7月の私的ノスタルジーは、博多祇園山笠の季節!の巻
7月になると、福岡県出身の私は毎年、博多の街に思いを馳せるのである。
博多祇園山笠の季節なのである↓↓↓
昨日、7月15日はコロナ禍以前ならば、博多の街に山笠が走り抜けるクライマックスの追い山があった筈なのである…。
2019年7月15日早朝の櫛田神社入りする一番山の動画↓↓↓
去年、今年、と、コロナ禍での博多祇園山笠の神事も縮小を余儀なくされているみたいで、さすがに密になる山笠は担げないので、博多の街も暗いだろうな…。
と、福岡県民の私はそう思うのである。
そもそも、山のぼせと言われる山笠を愛して止まない博多の男達は、山笠の期間中1ヶ月もの間、殆ど仕事さえ放り出して山笠の行事に参加してるからね(苦笑)
そんな如何にも九州男子なお馬鹿さん達が何百年も伝統を守り受け継いで来た、男しか参加出来ない行事なのである。
山笠の発祥は、何百年も前に疫病退散で博多の街を浄めてお祓い?したとか言う御坊さんからだと聞いてたのだが、疫病退散から発生したお祭りが、疫病で中止になるとは因果で不条理な話だよな…。
そして、こんな何とも切ないニュース動画を発見した↓↓↓
ねっ!
良い歳した大人が騎馬作って迄、こんな事してるってどれだけ好きか?わかるでしょ(笑)
これは、福岡県民、いや、博多で生まれ育った人々にしかわからないだろうと思う
独特な文化の継承なのである。
厳密に言うと、博多区民のお祭りと言う事になる。
福岡は武士の街で、博多は商人の街、と昔は別けられていたその名残がしっかり残ってて、今でも昔ながらの伝統が生きずいている。
祭りの神事の1ヶ月間は、女人禁制で女は不浄の者とされるので、勿論女絶ちは必須で、櫛田神社の紋に似てるから?体を冷やすから?とかの理由できゅうり食べるのはは禁止、と、何かと細かい掟もあり、
不浄の者と言われた女である私は、昔、福岡市に住んでた頃は、ふーん…くらいにしか思っていなかったが、6月の半ばから徐々に山笠の行事が始まり出すと、本当に博多の街は7月15日の追い山に向けて活気が溢れて来るから不思議であった。
あの空気感は、住んでる人か、住んだ事がある人にしかわからないだろうと思う。
私的黒歴史しかない街、それが地元の福岡なので帰りたいとは思わないが(苦笑)
やはり毎年7月になると、あの空気感が懐かしくなるのである。
それがこのコロナ禍で、世の中はすっかり暗くなり悲しく切ない暗黒の時間を過ごさなきゃいけないと言うストレスは、山のぼせの男達には耐えられないだろうなと思うよね。
追い山の当日なんて、目は血走り殺気だってるからねー!
どんだけ命懸けなんだ?(笑)
と、呆れるやら羨ましいやら、男に生まれて参加してみたかったなとさえ思わせる鬼気迫るモノがあったんだよねw
しかし、これは、1ヶ月もの間、仕事もそっちのけで祭りの行事に参加する男達を影で支えてくれる、嫁である九州女達の存在なくしては、成り立たない行事なのである。
昔ながらの九州女の特徴は、気が強くしっかりしていて、お馬鹿な男を煽てて立てながらも、自分は一歩下がり、俯瞰して旦那を観察しながら、時には悪さすれば賢くお仕置きしながら、調教すると言う、
西遊記の御釈迦様の手の平の孫悟空調教を自然とやれたのである(笑)
まあ、今じゃ絶滅器具種の女だろうけどねwww
そんな山笠の行事の中に、粋だな!!!
と、思うのが追善山と言う行事である↓↓
長年、山笠に関わって来た役員の方が亡くなると、その翌年の山笠の期間中に、山をかきながらその亡くなった方の家まで行き、博多祝いめでたを唄うのである。
亡くなってるからめでたくもないのだが(笑)
何よりの供養になるとは思うのよね。
私的黒歴史の街、博多ではあるが、やはりこの季節になると恋しくなる不思議な魅力がある祭り、それが博多祇園山笠なのである。
山笠があるけん博多たい!!!
( ̄▽ ̄)ゞ
最後に、この曲で博多の街の、山笠の熱気を思い出してノスタルジーに浸りたいと思う♪
博多っ子純情 チューリップ↓↓↓