「コンプレックス」は、夢となる。#かなえたい夢
▶︎そもそも
母子家庭でひとりっ子、父親の顔は今まで一度も見たことがありません。脳に病気を持っていた母は、体調を崩していたことが多く、近所で暮らしていたおじいちゃんとおばあちゃんに育てられました。
高校生の頃におじいちゃんが亡くなり、後を追うようにおばあちゃんも亡くなっています。そして25歳の頃あたりに、お母さんも亡くなりました。
「前田家、全滅」。
親戚付き合いのなかった自分にとって、「家族」という存在は無くなってしまったも同然でした。
▶︎例えば
”家族のような人”たちに救われた経験
その後、縁があって“家族のように”心配をしてくれる人や、世話を焼いたりしてくれる人と出会うことができました(ラッキー!)
元気がなければ食事に誘ってくれたり、お金がなければ仕事を作ってくれました。家族がいない人にとって、そんな”家族のような人”がいることで精神的にも経済的にも救われてきて今があります。
ただ、それはそれでめんどくさいと思うこともありました。
家族じゃないのに、家族みたいな距離感で接されても困るのです。
必要以上の距離感で詰められてくると「んぐぐ、、」と拒否反応が出てきます。良かれと思ってやってくれていることに感謝はしつつ、自分のテリトリーには土足で上がってこないでねと思っているのです。
「あなたは家族じゃない」
人にはそれぞれ、ちょうどいい距離感というものがあるのだと思っています。
なんとなく生まれる孤独感
もう1つ、「家族」という存在がいなくなってから、定期的に孤独感を感じる機会が増えていきました。
例えば、友達と盛り上がった飲み会の帰り道。
例えば、風邪を引いて寝込んだ夜の部屋。
例えば、と思いつけないほどふとした瞬間。
「あ、身内がいないんだな」と、不安が襲ってくる機会が生まれるようになりました。
中でも、大晦日の日は1番孤独を感じる1日です。
「今年もよろしくね〜」と、新年の挨拶を済ませた後、それぞれの家へと帰っていく。
「みんなには帰る場所があって、自分には無いんだな」
ということに気づき、そこでぽっかり、穴が開きます。
毎日顔を合わせる訳ではないけれど、なんとなく誰かがいる安心感というものは、生きる上で必要なのではないかと思っています。
騒音すら、安心感に変わる
昔、こんな事がありました。
隣の人や上の階の人に誰が住んでいるか知らない時、ちょっとした音が漏れてきただけでイライラが止まりませんでした。
しかし、シェアハウスやご近所付き合いがあり、誰が住んでいるか知っている人であれば、足音や壁つたいに漏れてくる騒音は「あー、今日も元気に生きてはるわ」と、むしろポジティブに捉えられるようになりました。
むしろ、人の気配を感じて安心感がある。
「今日、嫌な事あったのかな?」とか「遅くまで仕事してお疲れ様です」とか、顔の見える人を思いやる気持ちが自然と湧いてきました。
▶︎つまり
日常的に他者との関係性は保ちつつ、自分だけの空間やプライベートの時間もしっかり保てる時間を担保されている。
だけど、ふと寂しくなったり必要な時に関わり合える関係性は欲しい。
そんな日常生活を作ってみたいのです。
▶︎企画「2030年までに、コレクティブハウスを運営する」
コレクティブハウスは、独立した住まいを持ちながら、一部の空間を共有し、他者とゆるやかにつながりを持ちながら生活する共同住宅のことです。
入居している人同士、血縁関係などありません。
しかし、子育てや家事等を皆で分担しながら生活することができる。高齢者や共働き世帯、シングルマザー等、助け合いながら生活することできるライフスタイルのことを指します。
最近では「コミュニティ・ハウス」という言葉も生まれています。「ソーシャルアパートメント」のような、プライバシーをしっかりと保った上で、同じ物件内にリビングがあるなどしてコミュニティ形成も可能。そんな物件が当たり前の選択肢になっていくと思います。
一棟、まるごと、コレクティブハウス
夢は、「コレクティブハウス」と「コミュニティハウス」、2つのハイブリット型です。
学生だけ、社会人だけ、家族世帯だけ、高齢者だけ、
そんな枠組みを取っ払って、同じ物件で暮らします。
学生も、社会人も、家族世帯も、高齢者も、
「も」の家です。
学生は社会人に進路相談をし、高齢者は若者の人生相談にのり、家族が揉めてたら、みんなで良い感じに仲裁し、高齢者の健康状態を見守りをしつつ、お互い様な暮らしをつくります。
1階には地域の居間となるカフェを作り、住民以外の人がふらっと訪れる環境をつくります。そこに介護や看護の相談が気軽にできる場も併設することで、福祉的なケアに触れるキッカケを結びつけます。
住居スペースのうち数部屋は、ゲストハウスとして登録します。海外からの観光客も、日常の中に混じってもらうことで、住民も観光の人もお互いが新しい価値観と出会うことができます。
里親制度を活用して子育てを行ったり、保育園やフリースクールを作っても面白いなと思います。他人の子供も”家族”の一員。みんなで成長に見守る経験を生み出します。
「孤独の解消」につながる
2030年には独居世帯が4割を越えると言われています。
しかし、「well-being」を妨げる最大の要因は「孤独」です。
1人で食事を食べること、寂しさを感じることは、心身の健康状態に大きく反映されます。
新たな友達や仲間との繋がりによって、心理的な安定感が生まれます。
社会的もサポートが得られ、相互の理解や支えが生活にプラスの変化を生むこともあるかもしれません。
「ちょうど良い距離感」が最大の防災になる(はず)
一人は好きだけど、独りは嫌だからカフェに行く。
別に話すことはないけれど、知り合いが働いているお店に行ってみる。
だからと言って、ずっと誰かと一緒にいたいわけではない。
自分で距離感を選べることが大事だと思っています。
僕はこれを「ちょうど良い距離感」と言っています。
困った時に、頼れる人がいる。
なんとなく、気にかけてくれる人たちがいる。
何かあったら、なんとかなると思える場所がある。
一棟の家の中だけではなく、近所にそんな「ちょうど良い距離感」を保てる場所があれば、きっと有事の時に力になると思っています。
「家族の概念ごと塗りかえる」
一般的に家族とは「夫婦の配偶関係や親子・兄弟の血縁関係によって結ばれた 親族関係」のことを指します。
しかし”本当の家族”だからこそ、できないことや苦しいこともあると思っています。
”本当の家族”とは切っても切れない縁だからこそ、”家族のような人たち”との暮らしを作ることで、あらゆる人の「ちょうど良い距離感」を作り救うこともできると思っています。
コンプレックスは夢となる
「孤独」と「家族」
そしてもう一つのコンプレックスは「自分が何者でもない」「何も生み出すことはできない」ということです。
たくさんの仕事を経験して、その場所場所に圧倒的な人がいて、その度に挫折して、自分自身を探し続けてきました。
しかし、この文章を書きながら改めて思いました。
僕は、自分が良いなと思うものを「ちょうど良い」感じに編集して形にしていく人間なんだと思います。
今回の夢は、これまで経験してきた仕事、暮らし、希望、絶望の中から湧き出た夢です。夢をかなえる為に、現在の仕事を通じて「編集する力」「言葉の力」「届ける力」「人としての力」を鍛えあげていきたいと思います。
これが僕の、「かなえたい夢」です。