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幸せな世界でのシアワセの見つけ方

~生まれたからには、よりシアワセに生きたい~
そんな誰もが普通に感じることを更に一歩踏み込んで考察し、よりシアワセに生きる方法を俺なりに答えを出してみた。

この記事は、自分の人生を豊かにしたいと思っているけど、その方法が分からずにいる方に是非読んで頂きたい。

結論

まず結論を述べさせていただこう。
よりシアワセに生きるために、今日からあなたがすべきことは以下の2点である。

・デジタル(スマホやPC)と距離を置く
・紙とペンを持って外に出る

”なんでこれでシアワセになれるねん”って思うかもしれないが、なぜそもそもシアワセについて考えようと思ったのか、背景からお話させて頂こう。

この記事を書くことになった背景

突然だが、皆さんは幸せだろうか。
あまりに急で壮大な話だが、この投稿を読み始める前に一度自分に確認して頂けると嬉しい。

俺の場合は勿論YES。
毎日ご飯は美味しいし、他愛もない話もできる友人も数人いて、好きな趣味もある。合格オブ合格点だ。

きっと、読んでいる人の中には俺よりも幸せと感じている人もいれば、今はそう思えない人もいるだろう。
人生は何とも簡単にはいかないもんである、だから面白いのだけど。

では、質問を変えてみよう。
「昔と比べて世界は便利になっただろうか」

これに対する俺の答えも、当然YES。

俺は1990年生まれの32歳だが、幼少期、高校生、大学時代、社会人初期と比べて今の世の中は圧倒的に便利になったのは間違いない。

俺が最初に遊んだスーパーファミコンよりもNintendoスイッチの方が、簡単に持ち運べるしグラフィックも綺麗だ。

インターネットも、今みたいにYoutubeの様な楽しくて好奇心を満たしてくれるコンテンツは少なく、誰かが書いたブログを読むくらいだった。

高校生の頃はガラケーだったから、勿論LINEなんかも無いので皆で週末に集まって遊ぶのにも、今よりずっと手間だった。

留学時代には日本にいる家族とビデオ通話する事は出来たが、有料かつ音質や画質の全てがZoomの足元にも及ばなかった。

今はスマホ一つあれば目的地への行き方を覚える必要も無ければ、ライブのチケットも電話で予約して郵送を待つ必要も無い。
ぜーんぶ、指先ひとつでポチリ、だ。

昔よりも今の方が便利なのは、俺だけじゃなくて殆どの人が同意見だろう。

じゃあ、「便利なのは幸せな事」だろうか。
きっとこれも、YES。

家事も楽になったし、色んな人に会い、24時間ずっと暇だという事は無く、とても楽しくて有意義な時間を過ごせている。
人類はそもそも、”便利=幸せ”になる事を目指して発展し続けてきた。

冒頭の質問に戻ろう。皆さんは今、幸せだろうか。
YESの人もいれば、NOの人もいる。

ここに謎の矛盾がある。
そう、”世界は幸せ(便利)になっているのに関わらず、人は必ずしもシアワセになっていない”のである。

この矛盾の正体が、うっすらとどこかで存在に気付きながらもずっと分からずにいた。
なので、俺はこの矛盾の正体を確かめるべく、旅に出た。

シアワセになるために必要なもの

闇雲に旅に出ても何も得られないので、シアワセになるためには、なにが必要なのかを考えてみた。

色んな答えがあると思うが、俺が辿り着いた答えはズバリ
「余白」
である。

余白とはつまり、「自分の中に何かが入ってくるスペースがある状態」
だと俺は考えている。

自分の事でいっぱいいっぱいになっていると、人に優しくすることはできない。
固定観念で頭の中が支配されていると、他人の意見に耳を傾けて価値観のアップデートを果たす事もできない。

