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逃走線 其の二 (ロードトリップ①)

 あの街で、私は彼女を待っていた。

 その街は、ケアンズから南へ一四○キロほど進んだ位置にあった。私は彼女が不在の数日間をそこで過ごした。薄いサファイアブルーを基調としたバックパッカーホステルに滞在しながら、その土地の規模や求人を調べていた。
 バナナ生産を主産業とするその街には、バリスタと呼べるような専門職は存在しないようだった。私はここで、自分の求める仕事や住み心地の良い地域を目指して移動するべきだった。
 しかし、私はその街でバナナ農園の仕事のウェイティングリストに名前を登録した。
 そして、私は彼女を待ってしまった。

 彼女を待つ間、私は気ままに過ごした。オープン階段を利用してクライミングのトレーニングを行い、先客のイギリス人からギターを習い、同部屋の日本人達とは馴染めないまま過ごしていた。別の部屋の日本人とは仲良くなったが、我らは私と同じくワーホリ二年目の人々だった。同部屋の日本人達はワーホリ一年目であった。まだ三年目の申請制度がなかったこの時期においては、一年目と二年目の間には大きな心持ちの違いがあった。無知ゆえに何でもできる気がした一年目と現実を知り旅を収束させ次の目的地を決めなければならない焦燥感を抱く二年目だった。
 その焦燥感を抱きながら、私はなぜ彼女を待ってしまったのだろう。



 私はオーストラリアへ行く目的をバリスタになるためと設定していた。ワーキングホリデービザの期限は原則一つの締結国に一年までであったが、当時のオーストラリアでは農業等の特定労働に三ヶ月間従事することでもう一年のビザを取得することができた。
 そのため、私は一年目は農業で稼ぎながら英語力を伸ばし、二年目にバリスタとして働く計画を立てていた。実際には、まともに英語を喋れないと農業といえども稼ぎの良い仕事を得ることは難しく、バリスタとなればより高い英語力と長期のトレーニング期間が必要であった。そのため、この計画は実に疎かなものであった。
 それでもなんとか異国の地での生活を開始した私は、複数の土地で仕事をしながら、一年目の終わりにはタスマニア島というオーストラリア最南端の島へ辿り着き、車を手にしていた。
 この車の中で口説いた女性が、私がタリーで待ってしまった彼女である。

 タスマニア島のチェリーシーズンが終わると我々は次なる目的地を求めた。バリスタの経験が積めればどこでもいいという気持ちと、せっかくオーストラリアに来たからには観光を楽しみたいという気持ちを併せ持った私は彼女の提案を呑んだ。
 それは、彼女の妹がウルルに遊びに来るのに合わせて、その近くに住んでおきたいという要望。それと彼女の友人の結婚式に合わせて、日本までの航空券が安いケアンズの近くに住んでおきたいという要望だった。
 私はあまり自分の願望を言語化することがうまくなく、押しも弱い方だった。結局、彼女が描いた通りの旅程を進むことになった。一年目の終わりだった。

 二年目をウルル近くの砂漠のど真ん中で始めた私たちは、なんとか仕事を得て、蓄えを増やしていった。それはこれからの旅の資金であると同時に二人で夢見たカフェの開業資金という名目でもあった。
 そこでの生活を終えると、私は彼女をケアンズへ送り届けるために四日間で二四○○キロを陸路で走るという挑戦的なロードトリップを始めた。
 リロケーションというレンタカーの車を元のエリアに戻すシステムを利用して、格安で借りた、六人乗りのベンツの大型キャンピングカーによる旅路だった。



「ローニー、僕らは再来週でこの宿を出ることにするよ」
「そうか、残念だよ。これからどこへ行くんだい」
「陸路でケアンズを目指すつもりさ」
「それはいいな、俺も若い頃おじさんと一緒に同じ道を旅したことがある。出発前にまた寄ってくれ、おすすめのスポットを紹介するよ」
「ありがとう、楽しみにしてる。それじゃまた」
 私が大家に挨拶を告げて彼の部屋を後にすると、あたりには大量の自転車のフレームとタイヤが転がっていた。彼から我々入居者に与えられる移動手段だ。秋になるとこの街の路上には鋭く尖った針を持つ植物の種子が転がっていた。日中の激しい日差しと砂漠の乾燥した空気も相俟って、自転車のタイヤはよくパンクした。そのタイヤ修理も彼の仕事で、その作業の多さに驚いた私は、彼の仕事を手伝おうかと申し出たことがあった。結局、任されることはなかったが、それから雑談をするようになっていた。
 見たことはなかったが、彼の奥さんは日本人で共に暮らしているらしかった。一度部屋に上げられて、骨董品のような品を紹介されたが、私にはその良さがわからなかった。彼はいつも穏やかながら疲れているようにも見えた。年齢のせいか、あるいは猫背の大きな体躯がそのような印象を与えたのかもしれない。容姿の特徴といえば、毛量のある白髪が、もみ上げから鼻の下を通って、顎まで繋がった顔であった。

