界のカケラ 〜124〜
この世には生死を測る天秤があるのだろう。
私たちの世界と魂の世界の狭間に天秤が置いてあり、そのどちらかのカケラが多くなって生きようとするのか死のうとするのか、また生き続けるのか死ぬのかが決まってくるのだろう。
いや、それは違うかもしれない。
この世に生を受け存在した時には生の世界の皿にはカケラが大量にあり天秤は振り切れている。そして、同時に死の世界にも一定数のカケラが存在する。
私はこのカケラを”界のカケラ”と呼ぶことにした。
この世で生きていく中で私たち世界のカケラが少しずつ皿から落ちていき、最終的にこちらの世界の皿にあるカケラ以上に死の世界の皿のカケラが多くなっていくのだろう。
カケラはどちらにも積み上げていくことができるが、肉体と精神のバランスで自動的にカケラが調整されていくこともあるかもしれない。
ただ、わたしにはもう一つあるような気がしてならない。それはかけがえのない存在からのカケラの譲渡だ。何かの意味があってカケラが一時的であっても増えることがあると思っている。
赤橋さんが生野さんの命を助けたことで、赤橋さんが持っていたこちらの世界の皿のカケラが生野さんに移動した。そのカケラが戦後復興の時に生野さん夫婦と周りの人たちを守ったことで移動したカケラが落ちていき、反対側の魂の世界の皿に移動した。
そして生野さんが私と話した後に亡くなったこと。
こちらの世界の皿に最後まで残されていた生野さんのカケラ。これは私に何か伝えなくてはならないことがあったから残されていたのかもしれない。
日向 楓さんの場合は旦那さんとお子さんが女性に生きていて欲しかった。そのため無意識に鍵を開けていた。そして義母にすぐに発見されるようにカケラの音や他の音で知らせた。
その後、私に治療をさせて、あの事件を起こさせた。そして昨日の話のやり取りから経験したことを私に伝えさせた。
これらは憶測だし正しいことは誰にも分からない。
ただ一つだけ確かなのは、昨日という一日はすべてのタイミングと話すことがすべて仕向けられていたのかもしれないということだ。私が怪我をして入院し、十一日目の入院最終日にこれらが起きたのもすべてそのためだったのだろう。
魂が決めてきたことを私たちは覚えていない。
それゆえに魂にとって不本意に事が進んでしまうことが多いと思う。その都度、魂の声を聞ければいいが、その声が届かない人が多いはずだ。だから聞ける人に仲介に入ってもらうか、今回の私のように強制的に聞ける状態を作ることもあるのだろう。
ただそれが良いか悪いかという二元論で考えたくはない。
それを変えることを魂は決めてきたかもしれないし、魂自体も覚えていないことがあるからだ。それよりももっと大事にしなければいけないのは、お互いの不完全さを支え合えることではないだろうか。