要は、水でいっぱいになったコップにはもう水は入らない様に、新しいものを取り入れるにはある程度の余裕が必要ということ。

シアワセになっていくためには、昔の自分では気づかなかった様々な気づきや、色んな価値観をドンドン取り入れていく事が必要だと俺は思っている。

以上から、俺の仮説としては
「シアワセになるためには余白が必要」という事になる。

余白の持ち方

余白が必要だという事は分かった。
じゃあ、問題はどうやったら余白を持てるのかという事だ。

基本的に、余白はあれば良いなんて事は皆思っている。
だが、現実として自分は余白を持てていると言い切れる人はどのくらいいるのだろうか。

筆者の俺もどうかと聞かれたら、正直あまり余白は無い。
もしかしたら実際にはあるのかもしれないが、自分自身に余白を感じれてはいなかった。

そこで、逆説的に考えてみた。
「なぜ、余白が持てていないのか」と。

それに対する答えはシンプル且つ無慈悲だった。
「忙しいから」である。

きっと「自分は全然忙しくねぇっす、暇で仕方ねぇっす」って人は少ないと思う。
仕事に週末の飲み会に、現代人はいつだって忙しい。頑張れサラリーマン!

そこで、「忙しい」という事を一旦俯瞰して考えてみた。
心理的・精神的な側面から”忙しい”ってつまりどういう状態かというと、
常に色んな情報が頭の中に入ってくる状態だと思う。

頭の中を交通渋滞にしている一番の厄介者は、大体の人が「仕事」だろう。じゃあ、1日24時間の中でほっとんど仕事しているかっていうと、意外とそうでもない。8時間勤務の人が4時間も残業して、ようやく半分だ。

じゃあ、それ以外に何で頭がいっぱいになっているかというと、
スマホから入ってくる情報だと思う。
インスタ、Youtube、Twitter、Facebook、TikTok… 
スマホが提供するものはあまりにエキサイティングで興味を引くものばかりだ。

正直、筆者の俺も上記のアプリを使わない日は、1年間通して片手で数えるくらいだと思う。

整理すると、人々が余白を持てていないのは仕事とスマホが原因だ。
俺は仕事はやめれないけど、スマホならやめれるので、
余白を持つためにまずはスマホから距離を置いてみることにした。

どうせスマホから距離を置いて何かするなら、今までどっぷりデジタルの渦に使っていた状態とは真逆な事をしてみようと思った。
なので、自然あふれる所に行ってひたすらボーっとしてみることにした。
いわゆる、デジタルデトックスだ。

デジタルの無い旅に出た

デジタルデトックスだ、旅に出るだ、大それた事を言ったが、
俺が実際にしたことはスマホを家に置いて近くの大きい公園に行っただけだ。

「なんだそれ、そんなので充分なのかよ」と思われるかもしれないが、
一度経験した身からすると、充分すぎるほどの効果があった。

本当は、2泊3日くらいの期間で長野の大自然の中で超原始的な時間を過ごしたかったが、いかんせん俺も現代人、そんな時間は中々ねーのである。

ただ、ここで重要なのは「たったそれだけじゃやる意味ないでしょ」と切り捨てずに「まずはちょっとで良いからやってみよう」と行動する事だ。
千里の道も一歩から。中国の古典『老子』の超絶パンチラインだ。

まず、行先を決めた。
デジタルデトックスするために確保した時間は朝~夕方の半日。
そうなったら、片道2時間かけて遠出するのはもったいない気がしてきた。

そこで、自然が多い所でボーっとするんなら代々木公園とかでもいいんじゃねっと考えた。自分から見える景色が自然で溢れていれば、代々木公園でも100エーカーの森でもそんな変わらないと思ったからだ。

結局、前日に調べてみたところ、家から歩いて20分くらいの所に結構大きい自然公園がある事が分かったのでそこに行く事にした。
振り返ると、この選択は正解だったと思う。

いつもより早起きして出発

休日だったので、いつもよりゆっくりした朝を迎えたい気持ちはマウンテンマウンテンだが、この日の俺はリラックスガチ勢。
ボーっとするためには早起きする努力も厭わないのである。