 それからタスマニア島から一緒に旅をしてたくさん助けられてきたミナにも別れを告げた。
「アキラさんともとうとうお別れか、寂しくなるね」
「ね、ミナがいなかったらここまで旅を続けられなかったと思う。本当にありがとう」
「それはこっちのセリフだよ。というか八ヶ月も一緒にいたんだね。オーストラリアで一番長くいたわ」
「確かにマオより長くいたな」
「マオさんとうまくやりなよ」
「正直不安なんだよな。タロとミナとマオと私の四人のバランスで上手くやっていたとこがあるから、ミナの通訳なしでマオの言っていることをちゃんと理解できるか自信がない」
「まぁ困った時は連絡してよ、LINEは繋がっているわけだし」
「そうだね、心強いよ。ありがとう、本当に」
 私はそう言ってミナと軽いハグを交わした。

 出発前夜、ローニーの元を訪ねた。
「今日が最後の夜か」
「そうなんだ、それで前に言っていたケアンズまでの旅路について聞きたくて」
「あぁそうだったな、ちょっと待っていてくれ」
 彼はそう言うと、数枚の紙と数本のペンを取り出してきた。上がり込んだリビングダイニングには艶のある深茶色の食器棚とテーブルセットが配置されていた。
「まずはデヴィルズマーブルズだな」
 彼はそう言いながら、青いマジックペンで引いた幾つかの線の上に黒いボールペンでプロットしていった。それから青い線で道を書き足しながら、幾つもの黒い点が増えていった。時折、彼は当時の風景を思い出すように斜め上を見上げながら輝きを含んだ微笑みを浮かべた。
 そうして受け取った手書きの地図は三枚にも及んだ。
「四日間ではすべては回れないかもしれないが、ここのカーテンフィグツリーは見たほうが良い。他では見れないぜ」
「ローニーはこれを何日間で回ったの?」
「一ヶ月」
「オッケー、ほとんど見れないと思うけど、可能な限り回ってみるよ。ありがとう」
「無事を祈るよ、アキラ、マオ」

 次の日、私たちは開店時間に間に合うようにレンタカーショップに向かった。拙い英語で受付に向かうと、外国人に慣れているそぶりのスタッフが愛想よく予約の確認をし、車を手配してくれた。二トントラックを思わせるその巨大なキャンピングカーを目の前にした時、私はかすかに身震いはした。
「この巨大な車を私は運転できるだろうか」
 受付を担当してくれた女性が簡単な車の使い方をレクチャーしてくれた。水や電気の使い方、排水の仕組み、ベッドの組み立て方、その他保険の確認や傷の有無などを一緒に確認した。
 異国の地、初めての砂漠、眩しく光る太陽と砂、巨大な車、短期間での長距離運転、陸の孤島との別れ、ケアンズ以降の不確定な生活、それらが混じり合って、私の心をジリジリと乾かしていた。それでいて、その焦りを隠すように私は、道化じみた陽気さで振る舞っていた。

 荷物を積み込むためにキャンピングカーでローニーの家まで戻った。レンタカーショップの駐車場や街の道路は十分に広く、私はそれほど苦労せずに運転することができた。強いて違和感を感じたことと言えば、どんな車を運転する時もそうだが、アクセルとブレーキペダルの遊びとミラーの位置だった。特にミラーの位置については今まで運転したことのない車幅であったため、慣れるのに少し時間がかかった。
 荷物を積み終えると、私たちは簡単なメッセージを付箋に残して、ベッドに貼り付けて去った。出発間際にたまたま通りかかった韓国人男性にマオは挨拶を交わしていた。私は見たことがなかったが、ローニーの家には私が想像する以上に多くのアジア人が住んでいるようだった。そしてその建物の作りと連なりを正確に把握している者はいないように思われた。

