界のカケラ 〜102〜
「私の両親は医者なんです。だからいつも忙しくて、基本的な家事などは祖母がやってくれていました。昔の人なので、礼儀作法には特にうるさく注意されていましたね」
「そうでしたか。それで姿勢や所作が美しいのですね」
「そう見えましたか? それなら嬉しいです。小さい頃から厳しく言われていましたから、自然と振る舞えるようになったのだと思います。
姿勢、食べる時のマナー、箸の持ち方や扱い方、料理、鉛筆の持ち方、字の綺麗さを徹底的にやらされました」
「それは当たり前といえばそうなんですけど、どのくらい厳しかったのですか?」
「思い出せる限りでは……
姿勢が悪くなると背中を叩かれ、定規を入れられたり……
字や箸を使っている時であれば、手を叩かれたり…… って言うくらいですかね。
でもこれくらいは普通ですよね」
「最近の人はどうかはわからないですけど、程度の違いこそあれ、普通といえば普通ですね」
「そうですよね。まあ、当時は怖くていつも泣いていましたけど。それでも祖母のことを嫌いにならなかったんですよね。厳しくても鬼ではなかったですから。
なんでもかんでも怒るとかはしなかったですし、優しい時のことが多かったです。アメとムチの使い分けが上手だったのだと思います」
「多分そうだと思います。厳しすぎても甘やかすぎても性格が歪んでしまいますからね。先生を見ているとそうでないことは一目瞭然ですし。ただ強引なのが……」
「それは自覚しています……」
「冗談ですよ、先生」
「ふふふ。わかっています。
でも日向さんと話していて祖母の話をするなんて思ってもいませんでした」
「他にもお祖母様の思い出はありますか?」
「他ですか? 超人的にいろいろなことが出来た人ではありますね。料理も裁縫も出来ましたし、知識も豊富でした」
「知識もですか?」
「ええ。私が大学六年生の時に亡くなったのですけど、大学入学までずっと家庭教師のように勉強を教えてもらいましたから。塾や予備校に行ったことなんてありません」
「お祖母様は元々何の仕事をされていたのですか?」
「ずっと主婦だったと本人は言っていました。昔は養蚕工場で働いて、その後縫製関係で働いていたようですけど。昔は勉学よりも生活に関係する仕事をするのが女性の役割と強制されてい他ので、隠れて勉学もしていたと聞きました」
「戦争を経験されている世代ですからね。
でも先生に勉強を教えていた時点で、相当ですよね。医学部ですし」
「ええ。母も教えていたようですから、親子二代ですね。医学部も日本で一番難しいところですから、天才だったんじゃないかと思います」
「時代が違って入れば、いろいろな人生の選択ができたかもしれませんね」
「はい。今でも尊敬しています。勉強を教えてくれたことも、礼儀作法を厳しくしてくれたこともありがたいと思っています。それに寂しいときはいつもそばにいてくれたことも」
祖母のことを話していて、徐々に寂しさがこみ上げてきた。
私が今まっすぐに生きていけるのは、親よりも祖母の影響を強く受けているからだ。喧嘩したこともあったけど、間違っていることはきちんと説明してくれた。祖母が間違って入れば謝ってくれた。人として大切にしなければいけないことは全て祖母が教えてくれた。
私にとって祖母はこの世にいなくても理想の女性なのだ。祖母に恥じない生き方をすることが祖母孝行であって、私の原点であることを改めて思った。