見出し画像

伊福部昭 交響譚詩 第一譚詩 考察:追憶と進むことのない行進

こんにちは、12月はオケ尽くしの井上です。
交響譚詩の演奏会が近い!ということで、僕の大好
きな交響譚詩の第一譚詩について、色々書いていき
たいと思います。

交響譚詩は、伊福部昭が戦時中の実験の影響で亡く
なった兄の追悼のために書いた曲です。詳しくは
調べてみてください!
前回の悲愴同様に、「ここは!」というポイントを
かいつまんで考察していきますので、よろしく
お願いします!
また、今回は譜例を載せれないので、代わりに
イチオシの音源と、その音源の秒数を目印に書いて
いこうと思います!分かりにくくてすみません🙏

・参考音源

僕のイチオシ音源は、山田一雄×東京交響楽団(1962)のコチラです!初演者でもあるヤマカズの演奏は
テンポが速く、それでいて独特なルバートがあり
ます。この節回しとも言えるような歌い方が伊福部
らしさを際立たせていると思います。
ぜひ聴いてみてください!



・過去に惹き込まれる一撃(0:00~)

冒頭の強打はアウフタクトになっています。譜面を初めて見る誰もが驚くポイントでしょう。
それはまるで、突然異世界に飛ばされてしまった
ような印象を受けます。この曲が子供時代の思い出
を表しているとすれば、その異世界はきっと過去
です。

なにか昔話を語るには、まず場面と人物が必要
です。人物は旋律、あるいは楽器だとすると、あと
は場面を整える必要があります。交響曲や交響詩に
おいては「序奏」とも呼べる部分です。それが、
この曲ではアウフタクトの一撃なのではないで
しょうか。
拍頭ではない、たった1拍の「序奏」です。

・4拍子の行進(0:56~)

第2主題からは伊福部を代表するような4つ打ちの
リズムが現れます。第二譚詩や日本狂詩曲にも登場
するこのリズムは、この曲が4拍子であることを強烈
に示唆しているように感じます。

この曲はそのスピード感から、2拍子にも聴こえる
かと思います。しかしこの曲は単純に行進出来る
ような曲ではありません。
軽快に並ぶ8分音符たちは、しかしひとつひとつが質量をもち、重いのです。

第2主題のリズムに話を戻しましょう。1拍目に低く 重い音が来たあとに、強弱の差がない3音が均等に
続きます。西洋音楽であれば3拍目に重みがあった
り、次の拍頭に向けて軽いクレシェンドがかかると
思いますが、伊福部の音楽にはそれが無いように
思えます。
それはまるで「4本足の行進」のようです。
人ならざる何か、神聖なる獣のようなイメージを
持ちます。楽器を変えつつただひたすらに繰り返さ
れるそれは、確かに音楽を前へ運んでいますが、
決して軽くはありません。むしろ音楽を沈みこま
せるようなベクトルです。矛盾しているかのような
このふたつの特性を持つこのリズムは、伊福部作品
の持つ独特な「日本の音楽らしさ」を感じさせるの
です。

・遠い日の情景(1:19~)

4拍子の行進と共に曲は進行し、やがて第3主題とも言えるような旋律が現れます。
極めて描写的なこの音楽は、Vn.によるフラジオに
よって霞がかったような雰囲気を持ちます。
ぼやけてはっきり見えない、忘れかけた過去の
ような描写です。
やがて低音楽器へと引き継がれ、夕暮れのような
ノスタルジックなサウンドとなります。

さて、唯一ハッキリとした音色を持つものが
います。四拍子の行進のリズムです。霧がかった
世界の中で鮮明に聴こえるそれは、生命の律動の
ような、身体に刻まれた忘れることの無いものなの
でしょう。

・時の歪む音楽(2:15~)

この曲はソナタ形式ともロンド・ソナタ形式とも
解釈できる作品ですが、いずれにせよここから
第二部、展開部が始まります。
まず特徴的なのは、Vn.のオスティナートの上で歌われる旋律です(2:26~)。これはTrp.によって復唱され
ますが、その際は倍の音価に引き伸ばされます。
また、鐘のような響きが3回繰り返された後、
コールアングレによって呪文のような音形が繰り返されます(2:49~)。こちらはティンパニと共に不安定
な周期をもち、突然早送りになったような音形が
挟まります。 

突然0.5倍速や2倍速になったように感じるこの展開部は、まるで時が歪んでいるかのようです。過去の
追憶の中で、壊れたカセットのように、途切れたり繰り返されたりします。少年時代の記憶って、断片的なものですよね。全てを鮮明に思い出すことは
出来ませんが、おぼろげな記憶の中に確かに過去は
存在します。