「いよいよ、出発です!どんな気分ですか?」
 マオが顔中の微細な筋肉を駆動させた笑顔で私に問いかけた。
「不安半分、ワクワク半分と言ったとこでしょうか」
「わかります。でもアキラくんとならきっと大丈夫!疲れたらいつでも言ってや、運転変わるから」
「オッケー、ありがとう。では出発します!」
 そう言って私たちが出発したのは昼を過ぎてからのことだった。それから食料品を買い溜め、キャンピングカー内の冷蔵庫に格納した。殺風景な乾燥地帯の道を走り始めると、マオはビデオを回し始めた。
「アキラくん、今の気分はどうですかー?」
「、、、割と感動しています。こんな巨大なキャンピングカーでロードトリップができるなんてすごいよね」
 私は自らの感情を表す適切な語彙を見つけられないまま、カメラを向けられた脅迫感を避けきれず、宙に湧き出した言葉から適当な言葉を選んで紡いだ。
「イエーイ!私たちはこのままケアンズを目指しまーす」
 マオはそう言って撮影を終えた。彼女はおそらく、何か旅番組のロケのような振る舞いを求めていたのだろう。確かに、タスマニア島にいたころ、私たちは他の友人たちも含めてそのような遊びを頻繁にしていた。しかし、私はメインキャストではなかったし、私の活躍の場としては言葉遊びのような仕組みを考えるか、めんどくさい話をして、他のメンバーのリアクションを引き出すような役割だった。
 白けた雰囲気が漂いそうになったことを察してか、マオは次の話題を振り始めた。
「とりあえず最初の目的地はデヴィルズマーブルズですね」
「そうだね、なんかコロコロした岩があるらしい」
「今日中には行けるかな」
「何キロくらいある」
「んーとねー、四○○キロくらい」
「いや、結構あるな。行きたいけど、日が暮れたらどこかで休もうか。近くにキャンプ場あったっけ?」
「ちょっと待ってなー、あるで!マーブルズのすぐ近く!その前にガソリンスタンドもある」
「完璧やん。そこで給油して、キャンプ場泊まって、朝日と共にデヴィルズマーブルズを拝みますか」
「そうしましょう」
「てかテント貼らなくていいのめちゃ楽だな、車停めたらそのまま寝れるじゃん」
「しかも、キッチンもワインもありまーす」
「最高かよ」
「一家に一台いかがですかー?」
「検討します」
 これからの予定を確認しながら、適当な会話を交わしていると、対向車の運転手がすれ違いざまにハンデジェスチャーをしていることに気がついた。徐に私も挨拶を返す。
「何それ、かっこよ!」と、マオが見開いた目をこちらに向けてきた。
「なんかみんな手をあげてくるから返してみた」
「かっちょえー!!私もやりたい!」
「運転変わったらやってみなはれ」
「うん!!」
 私は彼女の天真爛漫な態度を愛すと同時にそばに置いたときの心地悪さを感じていた。

 しばらく車を走らせていると、徐々に陽が傾き始めていた。七月初旬、南半球では冬の季節で、日はそれほど長くはなかった。
 運転に飽きてきた私は、休憩も兼ねて一度停車し、マオにハンドルを任せることにした。
「さぁマオさんの運転です。ハンドルを握った気持ちは如何ですか?」
「最高です!どこまででも行けそうな気がします!」
「はーい、どうやらとても興奮しているようです。現場からは以上です、スタジオにお返ししまーす」
「お返ししまーすやあらへんよ、早いな」
「これ以上撮れ高なさそうだったんで」
「いや、あるある、これからが見せ場やん」
「いや、俺はBGM担当しなきゃいけないから」
「それええな、お願いするわ」
「BGMはギターの生演奏でーす」
「ヒュー最高でーす」
 私は当時覚えたての幾つかの曲を拙い手つきで演奏した。
「持つ曲は以上です」
「ありがとうございまーす」
「ここからは練習タイムになります」
「どうぞー、あっ!待って!!」
 突然の大声に私は驚いた。
「チャンスタイムきました!!」とマオが続けた。
「チャンスタイム?」
「ほら、対向車来てる!!」
 私は彼女が対向車との挨拶を交わしたがっていたことを思い出した。
「ではカメラ回しまーす。マオさん初めての挑戦です!!」
「ブォー」という気流と巨大なエンジンの複合音が振動とともに車内に伝わってきた。日本ではみたことのないサイズの大きなトラックに巨大な丸太が沢山積まれていた。
 肝心のマオはというと、照れたぎこちない笑顔で、力の抜けた二本の指を額に寄せていた。
「なんやねん、それ!中途半端やな!!」
「むずいわ、緊張してもうた」
「次のチャンスを待ちましょう」
 私はそのように言いながら、何が難しく、緊張することがあるのか理解できなかった。

