とりとめもない
この前、「真面目で繊細な人は、この世の中は生きにくいから、気にせず生きろ」と言われた。確かにその通りだと思う。(自分が「繊細だ」と言うのはあまり好きではないが、心の中で理解することが大事だと思う)
数ヶ月前、芸人さん同士がSNSで炎上していた。その時、なぜか自分も心が苦しくなってしまった。自分の中で湧き上がるその感情に驚きつつも、いつもこんな感じだったなと思い出す。
どうしてこんなに悲しいのだろう。
そして「他の人はなんで心が苦しくならないんだろう?」と考える。SNSの世界では、見ている人々の反応や感情の渦が伝わってきてしまう、時にそれが自分をも包み込むような感覚になる。遠くから見ていたのに、渦の中に巻き込まれていくような感じ。
例えばテレビ番組でのドッキリを見れない自分にも似ている。誰かが傷ついたり、悲しんだりするのを見ると、どうしても同情してしまい、笑うことができなくなってしまう。笑うことができないというのは、心の中でその人の痛みや苦しみを感じてしまうからだろうか。
他人の苦しみを自分のものとして受け止め、彼らの痛みを感じることで心が揺れ動く。こうした感情は、どこかで「自分にも起こりうることだ」と無意識に感じ取っているからこそ、共鳴してしまうのかもしれない。
ここ最近の変化とするなら、「それでもいい」と思えるようになったことだろうか。成長なのか退化なのか「どっちでもええわ」と諦めているだけなのか。
偏らないこと、群れないこと、染まらないこと。
社会的な価値のあることから、くだらないことまでが同じ棚に陳列されるSNSのタイムライン。現実世界もそうだが、心の中で唾を吐いたとしても、誰かにその唾をかけないようにしたいと思った。
自分という存在を大切に保っていたいと強く思う。むしろ「保っていたい」という表現の方がしっくりくるのだ。周りの反応や世の中の価値観に左右されることなく、自分のペースやリズム、そして価値観を大事にしたい。
他者がどうであれ、私は私であり続けたい。
それだけで十分だと思うようになった。
「真面目で繊細な人は、この世の中は生きにくいから、気にせず生きろ」
そんなアドバイスに「わかってるけどできないんですよねー」と言いたくなったが、吐きそうになった唾を飲み込んだ。