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インドの洗礼・ニューデリー編
"Ladies and gentlemen, we'll be arriving soon at New Delhi Airport. Please ensure your seatbelt is…"
そうかもう着くのか、と窓を覗くが眼下には濃いスモッグが広がるばかりで、極厚スモッグを潜り抜けたわずかな光以外こちらには届いていない。2月のニューデリーのAQI(Air Quality Index)は平均300程度(300以上になると「長時間暴露すると呼吸器疾患を引き起こすレベル」)だから、僕の滞在期間の200前後という数値はかなりラッキーなはずだが、そうとは思えない曇り具合である。
極厚スモッグを潜り抜けて着陸してからも、その視界の悪さに驚いていた。空港の外に何があるか見えないし、何なら空港内の遠くに何があるかも見えない。(20キロ先はほぼ見えないレベルだった。)こんな汚い空気の中で生きていけるのか?さすがに問題あるだろ…と思うが、これがインドである。あるがままを受け入れるしかない。インドで幸せに過ごすにあたって、起き続けるハプニングを基にインドとは何かを再構築していくことはとても重要であり、どんなハプニングに対しても、「これがインドだ」と脳内のインドを現実に合わせていくことで、いずれ全てを受け入れられるようになるのだ。
安いチケットを買ったがために到着時既に23時(日本の時刻ではAM2:30)を回っていたが、インドに来たという高揚感で眠気は無かった。(眠かったとしても空港前のクラクションで目覚めることは確実だが)モントリオールに居た頃もよくクラクションが鳴っていて、うるさい街だ…と思っていたが、この国に比べれば静かだったと言い切れる。列車が通過している時のガード下よりはうるさい。2,3メートル先でクラクションが一生鳴るのだから、うるさくて当たり前だ。そんな騒音災害の中を潜り抜けながら、配車したUberへと向かう。
"Your driver will arrive in 5 minutes." とUberに表示され、すり寄ってくるタクシードライバーに画面を見せて勝ち誇ったように"Nahin"(ヒンディー語でNo)と繰り返しながらクラクションの中を闊歩して集合場所についたのだが、10分待っても配車が来ない。試しにテキストを送ってみると、集合場所を変更しようとのこと。きっと道が混んでいるのだろう、しょうがないなぁと思いながら、新しい場所に行って10分待ってもまだこない。彼の位置情報を確認すると20分以上離れた場所にいることが分かった。その後、追いメッセージを5回ほど送るが(電話はesimに付属していないため使えず)、返答がなかった。その後2台目にもバックレられ、3台目でようやく乗車。Uberで車を探し始めてから1時間半後のことで、既に現地時刻で深夜1時を回っていた。さすがに二台目にバックレられた時は、夜遅いし、友達を待たせているから、えええ~となったけど、そうか、これがインドなのだ、と自分を落ち着かせる。
走り出して気付いたが、この国では道路の白線はデザインと化している。設計上4車線のはずが、横に6台の車が並んで走っている。友人曰く「白線はまっすぐの方向がどちらかを示してるもの」らしい。あらオシャレ。ウィンカーは使わず、後ろから抜く側の車がクラクションを鳴らして前の車をどかすのがマナーのこの国では、いくつかのトラックの後ろに、"Blow Horn!"や"Horn Please!"と書いてあった。日本でいる「私たちは法定速度を遵守します」的な標語だろう。つまり、クラクションは、「ちょっと横通りますね~」(excuse me)と同義だからクラクションが沢山聞こえるというのはマナーが良いということだ…? 僕の運転手はとても運転マナーが良くて、白線に跨ってクラクションを毎分ペースで鳴らしながら運転していた。空港からでてすぐに10車線の道路があったが、混むときはこの道路も15車線くらいになるのだろうか?そこに鳴り響くクラクションなど想像するだけでAirpodsからため息が聞こえる。