 それからしばらくの間、私は練習中の曲を繰り返し弾いていた。あたりは暗くなり始めてた。乾燥した土地には灌木がまばらに生えていた。見渡す限り山のようなものはなく、どこまでも平坦な土地は、まるで自分が地球の中心にいるかのように錯覚させた。
 完全に陽が落ちた頃、遠くに光が見えた。
「間も無くガソリンスタンドに着く予感です」と、私は告げながらスマートフォンでマップを調べた。電波が弱くなかなか読み込まなかった。
「うん、あれは間違いなくガソリンスタンドですね」
 近づいた光を見て、マオがそう言った。私も頭を上げて確認する。確かに平たい屋根を数本の高い柱が支えて煌々と光るその姿は、間違いなくガソリンスタンドだった。しかし、その奥の薄暗闇の中には建物が群れているように見えた。
 私は街とは呼べないこの土地にガソリンスタンドを営みながら、その隣に自宅を設けたオーストラリア人の姿を妄想した。ようやく読み込みを終えたマップを見ると、そこにはキャラバンパークがあるようだった。しかし、人気はなく、我々はガソリンを入れてしばし休憩することにした。
 ガソリンスタンドの奥の壁には宇宙人やUFOの絵が描かれていた。人気のない平坦な乾いた土地に浮かぶその姿は、まるで宇宙ステーションのようだった。そこに停車した大型の真っ白いキャンピングカーはさながら惑星を旅する宇宙船のように見えた。
 それから私たちはデヴィルズマーブルズの近くのキャンプ場まで移動して、簡単な夕食を作った。パプリカと牛肉の炒め物、焼いた食パン、それにグーンと呼ばれる格安の箱ワイン。色はもちろん赤だった。
 六人用のキャンピングカーには三つのダブルベッドが用意されていた。初夜は後部座席のベッドを使用することにした。組み立てがもっとも簡単そうに思えたからだ。

 翌る日、マオが作った簡単な朝食と私が淹れたコーヒーで朝の飢えを凌ぐと、私たちはすぐにデヴィルズマーブルズへ向かった。
 日の出直後であったが、そこには何組もの観光客がそれぞれに奇岩群を楽しんでいた。記念写真を撮る者たち、登ろうと試みる者たち、ドローンで上空から撮影してる者もいた。
 私たちはこの絶景の中でビデオレターを撮ることにした。私は母の誕生日に向けて、マオは友人の結婚式に向けて撮影した。暖かい朝日と冷たい強風の中で撮影されたそれらの動画を見直す。私は自分の声が好きではなかった。鼻にかかった声量の小さな軟弱者の声だ。態度もフラフラ、ヘラヘラ、ニヤニヤとして意志の弱さが感じられる。内容も実に薄い上に、そのことを容赦してもらえると甘え腐った末っ子長男らしい思考が見え見えだった。私はそのことを感じつつ、言語化できないまま、故に改善もできぬまま、旅を続けていた。

