった。
今年は夫が朝夕家にいることが多いので車で職場まで送り迎えしてくれることが多い。ありがたい反面、光を浴びたり汗をかく気持ちよさ(自家発電、とひとり呼んでいる)がなくなった。そして職場と家のモードチェンジの時間がないというのは実にうまくいかないものだと感じる。
職場は隣の地区にある高齢者のマンションの受付事務である。10階建てビルに約80世帯のご利用者さま方が暮らしている。毎日来られるご家族やデイサービスのお迎えの方、業者さん、往診の先生など人の往来が多い。入居希望者からの電話対応もひっきりなしだ。
ご入居者様はみなその方其々の人生がにじみ出た優しさと懐の深さを持ち合わせていらっしゃる。笑顔を見ると単純に嬉しいし学ぶところも多く癒やされることのほうが多い。それは大人になった今でもちいさな子どもとおじいちゃんおばあちゃんのような関係なのである。
どこの職場にもあるようなスタッフ間の人間関係のいざこざ、上司の不満もありはする。家に帰ると義父母が目と鼻の先に二人で住んでおりふたりとも認知症がかなり進んで家族が朝昼晩世話をしに代わる代わる訪ねている。それらは全て忘れているが、わたしたちがものすごく近い存在の誰か、という事はわかっていてヘルパーさんなどは寄せつけようとしない。
職場のご利用者さまと同じくしみじみありがたい存在であるが、頻繁に徘徊し急な対応が求められ必死で対応し難を脱した時こそ安心とともにガックリとなんだか訳の分からない無力感を感じてしまう。そこが家族故の辛さだ。
話は戻るが、夫が迎えに来るのも彼のそんな両親への不安からなのかな、少しでも私とふたりで重荷を分かち合いたいのだろうなと思うと無碍にも出来ず…いや考えすぎか。
認知症の義父母の、階段を一段とばしに下降していく姿がジワジワと閉塞感をもたらしているように感じてしまう。
そうだ!何もかも放ったらかして一年のメインイベントをこの時期に持って来よう。温暖な島のリゾート地へ旅行!ライブイベント!そうやって誕生日までのカウントダウンを愉しめばいいじゃないか。年末年始家族の為に過ごす日々が終わったんだ!自分の為の時間を自分の為に自分自身を大いに甘やかそうよ!
インフルだ感染症だ予防、予防、控え目に温存シテ、何よりも義父母の介護が優先され、花を愛でたりいい香りを嗅ぎ当てたりこれまで得意としてきたものが全く忘れ去られているこの毎日の生活の閉塞感なんだ、といまふと思った。
こんなふうに簡単に割り切れたらどんなにいいか、なんだけれど。