明延鉱山鉄道 その1 ズリ捨て線軌道*
明延鉱山鉄道は、1円電車あるいは明神(みょうじん)電車と言う名前で 知られています。廃坑から37年たった現在でも遺構が残され、昭和の産業遺産である坑道の見学や動態保存された1円電車の体験乗車などで地域振興に役立っています。
1円電車が走っていたのは、鉱山のあった明延から選鉱・製錬場である 神子畑をつなぐ762mmゲージの路線です。坑道内も軌道で運搬が行われており、こちらは500mmゲージでした。その関係で、明延鉱山には500mmの軌道が縦横無尽に走っていました。見所一杯の明延鉱山鉄道ですので、話し出すと終わりが無いので、今回はその中から、一番好きなズリ捨て線軌道 からお話しします。
1 大仙選鉱所(始発点)
ズリ捨て線軌道の始発点は、ズリが排出される選鉱場です。選鉱場は一番 奥にある階段状の大きな建物です。一円電車の駅は選鉱場を挟んで写真の反対側になります。
選鉱場の下にある大きなアーチから、762mmと500mmの三線軌条が、建物の横を擦る様に伸びています。軒先に、「低空」架線が施設してあるのを 見て、電気機関車がこんな所を通過するんだ とびっくりです。しかし、私の頭上10センチを超える程度の高さしかない高圧電線には、肝が冷えます。
この後、500mm軌道になって、機械工場や事務所・会議室などいくつかの建物**の間を、合流と分岐を繰り返しながら走って、いよいよズリ捨て線に出て行きます。
2 軌道(選鉱場側)
山道の様な併用軌道を歩いて行くと、工事用の資材を積んだ運材台車と 鉱車に出会いました。手押しで運搬しているのでしょうか。道路兼用なので良く歩かれていて、枕木は土に埋もれてしまって見えません。
軌道は山裾をヘアピンカーブして森林の中に入り、山の地形どおりに自然に任せて曲がりくねっています。楽しい風景なので、ここで1枚欲しかったのですが、写真がありません。すみません。重大なハプニングあって鉄道どころではなかったのです。
(ハプニングについても、回を改めてお話ししたいと思っています。)
3 木工場
半径10mも無い様なカーブにびっくりしたり、草に埋もれた軌道に喜んだりしながら、数百m歩いていくと、山側に大きくカーブした所を切り開いて数軒の建物があります。
建物の前に積まれた製品から木工作業場の様です。すみません。これについては良く覚えていません。
4 変電所
少し歩いて行きますと、少々物々しい建物が現れます。裏側にある設備から変電所の様です。シンプル建物ながら、フェンスや引き込み線とのバランスが良いかっこいいストラクチャーです。
変電所の前から撮影した写真です。こちらの扉からもトランス置き場用の軌道が出ています。小技が効いています。軌道の配置が自由自在なのが楽しくてたまりません
ズリ捨て線は、再びカーブして尾根の向こう側に進んでいます。
この辺りから、枕木が見えて来ました。
5 軌道(ズリ捨て場側)
路盤の幅も狭くなってきました。森林風景と調和していい感じです。
枕木が見えるようになったので鉄道らしさが増してきました。
やっと、ずり捨て線を代表する森林鉄道の様な風景を紹介できました。 良かった。
6 あんこ場
行く手に小さな細長い建物が見ます。側線が一本あり鉱車がとまっています。小屋の軒先には小物がいっぱい詰まっています。まるで、模型か映画のセットの様です。この建物は、発破をする時にダイナマイトを入れた穴を 塞ぐ、「あんこ」という泥饅頭の様な蓋を作るあんこ場だと教えてもらいました。***
3年後に訪れた時、反対側から見たあんこ場です。建物といい軌道配置と言い大好きです。
7 廃屋
あんこ場から先に進んでいくと、軌道の周りに草が目立ち埋もれる様になります。しばらく歩くと見通しの良い所に出て、山側に廃屋が数軒残っています。
向かい側の山道からも見通すことが出来ます。
ここから、ズリ捨て列車が走るのを撮影したかったです。ズリ捨て列車は 三日に一度程度しか運転が無い様で、残念ながら撮影する機会も見る機会もありませんでした。