 奇岩群に別れを告げ、私たちは車を走らせた。次に停車したのはテナントクリークという金鉱山跡地が残る街だった。道中には過去に使われていたであろう特殊車両や大型工具、顔ハメパネルなどが配置され、観光地されているようだった。
 ここにはローニーに勧められた金鉱山博物館があるはずだった。私たちは観光案内所を見つけ、ドアを開けた。
「あら、こんにちは。何かお困りかしら?」と、受付の女性が声をかけて来た。内部の作りはシンプルで、ドアを開けるとすぐに受付カウンターがあり、両端にパンフレットや簡易マップが配置されていた。受付の女性は膨よかな体格にブロンドヘア、そしてブルーアイズを併せ持ち、中老を超えた年頃に見えた。
「ケアンズまで旅をしているのだけれど、ここに金鉱山博物館があると聞いて来ました」
「ええ、もう少し進んだところにあるわよ」
「全体を見るのにどれくらいかかるかわかります?」
「そうね、二時間程度かしら。もっと観ようと思えば見れるけれど」
「そうですか」
 私たちにはあまり時間がなかった。細かいスケジュールを立てずに始まったこの度にもデッドラインは設定されていた。それはマオが予約した航空機の時間だ。国際線であることを考えると三時間前、少なくとも二時間半前には空港に着かなくてはならない。
「今回は諦めて他のところを少し回って観ることにします」
「そう、あまり時間がないのね。ちなみにどの経路でケアンズまで行くのかしら?道中にも見所は沢山あるわよ」
「えーっと、なんて言ったかな、次の大きな道を曲がってまっすぐ行って、、、」
「あなたたちマップは持っているの?」
「いえ、持っていません。ナビとスマートフォンを使って進む予定です」
「まあ!オーストラリアを旅するのにマップを持っていないなんて信じられないわ!」
 彼女はそういうと、木製の棚を漁ってラミネートされたオーストラリア全土の地図を取り出してきた。
「今あなたたちがいるのがここ、この先のウォーウマングでバークレイハイウェイに入らなきゃダメよ」
「わかりました。前の宿のオーナーがくれたマップも見ながら行くよ、手書きだけど」
 彼女は少し驚いた表情をして、本来売り物だというそのラミネートされたマップを私たちに渡してくれた。彼女はその風貌と優しさを含めて、端的に言って洋風ゼニーバであった。

 私たちは大型のガソリンスタンドで給油をしながら適当な昼食を拵えた。辺りには見たことのない大きさの巨大なトラックが無数に停車しており、私は巨人の街に迷い込んだ心地がした。
 それからまた変わり映えのしない乾燥地帯のハイウェイをひたすらに進んだ。時折、道路脇に止まった鳥の群れが私たちの旅路を揶揄うように道路に飛び出し、車体が生み出した気流に乗って空高く飛び立っていった。
 次第に日が暮れ始めた。私は当時聞き込んでいた曲を数曲、口遊んでいた。ほとんどが、ギターの練習曲で、ほとんどが、タロから教わったものだった。おそらく英語圏でのコテコテのラブソングとして人気を博していたエドシーランやディズニーの名曲だった。
 日が暮れて、辺りに暗闇が満ちた頃、私はある野望を覚えた。異国の地で異国のラブソングを聞いて柄にもないことを成し遂げてみたくなったのだ。今は知っている道は、ローニー曰く、無限の星が眺められるスポットだった。確かに辺りには人工物がなく、幾億光年の彼方から届く光子を妨げる強い光はないようだった。いや、厳密には道路の彼方に町の光がうっすらと見えていた。完璧とは言えないながら、まるで世界には私たち二人と彼方の星々しかないかと思わされるロケーションであった。私はその星空の下でキスを交わし、私たちがいるところに愛があるのだと彼女に伝えたかった。
「ここらで少し星空を眺めてみない?」
「いいね、降りてみよう」
 そう言って私たちは道路の脇に適当な平地を見つけて停車した。交通量は少なく、近づいてくる車はその暗さの中では数キロ先であっても十分に知覚できた。しかし、完全に闇の中かと言われると、やはり先の街が発するドーム状の淡い光と欠けた月が私たちの姿を捉えているようだった。
 私はしばらく停車した車の辺りを歩き回っていた。それは愛の言葉を囁く前の緊張をほぐすためと、共に寝そべって星空を眺められるロケーションを探すためであった。その間、マオは気ままに星空を眺めていた。結局私は、車が来るかもしれない道路に寝そべって星空を眺める度胸を持てないまま、愛の言葉を囁くタイミングだけを探して無策なままマオに話しかけた。
「そこそこって感じだね」
「うん、でも結構綺麗だよ。あっ!あれ、流れ星かな」
「あれは衛星じゃない?だいぶゆっくりだし」
「衛星?って人工衛星?見えるんだ!」
 そこで会話は途絶えてしまった。愛の言葉と幾千の星空の下でのキス、このロマンスを体現する力が私にはなかった。私はマオとの関係に愛を見つけられているのかわからなくなった。
 体が冷えてきて、車に乗り込むと前方にはやはり大きな街の光がぼんやり浮かんでいた。
「お前のせいでロマンチックな気持ちになりきれなかったんだ」と、私は心の中で悪態を吐きながらアクセルを踏んだ。

