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グループ展「living note」を終えて 所感

この展示名が選定されたとき、
なんとなく撮りたいもののイメージがありました。

私は、精神科の病棟看護師をしています。

学生の頃、実習の中で、
精神科訪問看護ステーションに行きました。

利用者の多くは、簡易宿泊所、俗にいう「ドヤ」に住んでいる人たちでした。

カルチャーショックを受けました。

キッチンもトイレも無い中で、
お酒やタバコに埋もれて生活している人も少なくありませんでした。

「昨日もブロン1瓶飲んじゃった〜!」なんて笑っていた人もいました。

でも、利用者さんとお話したり、一緒にご飯を食べたり、
思春期の子とは、好きな漫画の話をして、
精神、社会的に課題を持っている人たちにも、一人ひとりにその人らしさがあることを知りました。

約五年前に、現職場に入職しました。

精神科の急性期病棟、閉鎖病棟というと、
ひとことで言えば、「管理的」なものです。

その人が生きてきた自宅や施設を離れて、
病棟で管理される日々。

看護ケアとして必要なことをしてはいるんです。

ただ、その人らしさが見えにくい。

私の職場では、一人ひとりを地域、それぞれの生活空間に戻すために、退院前後に訪問看護を行うことがあります。

何人か、印象に残っている人がいます。

ゴミ屋敷ではありながらも、好きなアーティストやアイドルのポスターなどが壁一面に貼られているお家、
過去に作業療法で描いた、綺麗な絵、
患者さんの父親が集めていた、鉄道関係のコレクション。

そのときに、ああ、私が撮りたいものって、ひととその生活なのかもしれない、と思ったことを覚えています。

もちろん、業務上、患者さんや患者さんのお家を撮ることはNGなので、撮りませんが。

最近は「西成ポートレート」なんてものが炎上したりもしていましたが、私は、ドヤ街に生活する人たちとも交流を持ち、その人らしさを記録したいと思うことはあります。

これは、本人のニーズ次第なんですけどね。

前置きが長くなりましたが、
「living note」というテーマの中で、
私は、ひとの生活、生活空間を撮ることにしました。

ZINEには掲載していますが、
撮影に協力してくださった方々に、あなたにとって生活、生活空間とは、とアンケートを行い、回答していただきました。

写真でいうと、技術はまだまだかなと思いますが、
私の目で、心で、「あ、良いなぁ。」と思った生活、生活空間を切り取ることができたと思います。

私の話になりますが、
子どもの頃から、片づけやお掃除が嫌いでした。

リビングを拠点に生活していたのですが、
リビングの端には、常にものが積み上がっていました。

客人が来るときに、毎度毎度、母親が整理整頓してくれるのですが、再び散らかっていくのです。

その私がひとり暮らしをしてみて、
案の定、足の踏み場も無いワンルームが完成しました。

最近は気をつけているものの、
服は畳まないままぐちゃぐちゃになっていたり、空のペットボトルがあちこちに転がっていたり、積み重なった本が点在していたり、
これは、私の「精神」を表していると思います。

生活とは、生活空間とは、
生物物理的なものでありつつも、ひとそれぞれの「精神」が反映されている場だと思っています。

病的な場もあるかもしれませんが、
それぞれの生活空間には、その人らしさもあり、私はそれが愛おしくて堪らないのです。

お邪魔させていただいたお家のみんな、
好きな写真を壁に貼っていたり、植物を育てていたり、料理を振る舞ってくれたり、
一人ひとり、好きなこと、好きなもの、それぞれ違うけれど、一貫して「豊かさ(ストレングス)」があったと思います。

これからも私は、人の生活に、生活空間に、そして、人の人生に関与していくことがお仕事です。

私は、精神看護が大好きです。

好きな学問を、学び続けていける場で働くことができるのは幸せで、天職だと思っています。

まあ、薄給なのはいただけませんけど。

精神科にお勤めして六年目、
新しい部署に移動して三ヶ月目、
働き続けていくと、病棟にいても、患者さん一人ひとりの「豊かさ」って、見えてくるもんですね。

ポートレートを取るのはあまり得意ではないのですが、
今回の「living note」の撮影は、一つひとつがとても楽しく、幸せな時間でした。

だから、多分、また私は誰かの生活や生活空間を写真という形で切り取るんだと思います。

そして、いつかまた、精神科訪問看護の場で働いてみたいと思っています。

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