準備したらスマホの電源をオフ。
そのままスマホを家に置いて、千円札とキャンプ用のイス、あと紙とペンだけを持って出発した。何か気づきがあったら残しておこうと思ったのだ。
結果、これが最高に良かった。

家を出発した直後にまず違和感があった。
違和感の正体はワイヤレスイヤホンだった。
寝てる時以外は音楽を聴いている俺からすると、テンションブチアゲな音楽無しに外を出歩く事は非日常の体験だった。

しかし、その違和感も次第に上質な気づきに変わった。
目的地に歩いていく途中、いつもは何となく歩いていた街並みが、とても斬新な発見の連続になったのである。

「えー、こんな所に神社があったんだ」とか、「このカフェ、今度来てみたいな」みたいに普段は視線に入っていなかったものがどんどん目に、頭に入ってくる。

デジタルデトックスが終わった帰りには、途中で見かけたお好み焼き屋に行こう、とふと思った。普段の休みは食べログで評価の高いお目当てのお店に行きがちな俺だが、この日はネット等の外部からの評価では無く自分の食べたいときに食べたいものを食べる気分になっていた。

ちなみに、駅から反対方向に進んでいたので、駅に向かう人達とたくさんすれ違うにつれ、「人は駅から何分歩く距離だとバスに乗るのだろう」と疑問に思った。
その視点で歩みを続けた結果、大体13分くらいの距離で人はバスに乗り始めるようだ。思ったよりも短いと感じた。

”街並み楽しみゲーム”に興じていた俺は一つの壁にぶち当たった。
目的地への方向を見失ったのだ。たかが徒歩20分の距離なのに、だ。
道のりは昨日の夜に頭に入れておいたはずだが、グーグルマップと現実の道は、いざ歩き出すとあまりにも違う見た目をしていた。

まぁ、俺もいい大人なので標識の住所を元に推察しながら目的地に近づいて行った。(最終的には人に聞いちゃったのだけど)
ストレートに公園に到着とはいかず、結局倍以上の時間をかけて到着した。

いつもなら、時間を無駄にしてしまったとプンスカ憤る所だが、この日の俺は予想外の寄り道を楽しむ事が出来た。
例えば、寄り道した先に駄菓子屋さんを見つけたので久々に行ってみた。
おばあちゃんが一人で営んでいるトラディショナルスタイルの駄菓子屋さんだ。

「うわぁ、このお菓子懐かしい。よく食べてたなー」と、駄菓子にノスタルジーを感じて若干エモくなりながらお店の中を見ていたら、ふとある商品が目に留まった。

その駄菓子屋さんは、駄菓子以外にも食べ物を販売しているスタイルの店舗で、パンを販売していた。実家近くにもんじゃ焼きを作ってくれるお店はあったが、このお店の場合は、見た目的におそらく店主のおばあちゃんの手作りの総菜パンだ。

コンビニ以外でパンを買うときって、俺はちょっと良いサンドイッチを買う事が多い。具もちょっとオシャレなやつ。
だが、このお店は味とコストパフォーマンスを極限まで追い求めたおばあちゃんの集大成なのだろう、甘辛く煮たそぼろを挟んだパンを100円で販売していた。早速今日のランチGETである。

公園に到着

道中の駄菓子屋アドベンチャーを楽しみながら、公園に到着した。
まずはグルっと一周歩いて回る事にした。
ここでも、普段は特別何も思わない風景から色んな事を考えさせられた。

俺が本日のデトックスに選んだ公園は、運動公園と自然公園が繋がっているタイプの公園で、入り口にある運動公園を横目に進みながら自然公園に向かうのだけど、ふと中学生くらいの子供達と大人が野球の試合をしているのが目に留まった。

内容は中学生チームのワンサイドゲーム。大人側の守備は盗塁し放題だわ、ポテンヒットの連続で大量失点していた。
だが、この大人達、これがまた実に楽しそうに野球をしているのだ。