 人工物を感じさせない満点の星空という私の理想を壊した正体は、強大な銅鉱山の街だった。その街に近づくにつれて光は強くなり、夜9時を過ぎても、その街は眠ることを知らないようだった。無数のトラクタが光を焚きながら砂の谷を這い出てくる光景は、巨大な蟻地獄の建設を思わせた。
 オレンジ色の街灯が並ぶ街道を走りながら、私はもう少しこの街をよく知りたい気持ちと先を急ぐ気持ちを抱えていた。その街は私の好奇心を誘った。この街のモーテルの近くに泊まって翌朝、光が満ちたこの街の姿を見れるならみてみたい。そんな気持ちの中、マオが助手席で今日の宿を探していた。
「街を過ぎた辺りにキャンプ場がありそうだよ」
「どれくらい離れていそう?」
「車で三十分」
「とりあえずそこに向かってみようか」
 私は三十分の距離であれば翌朝少し戻ってくるか、戻らないまでも朝の街の雰囲気を味わえるかもしれないと期待した。
 キャンプ場に着くと、キャンプサイトに空きがあったが、受付はすでに閉まっていた。電話を鳴らしてみても応答がなかった。ここに泊まって翌朝にスタッフに事情を話して支払いを行えば問題ないだろう、そう思いつつも、私は実に臆病でリスクを取ることができなかった。それはマオの大胆さに対して反作用的に出現した私の特性なのか、元々の私の特性なのかわからなかった。タスマニア島で男三人旅をしてる時は、もっと大胆に冒険的に挑戦的に振る舞えていた。彼らの前では見せられた失敗する姿をマオの前では見せたくなかったのかもしれない。失敗を恐れて些細なリスクすら取れなくなっていた。急ぐ旅路では確かにトラブルは避けるべきだと思われたが、気の弱い自分が惨めに思えた。
「他にもキャンプ場ってあるんだっけ?」と、私はマオに尋ねた。
「待ってな、もう一つあったで。こっから四十分くらい、そこはフリーキャンプ場みたい」
「そっちまで行こうか」
「うん、運転変わろか?」
「、、、いや、大丈夫、四十分くらいなら」
 そう言って私たちは一つ目のキャンプ場を後にした。私は長距離運転よる疲労とこの旅の中での一つの目的であった、星空の下でのロマンスを実現できなかった後悔、さらにあの街を朝の姿を見られなくなる惜しさを抱えていた。しかし、私はマオの運転技術を信頼できておらず、特に夜間に関しては不安が大きかった。それゆえ、休憩を欲しながらもハンドルを握り続けた。
 次第に乾燥地帯を抜け、辺りの暗闇には茂った木々が増えていた。時折、その茂みの中から煌めく二つの光が覗いていた。どうやら放牧された牛が柵を越えて道路脇に進出しているらしかった。ヘッドライトを見つめるその姿は間の抜けた表情でありながら、野生の秘め事を覗き見された牛たちの怒りの前触れにも見えた。進むにつれて彼らの数は増え、道路に進出してくる個体もあった。事故の危険を感じて、私は自分で運転することを選んでよかったと思っていた。束の間、彼らは明らかに車体に身を寄せてきていた。速度を緩めて徐行すると、私たちは気づかぬ間に牛たちの群れの中にいた。前後左右を彼らに囲まれ、その速度に合わせて進まなくてはならなかった。
 私は未知の体験に快感を覚えつつ、張り詰めた神経に嫌なノイズが走っているのを感じた。
 群れを抜けて、キャンプ場に着くと、私たちはまた簡単な夕食を済ませて、眠りについた。二日目の寝床は、運転席と助手席の上部のロフト部分を使用した。

