明知鉄道 難攻不落の山城の地と日本一の農村景観
コロナ禍の頃、「私たち鉄印帳始めます」という番組がありました。 キャンキャンガールとかいうモデルが2人登場し、列車に乗る前から「今日の~ファッションわあ・・・」と私に縁の無い話で始まり、女子トークは 良く分かりませんでした。しかし、ドローンで撮影した映像が新鮮でBGMのセンスが良く、録画して見ていました(DVDで保存しています)。 その中で、気になった鉄道の一つが明知鉄道です。
明知鉄道の路線は岐阜県、愛知県、長野県の県境に近く、遠く戦国時代には、織田信長と武田信玄の争い舞台になった所です。そのためでしょうか、中心地である岩村盆地には、日本三大山城の一つと言われている岩村城址があります。難攻不落の山城のあった険しい地形に、農村景観日本一の 田園風景*を見ることが出来るのが明知鉄道です。
1 阿木駅~飯羽間駅
中央本線の恵那駅から、300馬力のディーゼルエンジンがうなりを上げる急勾配の山を乗り越えて、トンネルを出ると岩村盆地**に入ります。坂を下りると阿木駅です。ここから岩村盆地を歩いて、明知鉄道を撮影して 行たいと思います。
振り返ると、列車に乗って通った風景が見えます。
トンネル出口から築堤を左から右に降りた所が阿木駅です。
阿木駅を出発した列車が、坂を登って恵那駅方面に向かって出て行きました。
飯羽間駅へも山襞で遮られて、まっすぐ歩いて行けません。そんな谷あいの土地は狭くても、一つ一つ大切に耕作された田圃があり、稲穂がきれいに輝いています。
明知鉄道は、築堤を築いて山に向かっていきます。
私は、山を迂回して行かなくてはなりません。
やっとこさっとこ、明知鉄道と合流した所が、農村景観日本一と称された、岩村城址のある盆地の中心地の岩村町です。
飯羽間駅の手前です。芝生の様な、ふんわりと柔らかい田んぼが広がっていました。
2 極楽駅~岩村駅
盆地の中央は、岩村城址につながる丘陵地が占めており、線路は丘陵地の裾を走ります。
飯羽間駅から柔らかい田んぼがずっと続いています。気持ちがいいです。
実は、農村景観日本一と称された所は丘陵地の反対側でした。 しかし、そんな事は関係ありません。
岩村駅に着きました。ここで上り列車と下り列車が交換します。
岩村駅と言っても、城下町の外れにある駅です。構内踏切で、相対ホームに渡る小さな静かな交換駅です。右の上り列車が小さく見えます。市内電車の様にホームの位置が上下線でずれているのです。
3 岩村駅~山岡駅
町外れの築堤を登ると、癒される風景の岩村町ともお別れです。
町の外れの集落に、大きな杉の木が立っていました。地域の人が大切に守っているようです。
谷の中に、列車は入って行きます。
せき止められた小川は、向こうのお宅の洗い場になっています。
谷は次第に狭く険しくなりますが、その中を列車は抜けて行きます。
4 山岡駅~野志駅
瓶の口の様に絞られた谷の出口に山岡駅があります。
山岡駅から、絞り出されたような小さな平野を列車は走って行きます。
ここは、村おこしに色の違う品種の稲を絵の様に植えて、田んぼアートを 作っている所です。田んぼアート展望台があり作例を見ると、山岡町の盆地がきれいに撮影できるのでおすすめです。
終点の明智駅からやって来た列車が、築堤を下りて来ました。
終点の明智駅までは、再び険しい山越え区間が続きそうです。もう、 農村風景は見れそうもありません。
阿木駅から歩いてきたので、そろそろ疲れてきました。撮影を終わりに して帰る事としましょう。
(旅の思い出)
極楽駅から岩村駅まで歩いている途中で、「およねさんの店」という、女性がお二人でやっているお店で、五平餅を頂きました。五平餅を一つだけでしたが、いやな顔一つせず味噌汁と漬物もつけて頂き、山道で転んで泥だらけだったのを心配もして頂きました。五平餅とは、こんなにおいしいのかとびっくりしたのを思い出して、調べてみましたら、なんと今年閉店していました。****「高齢となり後継者がいないため」との事でした。明知鉄道の いいものが減ってしまう事が残念です。
* 恵那市公式観光サイト「えーな恵那」の「農村景観日本一地区」
を参考にしました。
** 岩村盆地の範囲を調べましたが良く分かりません。中津川市の
阿木地区から恵那市の岩村町・山岡地区までとして書きました。
*** かわいいフリー素材種 いらすとや 様から使わせて頂きました。
****水野寒天 様のHPのブログを参考にさせて頂きました。