8 トンネル
廃屋の前を通過して歩いて行くと、トンネルが行く手を遮ります。
長さは、50mほどでしたが、トンネルというより坑道の様にしか見えません。壁や天井は素掘りのままで、ところどころを坑木で支えているという 頼りないものです。架線はいよいよ低く垂れさがっています。中は真っ暗です。実は、入り口にある配電ボックスに照明(裸電球)のスイッチがあるのですが知る由もありません。中は身震いするほど気温が低く、恐怖と寒さに震えながら向こう側に出ます。
トンネルを出ると軌道はカーブを描き、10mほど先にまたトンネルがあります。このトンネルは長くて入口から覗いても出口がはっきりしません。 さすがに、我々だけでここに入っていく勇気はありませんでした。しかし 幸運な事に、偶然出会った元従業員の方にトンネルを案内して頂きました。入り口で頼り無い裸電球を点灯して頂き、数百メートルもあると聞かされたトンネルに侵入しました。このトンネルは本当の坑道で、ところどころに立坑の穴が口を開けたままになっていました。「落ちたら150mあるから気をつけろ」と事もなげに注意されながら歩きます。しかし、遂に!架線に頭が触れるという、とんでもない恐怖体験もしました。こうして、体験記を書けるのは、通電していなかったためです。注意するには暗闇が長すぎました。
9 ズリ捨て場(終着点)
危険なトンネルを抜けると目の前が大きく開けて、ズリ捨て場に出ます。
(写真の人物は、同行の鉄道研究会の二人の先輩と人陰のステテコの人物が案内して頂いた元従業員の方です)
ズリで作られた断崖の上に軌道が敷かれ、100mほど進んだ所でバック 運転してズリ捨て場に入り、ダンプガイドレール(ダンパー)で鉱車を ガケ側に傾斜させてズリを排出させる方式になっています。写真の様に、 すぐに先に終点があり、一度に鉱車を5~6両程度しか処理出来ないのでないかと思いました。この程度なら、恐怖の「低空」架線に頼らなくても バッテリー機関車で間に合いそうです。
(この当時、ズリ捨てに電気機関車****が使われていたか疑問に思っています。500mm軌道用の電気機関車を見なかったと思うのです。しかしながら、電気機関車で大量に運んだ鉱車の編成を組み替えて、少しずつ処理した可能性もあり自信はありません。)
10 おわりに
明延の町からズリ捨て場のある山の方に神社が見えました。神社に向かう林道を登って行くと、明延の町が良く見えました。さらに、登って神社まで行くと行き止まりです。そこが、ズリ捨て軌道線のトンネルとトンネルの間でして、実は明延鉱山鉄道との最初の出会いはこの場所でした。町の食堂で 昼食を食べた後、一円電車を求めて出発したものの、とんでもない方向に 歩いて、10分の道を1時間以上もさまよって、ここにたどり着きました。 この時は、えらい目にあったと思っていましたが、間違えなければ1円電車だけ見て帰る平凡な旅だったと思います。また、元従業員の方にお会いしなければ恐怖のトンネル体験やあんこ場も知る事が出来ませんでした。この 大好きな軌道を、全て堪能する事は出来ませんでした。
この素晴らしい偶然と出会いを生んでくれた明延の町に感謝します。
* 名称は養父市ホームページのパンフレット「明延の町並み」を参考にしました。
** 建物の名称は養父市ホームページのパンフレット「明延鉱山」を 参考にしました。
*** ズリ捨て線軌道上で出会った元従業員の方にお世話になり、小屋の中を見学させて頂き、実物を見せて頂きながら教えて頂きました。
**** (11/3加筆)ed731003 “炭鉱電車”をこよなく愛する管理人様のブログ「鉱炭電車が走った頃」に「明延鉱山のズリ捨て列車」と言う記事が投稿されており、1978年に撮影したL型の電気機関車がけん引するズリ捨て列車の写真を投稿されております。なんという幸運な事でしょう。非常に小型のL電でした。投稿感謝します。
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