 翌る日、私たちは日の出を眺めながら出発した。明日の朝にはケアンズに到着しなければならなかったが、残りの道程を確認すると、千二百キロが残されていた。この旅の半分の道のりだ。四日間の旅と言いつつ、実際に使える時間は三日余であることの緊迫をようやく感じ始めた私は覚悟を決めた。昼間の運転をマオに任せ、夜通し走るためにロフトで仮眠を取る作戦にしたのだ。
 しかし、昼間の揺れる車内で運転に不安を感じながら眠れるほど、私の神経はたくましくなかった。結局、ゴロゴロと時間を持て余して、助手席に戻った。マオが退屈しないように何か話でもするべきかと思いつつ、私は彼女に許可をとってギターの練習を始めた。
 でも、やはり場の調和を破壊してまで自身のわがままを通すことは、私には難しかった。練習は一人でするものだ。人といるときはその人との時間を大切に味わいたい。だからこそ、私には一人の時間が必要だった。人といれば、その人のことばかりになってしまう。自分の目的を全うするには孤独になる必要があった。
 この二人旅という拘束を余儀なくされた道程で、私はそのことを言語化できなままでいた。

 陽がまだ東側の空に張り付いていた頃、立ち寄ったガソリンスタンドには、見事なピンク色の花を咲かせた百日紅が立っていた。私は朝日に照らされたこの花の色と青空のコントラストをこよなく愛していた。私が青空に、マオがこの花のように華やいでいてくれれば良いと願った。これらを照らす光はなんだろう。
 高い建物のない、パステルな雰囲気を醸した手塗りの外壁の家が目立つその街を抜けて、私たちは先を急いだ。
 三日目の街並みはみるみると過ぎ去っていった。使われているのかわからない単線の線路沿いで昼食を食べ、巨大なトラックたちとすれ違いながら、その間隔が短くなってきた街々を過ぎ去っていった。
 陽が西の地平線に近づいた頃、私たちは鏡ばりの浅い川の上を通っていた。一車線の交通量の少ない橋を渡ると、綺麗に整列した木々に挟まれた直線道路に出た。その広い道幅をカンガルーの子供達が横切っていった。彼らには社会性があるように思われた。
 以前、ボクシングのように決闘している二頭のカンガルーを観客のように取り囲む群れを見たことがあった。彼らは私たち人間の存在に気がつくと、すぐにそこを立ち去った。つまり、本当の決闘ではなく、娯楽や儀式のようなもので、生存をかけた争いではなかったのではないかと思った。
 今、一斉に帰路に着くように見える仔カンガルーたちも昼間のうちは学校に行って、夕焼け小焼けを聞いて帰路に着く子供達のように夕飯を想像しながら、道路を往く車両になど目もくれず、家族のもとに帰っていくのかもしれないと思った。
 彼らを轢くわけにはいかない。ハンドルを握るマオにそんな話をしながら、私は不意に彼らが飛び出してこないか注意を払い続けていた。ルームミラーには眩しい西陽が映り込んでいた。夕日に焼かれた赤土の上を私たちはひたすらに進んだ。

 暗くなってきて運転を変わった私がいくつかの街を置き去りにした。ローニーに聞いたフィグツリーやホットスプリングが近づきつつあったが、観光するには夜が更けすぎていて、私たちには時間がなかった。あらゆる観光を諦めて、私はアクセルを踏み続けた。
 長距離運転による疲労と星空を思い通りに楽しめなかった無念、そして何十時間も小さな車内で他人と二人で過ごすストレスが重なって、私の精神は疲弊し切っていた。一度停車して仮眠を取るか、マオに運転を任せるか、とにかく休息をとった方が安全であることはわかっていた。
 けれど、すでに日を跨いだこの夜の道の運転をマオに任せて仮眠を取ることは私にはできなかった。私がやらなければならない、そのような自己犠牲的な義務感が私を苛んでいた。面倒見が良い、そう評価されることの多い私は、誰かの面倒を見ることで自分の居場所を見つけ、相手に依存され、自分も依存し、自分自身の目的を等閑にしてしまう悪癖があった。それは相手を蔑むことにも繋がり、デフレスパイラルのようにお互いを堕落させていく側面もあった。
 そのような癖を正しく認識できないまま、私はその居場所を手放すことができなかった。その覚悟もない軟弱な存在であった。

