界のカケラ 〜58〜
子供が拗ねるように、体を反対側へ向かせて頭を下げている市ヶ谷さんに声をかけづらくなってしまった。見た目は大人だけど子供の心に偶然にも戻ってしまったのは誤算だった。大人の状態であれば対処できる方法はあったのだが、子供の心を開かせるにはそれなりのコツがいる。残念ながら私にはそのコツを持ち合わせていない。
さて、どうしようか。普通の叱りや喧嘩ではないから食べ物などでは釣ることはできない。かと言ってこのままの状態が長引けば、さらに意固地になってしまうだろう。生野さんも困り顔だし、もはや今の時点では打つ手はない。ゆいちゃん頼みになった。
ゆいちゃんを待つ時間は長く感じた。一分が恐ろしく長い。空気の重たさも相まって余計に時間の進みが遅くなっているように感じる。この状況を早く終わらせて楽になりたい。しかし、そう思えば思うほど時間が長く感じてしまう。時間のドツボにはまって抜け出せなくなってしまった。
仕方ないので、自分の子供の頃を思い出してみた。
両親は医者でいつも忙しかった。開業医なら時間の自由も増え、お金もたくさんあって、家も広かっただろうが病院の勤務医だったのでそうではなかった。あまり長い時間を過ごしたことなどなく、どこかに出かけるとか旅行さえも行った記憶はない。しかし勉強にはうるさく口を出しし、医者にさせようとしてきたことが鬱陶しかったが特に勉強が嫌いではなく、むしろ好きだったから学年で一番を取るのは容易かった。それに医者になることに対して抵抗感はなく、むしろそうなるものだと思っていた。親の背中を見ていたからというだけでなく、幼稚園に入る前から思っていた。
多くの人には理解できないかもしれないが、なぜか漠然とそう思うことはあるはずだ。テレビなどで一流選手ほどそうなるのが当然のように思っていたと答えている。そのために何をすれば良いかを自分で考え、愚直にそれをやり続ける。人はそれを努力と伝えているが、本人にとっては努力でも何でもなく、それが普通だと思っている節がある。むしろ努力という言葉を使う限り努力していないのと同じで、他人と比べた時点で努力の方向性が間違っているのだと常日頃から思っていた。周りからみると変人として映るだろうがそういうものなのだ。
しかしながら、昔を振り返って改めて思うのは、私は変人だったのではないか。私はそう思っていなかったがそう思う人はたくさんいたかもしれない。そんな私を理解してくれた人がいたのは高校生の頃くらいからだった。それまでは一人で行動することが多かった。友達は普通にいたが、理解を示してくれた人はいなかったのでいつも心は寂しかったのかもしれない。もう昔のことだから忘れてしまったが、人はやはり自分を理解してくれる人がいた方が心は安定する。市ヶ谷さんの場合は、周りにそういう人がいなかったから今のようになってしまったのだ。もし一人でもいてくれたら違った人生を歩んでいたかもしれない。