さよならのかわりに #SS
小学五年の初夏、私のクラスに教育実習生が三人も来た。男性の速水さん、女性の杉山さんと近藤さん。三人とも異なる大学の学生である。
「一生懸命頑張りますので宜しくお願いします! 大学ではサッカー部にいるので、試合の時に混ぜてもらえたら嬉しいです!」
「至らない点が多々あると思いますが、どうぞ宜しくお願い致します。ピアノが趣味で、今、ミスチルを練習中です」
「宜しくお願い致します」
速水さんと杉山さんは溌溂としたいかにも今時の若者だが、その横で、近藤さんのちんちくりんさは可哀そうなほど目立っていた。眼鏡の小太りで、化粧っ気がほぼ無く、緊張なのか表情が固まっている。スカートから覗いた短い脚、やけに白いストッキング。
給食時間、十に分かれた班に三人はそれぞれ順番に入り、生徒と一緒に食べる。速水さんと杉山さんの班は本人たちが話好きで生徒への会話の回し方も巧く、花が咲いたように賑やかだ。対して、近藤さんの班はお通夜のように静かである。
近藤さんも小さな声でおずおずと「今日は暑いね」などと言うのだが、話が続かず、やがて黙ってしまう。今日の給食は近藤さんと一緒だ、やだなあと口の悪い子は言った。食べ終わっても速水さんたちは教室に残って雑談を続けるが、近藤さんは早々と職員室に戻るようになった。
授業で使うプリントを三人が担任の代わりに職員室で刷り、生徒に配る。プリント係の時、近藤さんはしばしばカートリッジの交換やソートに手間取り、教室に戻ってきて、おろおろしながら二人に助けを求めるのだった。
近藤さんは見た目と同じで動きもどんくさかった。近藤さんが困るたびに他の二人がフォローしていたが、徐々に杉山さんが近藤さんを見下すような態度を見せ始めた。
音楽の時間、先生はピアノの演奏を杉山さんと近藤さんに任せた。教育大の音楽科なので近藤さんもピアノが弾けるのだ。近藤さんは基本に忠実な演奏だが、杉山さんは「こいのぼり」にも変わったアレンジをつけて私たちを楽しませたり、即興でミスチルやドリカムを弾いてくれたりした。
杉山さんに演奏してもらう方が楽しくていいな。子供の心を感じ取るのか、近藤さんがピアノを遠慮するようになった。それをいいことに、ずっと杉山さんが演奏するようになってしまった。先生は何も言わなかった。
やがて速水さんと杉山さんが付きあってるらしいと噂が流れた。駅前で速水さんの車に杉山さんが乗り込むのを目撃したと、クラスの情報通が広めたのである。言われてみれば、杉山さんの速水さんを見つめるまなざしが何やら熱っぽくも感じられる。
噂はどうやら本当らしい。私たちの前でも二人はお互いを下の名前で呼んだり、甘えた声でいちゃいちゃし出した。こうなると近藤さんの立場はますます辛い。近藤さんはもはや空気であった。
こうして二か月が過ぎた。実習の最終日、三人が挨拶に立った。
「お世話になりました。この貴重な経験を忘れず、速水先生に当たってよかったと言ってもらえる先生になります!」
「毎日楽しくてあっという間でした。皆さんに出会えて本当によかった。皆さんのこと、一生忘れません。これ、ささやかなものですがお礼です」
と、杉山さんが提げていた紙袋の中身を手に取って見せた。動物の消しゴムだ。わあっ、と歓声が上がった。
「後で一人一個ずつ取ってね」
速水さんと顔を見あわせ、杉山さんがにっこりと笑った。速水さんもお金を出したのかもしれない。でも、男性はいいとして女性二人がいて一人だけがプレゼントを渡すってどうなのだろう。連名とかにしなければもう一人は肩身が狭いだろうと、心配して私は近藤さんを見やった。近藤さんはいつも通り、無表情だ。
近藤さんの番になった。
「短い間でしたがお世話になりました。至らない点がたくさんあり、申し訳ありませんでした。お聴き苦しいかと思いますが、感謝の気持ちを込めて歌わせていただきます」
そう言うと近藤さんはきりっとした顔になり、空を見つめた。
何億光年 輝く星にも寿命があると
教えてくれたのはあなたでした
ザワッと空気が動いた。山口百恵の「さよならの向こう側」。そういえば近藤さんは声楽科なのだ。山口百恵と同じく低めの声質である。
Thank you for your love
Thank you for your everything
英語も完璧だ。静まり返った教室に、近藤さんのアルトが響く。
さよならのかわりに
さよならのかわりに
近藤さんは二番まできっちり歌ったが誰も咎めなかった。速水さんも杉山さんも担任も私たちも、このサプライズに呆然として近藤さんを見つめていた。しばらくして拍手が一つ鳴り、二つ重なり、やがて豪雨のような拍手で教室が揺れた。
床に置くマイクは無かったが、歌い終わると近藤さんは私たちに深々と頭を下げた。今、ウェディングドレス姿で涙を流しながらこの曲を歌う山口百恵の映像を見ると、あの日の近藤さんの上気した丸い頬っぺたを私は思い出す。