NHK俳句への投稿作・11月号
選者:堀田季何先生 兼題「桃」
みてあれば水に沈みぬ嘘の桃
水上に桃を流した母がゐる
温かい桃入りパスタ大天使
影のない町のどこかに桃がある
富山県 来地宇須さん
影のない町などありはしない。想像のあるいは夢の中の町に踏み入り、どこかにあるはずの桃を探す。この桃は宝物、自分が恋焦がれているものの象徴のような気がします。影のない町と桃と。ふたつの象徴を蔵する夢幻世界をさまよう精神。
選者:西山睦先生 兼題「虫」
丁寧に化粧を落とす虫しぐれ
無人駅電車遅延の虫しぐれ
終夜をときをり狂ふ虫の声
方丈の床板の艶昼の虫
福井県 荒田苔石さん
床板に艶があるということは、こまめに拭いて綺麗にされているのでしょう。昼の虫の声が認識できる。自然と調和した慎ましやかな空間を感じます。方丈ときいて方丈記を思い浮かべた私はちゃんとした意味を知らなかった。一辺が一丈(約三メートル)の正方形を指します。鴨長明の庵もこの大きさだったのですね。
もうひとつ、同じく西山選なんですが先月号の好きな句。
岬より先の全ては天の川
奈良県 豚々舎休庵さん
天の川を岡山の山奥で初めて見たとき、手を伸ばせば届くんじゃないかってくらいすぐそこにあるみたいでした。顔に貼り付いてくるようで。だから、岬から全部天の川という感覚わかるんです。下句へかけての広がり、岬から足踏み出してもそのまま川をわたっていけそうではないですか。
選者:木暮陶句郎先生 兼題「花野」
犬ころぶ休耕田の花野かな
あまたなるけもの眠らせ夕花野
古の墓の上あゆむ花野かな
花野より届きし文の濡れてをり
愛知県 亘航希さん
花野にいる差出人は恋人と読みました。花野におりた露に恋文が濡れている…文自体がその人の化身というか息づいているようで、艶っぽいけど品もある。いいなあ、素敵やなあ、こんなん詠みたいって切実に思いました。
選者:高野ムツオ先生 兼題「座る・座す」
亡き猫の座す石畳秋の昼
水無月の地震ビニールに座す駅舎
補助席に座す遠足の消えがたし
生身魂真中に座ることに厭き
東京都 松井宏文さん
生身魂(季語・初秋)=お盆に一家の長老を生きた御霊として祀る。最年長はこういう場でいつも真ん中に座らされるけど、そうか、いつもいつもだったら厭きますよね。左右と喋らなきゃいけないのはしんどい笑。ちょっと川柳ぽいというか諧謔風味があって私の好みです。
今月も全没だよᐠ( ᐢ ᵕ ᐢ )ᐟ ここに載せるために短歌と俳句テキストの膨大な量の投稿作品読んでて私、思いました。高速でサーッと目を通していくのでわかりにくい作品は目に留まりにくい、というか留まらない⇒没なのは理解できる気がします。かといって「ただごと作品」でもいけないので(そういうのも味あったりしますが)、その辺のバランスを取らないといけないんだろうなと。
没についてNHK短歌のテキスト、歌人寫眞館「わたしの投稿時代」ショージサキさんの言葉が光っています。自分から切り離される感覚。違うふうに解釈されても拘らず読者を信じることにもつながるので、これ大事やなあと思います。
ところで、昨日こちらのお歌の感想を書かせていただきましたが、
中学の体操服で窓を拭く生き返るしかないと思って
山口県 常田瑛子さん
一晩寝て起きて、自分が考えたような深刻な内容ではなくてたぶんこういう意味じゃないか? と閃きました。「卒業から年月経っても残しておいた中学の体操服を生き返らせる(役に立たせる)ためにこれで窓を拭く」。まあですが、どんな意味であるとしても上句と下句の離れ具合に味があっていいお歌と思うのでゆるしてください。
体操服を窓拭きにリユースする。これ、わかるんですよ。学校の制服とか体操服ってもう要らないのになぜか捨てずにずっと残してたりするんです。最終的に体操服は細かく切って雑巾代わりにして。特に制服は結構高くて公立高校でも4~5万します。これって馬鹿になりません。家計圧迫します。だから、同じ高校に合格した近所の同性の子の親から制服譲って欲しいと言われることがあります。そういう場合のためにできましたら、制服は残しておいて欲しいなって思います。
(表題画像はゴッホ/花咲く桃の木のある果樹園)