謹賀新年 2025
新年明けましておめでとうございます。
大きな地震で始まり、それを救援するための航空機が大事故を起こすなど波乱な幕開けで始まった2024年でしたが、その後も台風などでピンポイントで能登地方に襲った自然災害は、誰の手によっても回避することのできない我が国の宿命をすべてこの地域で受け止めてしまったかのように思えた1年でした。
世界に目を向けるとロシアのウクライナ侵攻は終わりが見えず、もはや為政者の私怨で戦争を続けているのではと思うほどです。またガザ地区のイスラエルの攻撃は、人を人と思っていないかのような仕打ちに見えます。宗教的な背景も垣間見えるので、異なる宗教を排除する姿勢はもはや宗教観とはかけ離れたところにあると感じざるを得ません。
今年こそ、これら戦争が終結を迎えることを心から願うものです。
さて、私個人は"note"で様々な提案を試みて、それの成果は今一歩でしたが、後半になって私が得意とするドイツの旅客車両の知見とイラストレーターの力を借りて在独時代の絵描きの経験も生かしつつ始めたのが「旅客車両の系譜」シリーズです。私がドイツにいた1980年代から90年代にかけては、まだ高速鉄道ネットワークも始まったばかりで、ICEで運用されている路線も僅かだったため、DBで走る長距離列車のほとんどは機関車牽引の客車編成が中心でした。
当時の客車は、重厚な作りで50年程度は楽に持つ車両ばかりですが、それゆえ、古い車両のインテリアの陳腐化に対応しなければならず、その都度リニューアルを施し、形式を変えながら進化してゆくのが通例で、新製時は1つの形式が気付いてみるととてつもないバリエーションと様々な異なる形式になり、挙げ句は他国や民間事業者に売却されたりと、1つの形式でも時が経つと全てを把握するのが難しくなったりしています。
私もそんなことに気づいたのがつい最近で、聞いたこともない形式があってもそれがどこにルーツがあるのかを改めて知りたいと思うようになったのが、このシリーズ記事を執筆するきっかけになりました。つまり実は自分自身の知的好奇心から始めたのがこのシリーズなのですが、1つの形式を最初から調べてゆくと、それぞれの形式が持って生まれた経緯から様々なきっかけが重なって、別の用途になっていゆく過程が明らかになり、そこに理由があって改造内容も様々なことになり、結果として複数の形式やバリエーションが生まれたりします。
その全てを製造時の形式ごとにまとめたのが「….客車の系譜」とタイトルを付けた理由でもあります。
私の当時の乗車した記憶や写真と資料だけが頼りのシリーズですが、少しでもこの日本語で書かれた記事群が興味のある方々の目に触れるよう引き続き書き進めてゆきたいと考えています。
今年こそは日本と世界の国土が平穏であることを祈りつつ、今年も私個人も"note"のプラットフォームで様々なチャレンジを続けてゆく1年にしたいと考えています。