界のカケラ 〜116〜
人の帰りを見送るのは、私にとって難しいことの一つだ。
仲の良し悪しに関わらず、サヨナラをして相手が振り返らない限り、相手を引き止めてしまう。その割に話すことを考えておらず、お互い気まずい思いをしてしまう。この癖は大人になった今も変わらないでいる。
この癖は、幼少期に両親が仕事で出かけてしまう寂しさから生んでしまった。朝早く出掛けて、夜遅くに帰ってくるので両親と話す時間がなく、朝の時間を逃すと話せないことが多かったのが原因なのは自覚している。
自覚しているなら注意すれば治るのではないかと思われがちだが、幼少期の寂しさなどの不足感から生まれてしまった癖は、注意していても出てきやすいのではないかと思っている。あくまで個人的なものだから私以外に当てはまらないだろう。
なぜそんなことを思っているかというと、二人を見送るタイミングを逃してしまったからだ。医師モードであれば時と場所にもよるが普通にできるのに、私生活では普通に出来ない。仲の良い友人ならそのことを知っているので、あっさりと別れられるのだが、そうでない場合は敷居が途端に高くなってしまう。
強引にも返すわけには行かないので困ったことになっている。このしんみりとした空気をなるべく壊さずにお帰りいただくにはどうしたら良いだろうか。
コンコン。
ドアをノックする音がした。
時計を見るといつの間にか十二時の十五分前だった。あれから二時間弱話していたことになる。話の内容と臨死体験からもっと経っていると思った。でも何にしてもこれはチャンスだった。
「昼食の配膳に参りました」
「ありがとうございます。今ベッドのテーブルを準備します」
配膳してくれる係の方は昨日も良いタイミングで来てくれた。今日も偶然とは思えないほど良いタイミングで来てくれて助かった。これもゆいちゃんの計らいか。と思ったが、そんなに都合よくはない。ただの偶然だろう。
「では私たちはこれで失礼します」
楓さんがそう言うと、二人揃って頭を下げてドアの方に歩いて行った。
「はい、今日はありがとうございました」
私は二人を部屋の外まで見送り、二人が離れていったタイミングで配膳の方と一緒に部屋に戻った。
昼食を食べ終えたら生野さんのとこへ行き、さっきまでのことを報告にしよう。そう思いながら運ばれてくるお膳を待っていた。
「今日って、生野さん…… いつも桜の木の下にいる年配の男性は見られましたか?」
「いえ。そういえば今日は庭にいませんでしたね。院内でも見てませんよ」
「そうですか」
「何かありました?」
「特にないんですけど、生野さんに報告したいことがありまして……」
「そうですか。配膳の係も違うので、あの方の階の担当に後で伝えておきますね。
『四条先生が話したいことがある』って」
「はい。お願いします。
私は昼食を終えて少し時間をおいてから会おうと思います」
「では、またお膳の回収の時に」
「ありがとうございます」
今日の昼食はベジタリアン向けのメニューで肉類は入っていない。肉類が得意でない私には体に負担をかけないで済む。大豆で作った疑似肉はクシュッとした食感が苦手だが、これさえ改良してもらえば美味しく食べられそうだ。
同じ大豆といえば、テンペが入ったケーキもついていた。作った人はチャレンジャーだなと素直に思ったが、思いのほか香ばしさが増してケーキに深い味わいを出していた。それに美味しかったので作り方を教えてもらいたいくらいだ。
今日も全ての料理が美味しかった。気分も上がるというもので、この気分のまま生野さんに報告しにいけるのは嬉しい。でも、まだお膳の回収までには十分ほどあるので、歯を磨いて身支度をきちんとしておくことにした。
コンコン。
お膳の回収の時間ではないし、いつもよりノックが早いことに気づいた。
「はい、どなたですか?」
ドアを開けると、いつもとは違う配膳の制服の方だった。
「四条先生ですね。私は生野さんがいる階の配膳を担当している佐々木と申します。
こちらの階を担当されている水野さんから伝言を聞いて、その伝言を生野さんに届けました」
「ありがとうございます。
それで何かありましたか?」
「はい。『今日は体調があまり優れないから、昼食後に病室まできて欲しいと伝えてください』と」
「わざわざありがとうございます。水野さんから見て、生野さんの体調はどのくらい悪そうでしたか。参考までに聞きたいのです」
「いつもより動きが鈍くなっているような気がしましたけど、熱はなさそうでした」
「わかりました。ありがとうございます」
そう伝えると、急いで仕事に戻る彼女を見送った。
私は何か嫌な胸騒ぎがしたので、お膳をテーブルの上に置きっ放しにして生野さんの病室へ向かった。