おそらく、昔同じ野球部にいた仲間で作ったチームなのだろう。
誰かがエラーをしても、笑顔で笑い飛ばしていたし、ファインプレーをした暁には子供の様におおはしゃぎしていた。とっても輝いていた。

この先、どんな人生を送るべきなのかずっと考え続けてきたが、答えはずっとシンプルなのかもしれない。
気の許せる仲間たちと楽しい事をして時間を過ごす。これに勝るものは無い。

そんな事を考えながら野球場を後にして、お目当ての自然公園に辿り着いた。

デジタルデトックス開始

さあ、お待ちかねのデジタルデトックスの時間だ。
ただ、だからといって特に何かをするでも無く、ひたすらボーっとするのだが、これがまた日々仕事に追われている一介のサラリーマンの俺からすると非常に贅沢な時間だった。

時間もたくさんあったので、瞑想をしてみる事にした。
お気に入りのビジネス系Youtuberがオススメしていたこともあって、ずっと気になっていたのだ。

瞑想を始めてみたものの、一人で瞑想なんてしたことが無いから、どうやれば良いのか正直分からない。
結局、3時間強の時間、考え事をしていた。まぁこれも正解だろう。

たっぷりと時間があったから、とてもたくさんの考え事をした。
自分はどんな事に興味があって、それは過去のどんな体験からそう思ったのか、自分の目指す一番のシアワセはどんな事をしている自分か、あとは恋愛の事。

考え事や自己分析って、結局は自分との対話だと思った。
一つの物事を自分から自分に問いかけて、自分から自分へ答えを返す。
簡単な様で、意外とこれが難しい。
何故なら、自分で自分に脚色して答えを返してしまうのだ。

つまり「こうしたい」よりも「こうありたい」で返事をしてしまうのだ。
例えば、俺の場合でいうと、起業して会社を大きくする事ではなくて、利益を度外視した”社会のための事業”を行いたい、という風に、こうしたら素敵なんだろうな、という理想を元に自分の気持ちを決めてしまいがちなのだ。

ただ、自然に囲まれて、他に自分の頭に入ってくるものが無い環境の中では、自分の気持ちに対して実にフラットでいられた。
これが非常に大きい。整理した気持ちと、目指したい方向性に全く乖離が無いのだ。

俺は、社会に貢献したい気持ちが強くあるのと同時に、いわゆる「お金稼ぎ」にも結構強い興味があるんだなぁ、と整理ができた。
今までは、何となく守銭奴的な気持ちになるのが嫌で少し蓋をしていた自分の気持ちだった。

恋愛的な所でいうと、自分はどんな人と一緒にいたいのかを考えてみた。
シンプルに好きなタイプはどんな人かを考えた時に、正直なところ自分には割と面食いな所があるなぁと素直に思った。

ただ、最終的に好きになった子は友人関係が長い子が多かったので、やはり恋愛は複雑だ。顔から入るクセに心のつながりを求めてしまう、なんともワガママな生き物だ。(でもそんな自分が好きなんだなぁ)

そういった事を目を瞑って考えていたらお昼が過ぎていた。
目を覚ました後は、気が付いたら持ってきた紙にひたすら瞑想した時に感じた想いを書き込んでいた。

たぶん1時間は書いていたのだろう、書いて形に残した想いはノート数ページに及んだ。
休憩に道中で買ったパンを食べた後、ノートを読み返してみた。
このタイミングで、デジタルデトックスをやってみて良かったと強く感じた。

読み返してみると、素直な気持ちが実によく整理できていた。
同時に、今まであんなに思い悩んでいた事も、意外と簡単に答えが見つかっていた。

まとめ

上述した様に、このデジタルデトックスから非常に多くの発見があった。
これが何故、通常の日々では出来ないのかというと、理由は1つだと思う。

”毎日、情報で頭がいっぱいすぎる”のだ。

日々、スマホでSNSなんかを見ていると、友達が旅行して自分も行きたくなったり、気になるカレー屋さんを見つけて次の週末行こうかなんて考えたり、芸能人のキラキラライフを見て自分もこうなりたいと憧れたり、頭と心の中は常にスマホから与えられる情報でいっぱいなのだ。

