坂の多いまち 其の二
新しい生活に慣れ始め、無くしたものが残した穴を時間の垢が埋め合わせた頃、私はロッククライミングを再開することにした。ブリスベンの街中には大きく蛇行した川が流れていて、ヘアピンカーブをもたらした岩盤層が剥き出しになり、クライミングスポットとして名を馳せていた。カンガルーポイントと呼ばれるそのエリアは、都会に住むクライマーにとって絶好の練習場所であった。私はSNSを通じて、地元のクライマーコミュニティの情報を集め、週末に行われる講習会に参加することにした。
当日、陽が高く登り始めた頃、カンガルーポイントへ着くと、そこではすでに多くのクライマーが登攀に取り組んでいた。いくつかのコミュニティに分かれていると見受けられ、私は自身が参加登録したコミュニティがいずれなのか確かめる必要があった。直接連絡を取っていた地元の大学生とコミュニティ名以外に情報がなく、人だかりに噛み付いて尋ねて回ったが、知らないと一蹴され続けた。
コミュニティを気にせずビレイをしてくれる人を探して登り始めたい気持ちもあった。だが、お互いに命を預けるパートナーと成るためには、深いコミュニケーションが必要であるのに対し、私は英語でそれほどの信頼関係を築き上げた経験がまだなかった。そのため、目の前の岩壁以上に高い壁を彼らとの間に感じていた。
結局まともにコミュニケーションを取れないまま、昼が近づき、私は空腹のために集中力を欠き始めた。このような状況では何をやっても上手くいかない。私は来た道とは反対に進み、橋を渡り街に戻った。あたりにはアジア系の移民が営む飲食店が並び、私はピリ辛の焼きそばのような物を食べた。弾力のあるイカが私に活力を蘇らせた。もう一度カンガルーポイントに戻ることも考えたが、また元気のある週末に挑めばいいと考えた。何より歩いたことのないこのエリアを踏破したい気持ちの方が大きかった。
花で飾り付けられたアーチを抜けると、欧米人の子供たちが植物園の周りを走り回っていた。私は彼らとはしゃぎたい気持ちを抑えながら微笑みかけた。彼らは初めてみる生き物を観察するように立ち止まって私を目で追いかけていた。私が通り過ぎると、彼らすぐに元の活発な動きを取り戻した。私は自分が街中に不釣り合いな大荷物を背負ったクライマーの姿をしていたことを思い出した。
しばらく歩いていると見覚えのある通りに出た。セントラル駅を横目に見て、私は長い坂を登り、長い階段の前で信号に捕まった。身体中にじわりと汗が滲み出た。炎天下、荷物を背負って一時間ほど歩いたであろうか。頭の中で温かい空気が膨張しているような感覚がした。縒れたTシャツの襟から砂埃の匂いが立ち込め、鼻腔を過ぎる頃には焦れた汗の匂いへと変わった。私は最後の難所を乗り越えて、家へ到着した。
英会話力を向上させるという大義を掲げ、ブリスベン郊外のシーフードレストランで働き始めた私は、当初の目的であったバリスタとして働くことから、自身の行動が乖離している現状を直視できずにいた。その瑕を、稼げるという副次的成果で埋め合わせ、満足さえしていた。しかし、意図せず得た金銭は次第に膿み始め、私を意図せぬ方向に導き始めていた。
私はカブルチャーで一緒にアドベンチャー・タイムを眺めた日本人がブリスベンに住み始めたことを知り、連絡をとった。彼はスケートボードの練習を始めたと言って、我々は夜な夜な集まり、川のほとりでガタガタと騒がしい音を鳴り響かせていた。夜景の映り込んだ川面は僅かに波打ちながら世界を歪めていた。屋根付きのベンチには、自身でも何故そこに座ったのか理由がわからないような人々が、途絶え途絶えに現れては消えた。私たちも彼らの一員で、片足をホイールのついた板に乗せたまま、もう一方の足で川の上に迂回路として整備された桟橋のような道を強く蹴り上げていた。私は、枯れた川に残された水車が風に吹かれ、自身の本来の役目を思い出しながら朽ちていく様を想像した。
「なぁフォーティチュードバリーって知ってる?」
「なんすか、バンドですか?」
「いや、隣町」
「いや、知らんすけど」
「いいもの売ってるらしい」
ニヤつきながら私を見つめる彼の白目は、黄色味がかっていて、毛細血管が紫色を帯びて這っていた。小柄で細身だが、胴の長さと顔の大きさが際立つ彼の顎には、丸い磁石に吸い寄せられた砂鉄のような髭が不揃いに並んでいた。私は川の流れる音を聞きながら、虚を見つめた。後方からバタバタと足音が聞こえた。一人のランナーが私たちに一瞥をくれた後、何事もなかったように走り去った。
「行ってみますか」私はランナーが見えなくなってからそう言った。
「よし、土曜の午後でいい?」
「はい、大丈夫です」
次の土曜日、我々は隣町の駅で待ち合わせ、適当に食べ物を調達した。目的地にはいくつかの坂を上り下りしてたどり着いた。広い道路が整備された閑静な住宅街のマンションの一室のチャイムを私たちは鳴らした。
よく焼けた肌にウェーブした髪を肩まで伸ばした日本人男性が恍惚な笑みで姿を現した。彼は私たちを部屋へ通すと、お茶の準備を始めた。聞き慣れない茶葉の名を勧められ、私は受け入れた。彼は私たちに背中を向けたまま、最近同居人が引っ越したので、部屋が伽藍としているのだと語った。大きなリビングを備えた3LDKの部屋を又貸しして日銭を稼いでいたが、新しい住人を探すのも面倒なので、部屋を引き払うつもりらしかった。