・1拍子の刹那(4:39~)

再現部に入り第二主題が再現される部分で、伊福部は新たな色を加えてきます。
第二主題に突入する刹那、4分の1拍子の空白を伊福部は書いています。これはカンマで音楽を区切って
も同じ効果を得られるようですが、そうではありま
せん。「拍」を持った小節がそこにあるのです。

カンマやG.P.が音楽の短い「休止」であるとすると、伊福部の書いた4分の1は「流れの中の空白」
です。音楽の流れは一切止まっていません。テンポ変化の指示もありません。
この刹那の空白が、その先の柔らかいヴァイオリンとファゴット、そして低弦のpizz.を際立たせて
います。しかしそれでいて時間は淀みなく進んで
いきます。

・温かい過去、冷たい現実(4:39~)

ヴァイオリンソロやファゴットによって温かい音楽
が続き、やがて膨れ上がっていきます。まるで大切
な記憶に近づいているかのようです。
しかしトロンボーンの蠟燭を吹き消すような鋭い一音と、チェロのバルトークpizz.によって突如温かな
世界は失われてしまいます。冷たく乾燥したような 激しいpizzは、兄を失った現実と結びつくように
感じます。過去の温もりと現実の冷たさ。ここから音楽は「怒り」のような感情を帯び始めます。

・行進から地団駄へ(5:34~)

第3主題の再現では、ホルンの独唱とともに4拍子の
行進が変化した形で現れます。重い2つの音と、呼応
するように付随する2つの音。もはやこれは「行進」ではありません。その場で大地を踏み鳴らすような
「地団駄」の音楽です。旋律がおまけに聴こえる
ほどの激しいリズムのユニゾンは、負の感情を
持っているように感じます。

「交響譚詩」は、戦時科学研究の放射能障害に
よって病没した次兄・勲の追悼の為に書かれました。きっと伊福部昭は、どこにもぶつけることの
出来ない感情をこの曲にぶつけたのだと思います。兄たちと遊びまわった遠い日の回想と、現実の残酷さがひとつの音楽で紡がれた時、名状しがたい感情が「地団駄のリズム」となって永遠に繰り返されるのです。

・低音域の歌(6:18~)

長い地団駄の後、コーダに入るとシャルモー音域のクラリネットとファゴットによって3つの主題を繋ぎ合わせたようなリズミカルな旋律が歌われます。
ここから数十秒間の間、伴奏も含め低音域のみの
音楽となります。しかしそれでいて旋律は極めて
活発で輪郭のハッキリした音楽です。激しい地団駄から陸続きに繋がるこの部分は、依然として怒りやくやしさに似た感情を帯びているように感じます。特にクラリネットとチェロバスの歯切れの良い
サウンドは、どこかロックのような味がします。

・おまけ:開放弦の響きはなぜ「日本的」なのか

伊福部作品のみならず、数多くの邦人作曲家の曲に頻出するのが、弦楽器の開放弦を用いた表現です。「交響譚詩」でも、ヴァイオリンの譜面は開放弦
だらけです。
ではなぜ我々は開放弦の頻出するこのような音楽を「日本らしい」と感じるのでしょうか?

あくまで僕の予想ですが、開放弦のサウンドが
「雅楽」の「笙(しょう)」の響きと近いからでは
ないでしょうか?
開放弦はその名の通り、指で押さえないで弾く音
です。つまりは「ビブラート」がほぼかけられ
ません。そして弦楽器ですので、均一な音を出し
続けることができます。そして隣り合う弦は
「完全音程(完全五度)」です。
この特徴が、雅楽の「笙」とかなり一致します。
笙がどんな音色か気になる方は、下記のYoutubeを見てみてください。

雅楽で最も有名な曲の一つ「越天楽」です。

この動画の最初にやっている「音取」というのは、要するに「チューニング」です。その「音取」で
最初に吹き始める、和音のような音が「笙」です!

・完全音程が含まれる
・ビブラートのない均一な音程
・チューニングで鳴る音

かなり開放弦と共通点があると思いませんか!?
ちなみに笙は、吸っても吐いても音が出る楽器なので、永遠に吹くことができます。ここも開放弦と
近いポイントです。

この雅楽に由来するサウンドが、日本らしい音楽に感じる所以なのかも?と考えています!


さて、最後は雅楽の話までしてしまいましたが、「交響譚詩:第一譚詩」の考察は以上になります。ここまで読んで下さりありがとうございました!
ではまた~


いいなと思ったら応援しよう!