しかし、全員が全員こんな運転をしているのに、よく事故が起こらないものだ、やっぱり"order in chaos"があるのだこの国には!と感心していたのもつかの間、約4メートル程度の幅の中央分離帯の木に正面から突っ込んで大破した車を発見した。うーーん、どうやったらそうなった?でも、そうだよな、やっぱ事故るよな。さすがに運転手も少しビビったらしくそのあと3分間ほどは白線の上を安全運転していたが、すぐに通常運転となり、時速60キロで30センチほどの隙間をあけて前の車を抜き去っていくレーサーへと変貌した。そんな中から見る立ちションをしている他ドライバーや排便中の牛、道路を横断する野生の犬、端のレーンを逆走するオートリキシャ、一向に現れない信号機、その全てが新鮮だった。人口が極端に増えた先に行きつくのは、完全なる監視社会か、全くの無法地帯かのどちらかなのかもしれない。
道中気付いたが、この町ではニューヨーク以上に貧富の差を見ることができる。キラキラしたショッピングモール(ブランド物のお店とかスタバとかがある)の入り口には高さ4メートルほどの門が設置してあり、お金持ちしか入れないようになっている。また別の回でも書くが、この国は富豪が貧民をこき使い続ける国なのである。共存しているのに上から下へと富が流出しないそのシステムが一人当たりGDP約2500ドルという低さに繋がるのだろう。などなど、そんなことを考えていたら、無事に友人宅に到着。時刻は深夜2時を回っていたので、起きてくれていた友人に感謝である。もちろん、ドライバーに1000円を支払い、こき使う側に僕も参加した。
2日目
時差の影響か朝6時頃に目が覚めた。結局深夜3時頃まで喋っていたから3時間睡眠だったのだが、妙にアドレナリンが出て元気だった。普段8時間ほど寝ても昼寝しちゃう&徹夜できたことない僕にとっての3時間睡眠は徹夜と言っていいだろう。アドレナリンに全てを任せて、寝不足を自覚する間もなく、友人の家族に挨拶をし、3人いるうちの1人のお手伝いさんが作ってくれたインドの朝食を食べる(たしかマサラドーサ)。タワマンに住んでるしお手伝いさんも3人いるしでびっくりなのだが、3人雇ってひと月で200ドルしかかからないのだから、更にびっくりだ。1人当たり1万円!コスパよし。
彼の車で昼間の街を走ると、夜は気付かなかったけど、物乞いはいるわホームレスはいるわ、スラム街?はあるわで低所得者層の多さに驚く。道路整備では10-15歳くらいの子供たちがスコップを持って作業しているし、信号待ちをしていれば、5-7歳くらいの女の子がお金を求めてくる。道端のゴミの山では10人以上の少年たちが何かを探している。そうかこれもインドなのか。
車を30分ほど走らせて街に着き、まずはクトゥブ・ミナールへ、観光客価格として現地民の20倍ほどの価格を払って入場、その価値はあった。感想は省く。そのあと、4メートルほどの門構えをしたセキュリティー付きのカフェに到着した。店員さんがやってきて、車を車庫に入れてくれた。もうこの時点で寝不足すぎて体は限界を迎えていたと思うのだが、まだアドレナリンが出ていたので、眠くはなかったし、疲れも感じていなかった。そのカフェで一息ついて、チャイを頼んだくらいから少し胃の調子が悪いのか、眠いのか、気持ち悪さを感じていた。若干嫌な予感はしていたが、もう頼んじゃったものはしょうがない、と観光客と思われる沢山の白人達を横目にチャイを飲み始めた。多分チャイ自体はどこかで飲んだことがあるはずなのだが、謎のスパイスが多く含まれていて、美味しいというよりも新しい味という感想だった。そうかこれが本場のチャイの味なのか、などと思いつつ、胃に異変を感じ始める。
