界のカケラ 〜119〜
あれは大学六年になって臨床実習二年目になった夏に差しかかる前の蒸し暑い日だった。その日は実習が午後からだったので、午前中は家で実習の内容を復習しているときだった。
祖母の部屋で大きな音がした。急いで向かってみると、祖母が苦しそうにして床に倒れていた。痙攣も起こしていて、今にも意識がなくなりそうだった。
医学部で五年弱学び、うち一年は臨床実習をしているのに、その状況を見て怖くて動けなくなった。応急処置と蘇生措置をしなければいけないのに足が動かず、手足も震え、頭が真っ白になってしまった。
医学部に進むということは、医療で人を助けることを誓った人だ。悲しいことに全員がそうではないが、私は人を助けたいという想いがあった。
だから高齢になった祖母に万が一のことがあったら、私が救うと決めていた。それが応急処置であっても私ができる範囲でやろうとしていた。
でも実際にその状況になったら無力なんてものではない。
私という存在が消えてしまったのだ。
最初から私は存在せず、ただ倒れて苦しそうな祖母を見ている何かでしかなかった。
その状態がどのくらい続いていたかはわからない。一分かもしれないし、五分くらい経っていたかもしれない。どうしようもないくらい動かない体が悔しくて憎らしかった。
しかし、その状態を解いてくれたきっかけがあった。
大きな音が隣にも響いていたのだろうか。
塀越しに大きな声で叫んでいる隣人のおかげで我に帰ることができた。
急いで救急車を呼ぶように隣人の方に大きな声で助けを請い、私はその時知っている知識を総動員させて応急処置と蘇生措置を施した。
救急車がついた頃には祖母はすでに意識がなく、病院に運ばれてすぐに息を引き取った。
あの時、もし自分が迅速に応急処置をしていたら違っていたかもしれない。
そのことをずっと考えていた。
そして考えた末に、私は医者になる道を諦めようと決めた。
葬式は生前の祖母を慕う人たちが列をなし、人がひっきりなしに訪れていた。その列の中に誰が見ても品が良く、背筋が真っ直ぐに伸びた初老の男性がいた。まるで祖母みたいな人だと思い、一目で覚えてしまった。
私がもっとちゃんとしていれば、早く応急処置をしていれば祖母が死ぬことはなかったかもしれない。その後悔で葬式の場にいられず、会場の外にいた時に話しかけてくれたのが、その男性だった。
祖母の幼なじみで、昔から競い合うように張り合っていたと語り出した。祖母からはそんな話は聞いていなかったので、祖母の昔の様子をたくさん聞いたりした。いつもきっちりしていた祖母は昔からどこか抜けていて、おっちょこちょいだったと初めて聞いた。私が記憶している中で祖母はそんなことはなかったので、必死で直したのだろう。その話を聞いて、私にも似た部分が遺伝していて嬉しかった。
それに祖母が見えないところで私の自慢をしていたことも嬉しかった。私が医者の道に進んだことを喜んでいたが、私の性格から違う道を選んで欲しかったとも言っていたそうだ。
祖母から見た私は自慢の孫だったのだろうか。最後は苦しんでいる祖母を目の前に何もできなかった私は医者になっていいのだろうかと初対面の方に泣きながら聞いていた。
そして四十九日が過ぎた頃、家に初老の男性がやってきた。
お線香を上げた後に、仏壇の前で私にうちの病院へ来て欲しいと言われた。私は一瞬理解できなかった。まず、その男性が何をしているか方なのかを聞いていなかったこと、名前も聞いていなかったからだ。
戸惑った顔をしていたのだろうか、名刺入れから名刺を渡されてようやく今の病院の院長だということが理解できた。
私は祖母が亡くなってから考えていたこと、迷っていることを全て話した。それら一つ一つに丁寧に言葉を返してくれて、私はようやく医者になる覚悟ができた。
祖母がいなければ繋がらなかった縁、亡くなった後に繋がった縁。そうした経緯でこの街のこの病院に来れたのだ。導かれているように起きたこの出来事がなければ、今の私はいないだろう。