エイリアス

退職して2週間があっという間に経ってしまいました。

組織から離れることで、もっと寂しさや後悔が残るのかと思ったけど、思いの外あっさりした心持ちに自分でも驚いています。

意識的に退職後の2週間に予定を詰め込むようにしました。
それは過去の経験上「きっと寂しくなる」と思ったので、先回りをして楔を打つようにしました。成長です。

でもあまりにあっさりしているので「あれ、これで良いのかな?」と逆に心配している毎日です。

「辞めたよ!」と言ったことで色々な人が声をかけてくれます。
時間潰しのお茶タイムも、イベントの企画も、ちょっとした家財の運搬も。

お金ではなく、1人の人間として声をかけてくれることが嬉しいし、混じりっ気なしに「いきたい!」「会いたい!」と思うことに時間を使う幸せみたいなものを感じている毎日です。

とはいえ、めちゃめちゃ清々しい訳でもなくて、先が決まっていないことで、不安みたいなものもしっかり胸の中に残っています。

「キャリアブレイクやってるよ!」と明るく前向きに話すようにしているけど、根本的に突き抜けて明るい人間ではないので、怖さや恥ずかしさもしっかり抱えているし、その後ろめたさから目を背けないようにしています。

結果的に、躁状態でも鬱状態でもない毎日で、これはこれで健康的だなと思っているので面白いなと思います。

変化があるとしたら、心持ちが変わったなと思うのです。

それはなんというか、「自分はタレントなんだ!」という意識が生まれました。

今年に入っての半年間はどこか「燃え尽きた」ようでした。
電源の入らないミニ四駆みたいな。

「この仕事、なんのためにやってるんだろう?」とか「自分では良いと思えないことを、PRなんて出来ないな」と言う気持ちでいっぱいでした。

絶望していました。最愛に思っていた会社や日常の風景を「おもしろくない」と思うようになってしまったことを。前向きに捉えると「価値観の変化」や「アップデート」とも捉えられるけど、その文化の中にいると「みんな頑張っているのに、自分の役割を果たすことができない」と申し訳なさが勝ち続けました。独走で優勝でした。

いま思い返せば、組織の中の人として時間を過ごしすぎたのではないか?と思っています。選択権や意思みたいなものを、組織に委ねてその判断軸で生きていたような気がします。そして組織の信頼や価値観、文化みたいなものの影に隠れて、自分を後回しにし過ぎたなと思っています。別のコミュニティで学びを深めてみたり、飲み会に参加しなかったりすることで、個の自分を保つカードを切っていましたが、いつの間にか「辞める」というジョーカーしか残っていませんでした。

退職したことでその鎧がとれて、自分という身がむき出しになりました。
鎧がとれて防御力は弱くなったけど、その代わりに身軽になったなと思います。

「メタ思考」という本の中で「エイリアス」というキーワードが出てきました。
「エイリアス」とは、会社や組織にいる自分を自分の全てと認識するのではなく、あくまで自分が持つ機能の一部を提供しているだけというものです。仕事場、プロジェクト単位、友達との交流の場、それぞれの自分があって、自分の全て(アイデンティティごと)をその場所に捧げなくても良いという考え方です。

平野啓一郎さんの「分人」とも似ている(ほぼ一緒?)考え方ですが、「エイリアス」というカタカナの方がスーッと入ってきました。

きっと組織やプロジェクトの中では「バランサー」や「調律」的な役割や、誰かがいて、何かが起こったことに対しての「翻訳家」「仲介者」などの役割がフィットすると思います。だけど心の中には「ピン芸人」な自分もいるし「職人」のようにこだわりたい自分もいます。

個人で働いていくのか、会社に属して働いていくのかは分かりませんが、どちらにしても「エイリアス」を意識して、自分のアイデンティティも守りながら生きていこうと思いました。

いま2週間が経って、新しい電池に変えて、新しいモーターもつけて、ミニ四駆がウンウン言ってるような感じです。

あー、働きたいな。
と、肩をブンブン回しながらウズウズしているエイリアス(タレント)

ちゃんと休みましょう。
と、ポカリ片手に優しく声をかけるエイリアス(マネージャー)

まぁ大丈夫。これも強みになるから。
と腕を組みながら冷静にみているエイリアス(プロデューサー)

どのエイリアスも、全て私。

もうしばらく、焦らずに不安な時間を楽しみたいと思っています。

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前田 彰
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