色んな情報・TODOで頭がいっぱいの日々では、自分の事について整理する事はかなり難しい。頭の中を空の状態にして自分を見つめるには、頭に情報を詰め込んでくるものから離れて、ナチュラルでいられる環境で考える事が必須だと感じた。

加えて、紙とペンはマストアイテムだ。
瞑想して自分の気持ちを整理しても、何か形に残しておかないと人は必ず忘れてしまう。

俺は今、POOLOというオンラインスクールに通っていて、週末に色んな講師の方からお話を聞くことがあるが、毎回色んな気づきと大きな感動を頂いている。
ただ、初期の講師の方々から学んだ事を今話せ、と言われても当時感じたままを話すのは無理な話だ。

きっと、この記事を読んでいるあなたも、日々色んな事に触れて、良いと思った気づきはたくさんあるだろうが、正直な話、いくつ覚えているだろうか。

決めつけてしまって申し訳ないが、きっと半分も覚えていないんじゃなかろうか。
シンプルに、人は頭で全てを覚えておけるほど賢く無いのだ。

生きている以上、不安な事や将来に対する悩みはあるだろう。
そして、どこかのタイミングで自分なりにそれに対する答えが一部見つかって思考が昇華されているタイミングもあるハズだ。

しかし、自分も含めて大体の人は同じ悩みに対して同じ様に悩み、同じ様な答えを見つけては、それをまた繰り返している
それは結局、形に残していないからだと思う。

いわば、一回もセーブせずにドラクエやファイナルファンタジーを全クリしようとしている様なもので、その時点の感じた想いや昇華させた思考も、一度紙に書いたりしてしっかりとセーブしないと、もう一回ゲームを始めた日には、毎回”はじまりの村”からやり直すハメになる。

色んな事を学んで、新しい刺激を受けて、人と話して外からの視点を取り込む事も凄く大事。だけど、最終的にそれをしっかりとセーブするプロセスが絶対的に必要だと思う。

ちょっと話は逸れるが、最近人生で初めて小説を読んでみた。
30過ぎになって初めて小説を読むなんて恥ずかしい話だが、良い巡り合わせがあって、初めて1冊を読み切った。

小説家の人ってマジでスゲーと思った。
(だからこの記事の書きぶりはこんな感じなのかもしれない)

”よくこんな素敵な文章でズバッと刺さる言葉を綴れるなぁ、天才だ”。
と思ったが、きっと「ズバッと刺さる言葉が頭から出てくる人」が小説家になっているのではなく、「たくさん書いているから、刺さる言葉が出てくる」んだと思う。

要は、言語化が全てなのだ。
おそらく不安や悩みは書き出した・言語化したそばから消えていく。
悩みの殆どは現時点の気持ちをしっかりと整理整頓できていない事によるものだ。

この体験を踏まえて、俺が感じた事は
・頭の中の事は想っているだけでは伝わらない
・形にしないと、情報で頭がいっぱいの日々にかき消されてしまう
という事。

その日の終わりに、親や大学時代の恩師等、今までお世話になった方々に感謝の想いをメールやLINEで伝えた。
どうしても、形に残る方法で伝えたくなったのだ。

結果、とてつもなく満たされた。凄くシアワセな気持ちになった。
この日最大の気づきが一日の終わりに訪れたのだが、
「感謝を誰かに伝えた時の精神状態が一番”シアワセ”に近い」のではないかと思う。

まとめると、シアワセになりたいのであれば、
「紙とペンを持って外に出ていき、自分の気持ちを整理してひたすら書き綴り、それによって気付いた想いを、与えてくれた人に感謝という方法で還元すれば良い」
という事になる。

これはあくまで俺の感想&やり方ではあるが
「それはあくまでお前のパターンだろ」と切り捨てずに、是非一度お試しいただきたい。
まずは行動してみる事が全てなのだから。










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