「みんな、コミュ力中の下」説
「私、コミュ力高いから」という人がいる。そういう人は、初めて会った人ともフランクに話すことができること。初対面の人がたくさんいる飲み会が好きであること。人見知りをせずにどこでも自分の話をできることを武器だと思っている。そんな人を”コミュ力強者”と呼ぶことにする。
でもだ。
色々な人と関わる中で、上記の理由=「コミュニケーション能力が高い」というのはおかしいのではないかと思うようになってきた。そもそもコミュニケーションとはなんなのだろうか。
つまり、AIが要したものを要すると、「目に見える言動だけではなく、他者への想像力と最適なアクションのこと」だと思う。ならば「”コミュ力強者”はコミュ力は高いのだろうか?」という疑問が浮かび上がってくる。なぜなら”コミュ力強者”が相手との距離感を踏みにじっていく様子を私はよく見てきたからだ。
一人でそっとしてほしい人にズカズカとかけ寄り声をかける人。よかれと思っていらないサービスをしてくる人。ずっとずーっと自分の話をし続けるひと。自分のことを”コミュ力強者”と思っている人ほど俯瞰で自分を見ることができていない。
かのいう自分は”コミュ力弱者”である。初めて会った人とフランクに話すことは難しい(めっちゃ人柄や様子を見て距離感を探る)。初対面の人がたくさんいる飲み会は手持ち無沙汰になってソーっと帰りたくなる。そもそも人見知りはしないが、とても気を遣いすぎる。
しかし、「一人になりたいんだろうな」という空気を感じるとあえて話しかけない。そっと心にパーテーションを開き「なにかあれば声をかけてね」という空気を残した上でそっと置く。自分の話をするのではなく、自分の話をしていない人に話を回す。そのために口火を切って話題をつくり、自然な流れでその人に話をふる。
一体どちらが”コミュ力強者”なのだろうか。どちらも”コミュ力強者”であり、どちらも”コミュ力弱者”であると思う。しかし共通することは、表面的に話をすることがコミュニケーションではないということだ。
しっくりと来た回答を最後に。