彼と話した内容でそこから次の日の朝までの中で覚えているのは、「彼女を連れて観光地を歩くとじろじろ見られるから嫌だ」と彼が語っていたことくらいだ。チャイを飲んだ一分後に腹に異常を感じ、トイレへ駆け込む。その2分後と3分後にもトイレへ行く。過去見たことのない美しい下痢(下痢というかチャイ)を経験し、これがDelhi Bellyか、などと思いつつ、脂汗をかく。可能な事なら1時間くらいはずっとトイレに籠っていたかったが、友人とおしゃれなカフェに来ている手前、いつまでもトイレに籠ってはいられないので、昼飯でも食うか、と友達に切り出し、車に乗り込む。
車庫から車が取り出されるのを待っている間、既にトイレに行きたかったが、我慢した。運転し始めて3分ほどたった後、頭がくらくらし、意識が朦朧とし始めて、明らかに嘔吐のサインを身体が出していたから、友人に車を道端で緊急停止してもらう。両手を歩道につき四つん這いになり、歩道に吐く。見事なまでにチャイだった。"This is an Indian welcome warm hug"と言われ、苦笑いで返す。Delhi Bellyなめてました。とはいえ、チャイを出し切った時点で胃には何も残っていないため、その後昼食までは空腹と睡眠不足からくる倦怠感以外に、特に何かに悩まされることはなかった。
しかし、ランチのお店について、水を飲んだ瞬間にまた地獄が再開し、食べたものも飲んだものも胃に入った瞬間に出ていく始末だった。レストランの滞在時間の半分以上はトイレに籠っていたし、結局ナンを3口ほど食べてギブアップだった。それからは寝不足&空腹&Delhi Bellyで、5分歩くのもつらい状態だったので、オートリキシャを乗り継ぎ、薬局へ直行した。同じく日本人が薬を選別しているのを横目に胃腸薬を貰い、すぐに飲む。その後スタバで休憩をはさんで、インド門を申し訳程度に帰りに見て、すぐに帰路についた。家についてから、熱があったのか、寒くてたまらなかったので、(外気温は25度)部屋にこもって、エアコンを30度のMax風量に設定して、毛布にくるまって寝た。途中途中水分補給をしながら合計2リットルの水を飲みながら3時間ほどそのまま寝て、調子を回復した。元々友人達と外でご飯を食べに行く予定だったが、それもキャンセルし、結局夜はインドのおかゆを食べた。カレー味のおかゆ美味しかった。
3日目
随分体調は回復したが、胃の調子は相変わらずだった。朝の9時に予約したはずのタクシーが9時時点で1時間半かかる距離にいたから、とりあえずキャンセル。もちろん返金はされていない。アグラに向けて出発する予定だったが、アグラからバラナシ行きの電車が全部満員(144年に一度の宗教のお祭り中らしい)だったから、そもそもアグラを諦め、急遽飛行機をとってバラナシへ向かうこととする。(ちなみに、インドの電車のチケットをオンラインで買うにはOPTが必要なのだが、これはどう足掻いても、インド番号以外から受け取ることはできないので、駅に行って直接取るしかないです。)
飛行機はSpice jetで予約をしたが、1時間待てどConfirmation Mailがこない…予約に失敗したようだ。そんなこともあるだろうと思い、Indigoでチケットを取り直す。IndigoのConfirmation Mailと共に、Spice jet からもWhatsAppでconfirmation Photoが送られてきた。あと5分早く送ってくれれば!!!手動でConfirmation Mail送る世界線があったのかもしれないし、それを予測できなかったのは多分こちらの過失である。すぐにSpice jetをキャンセルしたが、キャンセル代で半分持っていかれた。これがインドか…
空港では、飛行機の出発予定時刻になってもまだ搭乗チェックをしているし、終わる気配も全然ないのに関わらず、人は押し寄せ、1列でしか進めないカウンター前で5列ほどの渋滞が発生していた。座って待つという選択肢はそもそもないみたい。大国だから順番待ってたら永遠に欲しいものが手に入らない世界のDNAを感じた。その精神は車の運転と完全一致と言っていいだろう。インド、ハプニングはもうおなかいっぱいだよ。
ニューデリー編、完