新時代の仲良し。つながりへの渇き
関係性の築き方はすごく進化・変化している
「ねえねえ。一度も直接会ったことないカップルとか生まれるのかな」
コロナでオンライン化が進んだ時にそんな話を妻とした。
結論そうなっていると思う。
オンラインで恋愛感情は持てるし、
「付き合ってる人と初めて会う日」(なんやこの小説)なんてことも起きている。
恋愛感情はさておき
ぼくは人との信頼関係は、対面で会い、酒を飲み交わすことで成立する。と思っている節がある。
小学校以来の友人(お風呂入ったり、お泊まり会したり喧嘩して泣いたり泣かされたり)、中高の友人(部活を一緒にしたり)、大学の友人(お酒飲んで将来のことを共に悩んだり)
親友と呼べる関係性は長い時間かけて養われるものだ(った。)
ただ、オンラインでつながれるようになったり、クラブハウスのようなSNSで顔を合わせずに仲良くなれたりしていることもある。
これはいくつかの視点で見ることができうると思う。
薄い関係性と書いてるが、対面でしか関係を気づけなかった時代との対比でして、オンラインで出会わせていただいた&今後も出会わせていただく様々な方との関係性が薄っぺらい。とかの意味では決してありません。
友達の閾値
友人の閾値がめちゃめちゃ下がってきた。
一度もお会いしたことない人を知人、友人と呼べるようになってきた。ただ、人間が関係性を保つことができる人数の数には限りがあると言われているので(ダンバー数)
①今までは関係性0。だと思われていた「薄い関係性」を知人、友人と認められるようになった。
②ダンバー数はあるとして、ライフステージによって関わる人が変わるようになった。(これはポジティブな意味。ある時期仲良しで、疎遠になり、また仲良しになる。なんてことが普通に繰り返されていく)
総じて、ぼくらが一生で関われる人数は増えた。
仲良しの目的
目的意識も変わったのかなと。社会の流動性がまし、複数の依存先があることが自律していると言われている時代に、様々な人と薄いつながりを持っておくことが生存戦略なんだろう。
仲良しとは少し意味が違うが、マスメディアに対しての「影響力のある個人」または、「良い情報をシェアするような知人」からの情報を取得していくこともやはり生存戦略としては適している。
信頼コストの低下
こいつは何者なのだ。ということを、ある意味でわかりやすい時代がきている。その人のプロフィール、情報の受発信履歴を検索できる時代なので、経歴、趣味、思想などもわかる。
FBの共通の知人を見て、「あ、この人仲良くなれる!」って人いるよね。
(知らんけども)僕の父の世代は徹夜で酒を飲み交わし麻雀して仲良くなってたんじゃないかしらん?それを思うと、ぼくらは徹夜で麻雀はしなくなり(お酒は飲んでいた)、今の人たちは酒すらも飲まない。
けども目的を満たす分だけの信頼はできるようになっている。
さてクラブハウス。
twitterのタイムラインで盛んにクラブハウスが流れている。クラブハウスが招待制だったこともあり、インフルエンサー的な人から情報が漏れてきている。(不思議なもので自分がジョインする前は「ちょっと嫌な感じだな」とか思っているぼくがいました笑)
様々な価値の側面があり、多くの”実験”が行われているけれど
偶然の出会いに必要だったのは関係性の薄さ(=ハードルの低さ)だったんだなと。
15分だけ、偶然に顔を出さず(というのも顔を見ると緊張しちゃうので)おしゃべりする。今まではそれを何度繰り返しても0。だった関係性が様々なログとして残り0.1、0.2と積み重なっていく。
それを思うと
お金を払って、交流会にいき、誰かわからない輪の中に飛び込んでいっていたあのパーティは相当ハードルが高かった。かつ
それができる人は稀だったのでそこにオラオラできる人は「強い」時代だったのだ。(政治家さんでも名刺をひたすら配りまくる方がいる。強いなあ。と思ってみている。)
出典:アメリカンフットボールの起源と歴史
コミュニケーション能力の重要性が言われるようになって久しいが
①0→1をつくる飛び込み(大学生で言われるコミュ力)
②交渉、対話でwin-winをつくる力
の①の重要度は変化していくだろうな。
関係性のポケットは生まれそうだが
薄く広い関係性と、家族。というところで人は社会生活を送るようになるため、今の僕らが思っている親友。みたいな関係性には穴(=ポケット)が生まれそうな気もする。
が、徹夜で夜通し麻雀したわけではないが、親友はいるし、それもポケットをポケットとして認識されないようになる気がする。
一連の社会変化は不可逆的だし、今思うと予想できた未来だったかもしれない(当たり前のことを言っている)(ついでに言っておくと、家族観もやはり多様な形へ変化するだろう。固定的画一的なものから、一人の人生のスパンでも、ステージごとに構成や範囲も変わるようになるだろう。)
一方でこの新時代の社会性はテクノロジーというインフラに支えられているものが多分にある。デジタルデバイドへのケアは今後よりいっそう大切だ。
総じて多様な人と出会えることの喜びと期待が大。
一方で人類はつながりへの渇きを持ちけるんだろう。という問いは自分の中に持っておく。