 陽が昇る前に私たちはケアンズに辿り着いた。夜明け前の最も暗い時間に煌々と輝きを放って私たちを迎えた黄色いMのマークに安堵を覚えた。長旅の後、思考が停止した時に打ってつけの食べ物だ。日本の倍の価格の大きな看板商品を食し、私は生きてここまで辿り着けたことに感謝した。マオが何を考えていたか、私にはもはやわからなかったし、聞くこともできなかった。感謝されたとて、この居心地の悪い依存が強まるだけであるし、感謝されなければ報われないと知りながら献身に磨きがかかってしまうことを私は無意識に感じていたのだろう。
 店の駐車場で仮眠を取ろうか迷ったが、私の倫理観がそれを阻み、公営の駐車場へ移動した。空が白んでいた。私は少しだけ仮眠をとった。その間、マオは荷物をまとめていた。隣に駐車したセダンに反射した日差しで目を覚ます。あたりには車が増えていた。私たちは二週間の別れを惜しんで、セックスをした。すべてのカーテンを閉めて、狭いキッチンでの行為だった。あまり勃たなかったが、すぐに逝った。
 空港に大型キャンピングカーが停められるかわからなかったので、マオをウーバーで空港まで送り届けた。
 任務は完了した。空港の周りのマングローブを眺めながら街まで帰る。水を持たずに出たので、冬季とはいえ、熱帯雨林の暑さで体は悲鳴を上げていた。途中の自動販売機で水を買い、パブリックなバレーコートを眺めながら休憩した。沿岸沿いの公園を歩き、海を眺めた。ケアンズの海といえば、グレートバリアリーフなどの透明度の高い鮮やかな印象であったが、その周辺は干潟になっていて、地元の泥色の海を思い起こさせた。
 駐車場に戻ると、ほぼ満車状態だった。公営プール用のシャワーが近くにあったので、数日ぶりに体を洗った。やっと心の安らぎが訪れた。
 あと一日、この巨大なキャンピングカーを借りていられるため、私は周辺で行きたいところがないか探し始めた。ローニーに紹介されたフィグツリーなどを見に行っても良かったが、一人でそれだけの距離を行き来する元気はもうなかった。
 結局、私は車を返すことにした。
 しかし、縦に二台分の駐車スペースを使用していたその巨体を駐車場から出すのは一苦労だった。何度も降りながらミラーでは見えない周辺の状況を確認して出庫を試みた。すると、気の優しいオージーたちがハンドサインで誘導してくれた。彼らに笑顔とハンドジェスチャーで感謝を伝え、私はレンタカーショップを目指した。

 車を返すと、私は数日の間、ケアンズのバックパッカー用のホステルに滞在した。適当に自炊用の食料を買い込んで共同キッチンの冷蔵庫に空きスペースを見出して格納した。初日はただひたすらに寝ていた。当てがわれたドミトリーには三人組の西欧女性たちがいた。彼女らは昼間の間、私のように暇を持て余しているようだったが、夜になると着飾ってどこかへ繰り出していった。私は宿が提供するフリーディナーにありつき、満足していた。一緒にフリーディナーの列に並んでいたヨーロッパ人らしき男性に話しかけてみたが、話すことも英語力もなく、会話は続かなかった。
 翌る日、朝食にベーコンと卵を食べようと思って、キッチンに向かうと、私が買い込んだ食材はどこかへ消えていた。バッグに名前を書いておいたはずだが、治安の悪い宿だったかと悔やみ、一体どこのどいつが犯人だと憎しみを込めながら冷蔵庫の扉を閉めると、そこには「Free Food」の文字が記されていた。宿を去るときに余った食材や大量の貰い物を置いておくスペースだったようだ。自身の浅はかさと罪のない人間を疑った罪深い自分に恥辱を覚えた。
 この日は、たまたま近くに滞在していた、タスマニア島時代の友人とお茶をした。お互いの近況を交換しつつ、ワーホリの先輩である彼のアドバイスをもらっていた。主に彼も経験したバナナファームの話を聞いていたが、彼は私をマオとの関係に興味があるようだった。私は私たちの関係をうまく言語化できず客観視できていないことに決まりの悪さを感じて、適当にはぐらかしてしまった。
 それから結局、私はマオのセカンドビザ申請要件を満たすためのファームジョブに付き合う形でバナナファームがある街へ移動することを決めた。バリスタの仕事を探すなら農園のある田舎町よりケアンズに滞在する方が間違いなく良かった。

 だが、私は彼女をタリーという街で待ってしまった。


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