彼は茶を淹れ終えると、緑色に染まったミルを携えて、私たちが腰をかけていた窓際の大きなクッションまでやってきた。
「はい、ユーカリ茶です。どうぞ」
「あ、ユーカリ茶だったんだ。初めて飲みます」
「美味しいですよ。まだちょっと熱いかも」
私は湯呑みに注がれた異国の茶から漂う湯気に顔の先端を浸した。熱い湿気は緑の硬い葉が燻る情景をもたらした。
「いい匂いですね。ユーカリってあのコアラが食べる葉っぱですよね?」
「そうです。コアラがユーカリの葉を食べる理由知ってます?」
「え、知らないです。なんか毒があるって聞いたことあるけど」
「そうなんです。ユーカリの新芽には毒素が強いものがあるらしくて、彼らはそれを食べてハイになっているそうですよ」
「嗜好品として楽しんでるってこと?」
「それもあるかもしれませんが、生存戦略としてユーカリの葉を食べることになったそうですよ。地上での競争では勝てない彼らが、樹上に上がり、さらに他の生物があまり食べない毒性のある植物を食べることで生き残ったとか」
「色んな生き方があるんですね。それで自分達だけハイになって暮らせたら幸せ者ですね」
「確かに。でもユーカリの葉の毒を分解するために一日十六時間以上寝ないといけないらしいです」
「めっちゃ寝ますね。ナマケモノみたいだ」
彼は会話をしながら器用に巻き上げたジョイントを私の隣でケラケラ笑っていたスケートボーダーに手渡した。
私が目を覚ますと、太陽はずいぶん低い位置まで下りてきていた。私が寝転んだビーズクッションの周りにはポップコーンやチョコチップクッキー、スパイシーなトルティーヤチップスが散乱していた。肌のよく焼けた長髪の男が、私の前で目を瞑って緑のラベルのコーラを飲んでいた。彼は二重瞼を開き横目でこちらに気がつくと、私にまだ封の開いていないコーラを差し出した。クッションに沈み込んだ体が重く、私はそれを受け取ることができなかった。代わりに手元の冷め切ったユーカリ茶で口を濯いだ。私はそこでやっと、自分の心臓が激しく運動し、身体中が汗ばんでいることに気がついた。視野は狭窄し、寝ている間に見たであろう悪夢が舞い戻ってきた。
私は夢の中で、何かに追いかけられていた。それはビルの間に潜む大きね目玉のようであり、空高く舞うハゲワシのような、絶対に逃れられない存在のように思われた。それはおそらく、私が今まで人生の中で学んできた社会の規範を守る門番のような存在で、その規範から逸脱するものに裁きを与える存在として、私自らが作り出した虚像なのだろうと思った。その存在は、私が社会から逸脱せぬように、私の主体を押し潰し、思い通りにいかぬことを我慢するように強いてくるのだった。
私は浅い呼吸の中でそのような思考をぐるぐると巡らせていた。
「大丈夫ですか?」湿った髪を束ねながら彼が尋ねた。
「うん、大丈夫。この人全然起きないね」私は短い呼吸の中で努めて答えた。
「ちょっと強烈だったのかな。ケンさんはもう一本行きます?」
「いや、私ももう十分だわ。てかもう帰らないといけないんだ、この後少し用事あって」
私は嘘をついた。この後に用事などなかった。あってもこのような状態で行ける所などごく限られていた。重たい怠惰な空気から私はなんとか抜け出す必要があった。私は明確な目的もないまま、急かされるように立ち上がった。一体いつぶりに立ち上がったのかわからないほど体が鈍っていた。何かをせねばならないという先入観に苛まれながら、彼にお礼を言って、私は足早に階段を降りた。覚束ない足取りのまま、またいくつかの坂を越え、横道に細い階段を見つけて道草を食ったり、街に集う人間たちの中を息を潜めて通り過ぎた。
いつもの長い階段を登り切った時には、日は暮れて、日中の日照りで熱った体を優しく冷ます穏やかな風が道路を抜けていった。私は沼のような眠りの底で、私を見張るあの存在とまた相対した。彼は言った。
「ここでやりたいことがあるのならやれ。ないなら他に探しにいくがよい」
彼は黒衣を被り、その影から巻いた角と黄色い目を覗かせていた。瞳は一文字を描いていた。
私は翌朝、目を覚ますと、皆が仕事に出払った後で、テラスに出て背筋を伸ばした。そして、オーストラリア国内のクライミングスポットを探し始めた。どうやらタスマニア島はボルダリングエリアが豊富らしい。リードクライミングではビレイヤーを探す必要があったが、ボルダリングならマットさえあれば一人でも楽しむことが可能だと私は考えた。さらに、これからの時期、タスマニアではリンゴやチェリーの仕事が増え、チェリーピッキングは上手くいけば大金を稼げるという話だった。心が躍る情報だった。私は農園や宿の情報、さらに現地で車が購入できるか等を調べ始めた。
すでに日本に帰国していた聡から連絡があった。
「就活めっちゃ大変だわ。みんなこんなことしてたのマジで尊敬する」
「俺は次はタスマニアでチェリーピッキングのジョブハンティングすることにした」
「おお!タスマニアいいな!お互い頑張ろう!」
「イエス!就活がんば!聡ならなんでもできるぜ、きっと」
私はスケートボーダーに自分の仕事を譲り、ブリスベンの街を出た。