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人が輝けば店が輝く 店が輝けば街が輝く

2011年11月11日に創業され、現在は様々なスタイルで福岡に9店舗展開。2019年には東京にも進出し、勢いが増し続けている「COMATSU」グループの代表松村宗孝さんにお話をうかがいました。

プロフィール
出身地:福岡県久留米市
活動地域:福岡、東京
経歴:高校卒業後地元のアパレル業界に就職。系列のカフェ部門にうつり、飲食業への関心が高まりバーテンダーに転職。その後イギリスで3か月間本場のパブや酒場を学ぶ。
2000年:有限会社ディー・ディー・カンパニー(小野グループ)に就職
2011年:1号店であるCOMATSU大名店を経営
2013年:株式会社COMATSUを設立
現在の職業および活動:株式会社COMATSU代表取締役
座右の銘:一期一会、give&give

スタッフが活躍できるステージをつくりたい

Q.今後はどのような夢やビジョンをお持ちですか?

松村さん(以下松村、敬称略):正直、あんまり大きなことは考えてないんですよね。最初から多店舗展開するつもりでもなかったですし。でも、世界でお店をやっているイメージは持てます。どんなことだってできるイメージは持っているんですけど、その時々に、「これいいな!」と思うものを取り組めたらいいと思っています。
飲食業って、世界中で勝負することができるし、世界一やりがいのある仕事だと私は思っているんですよ。
今一緒にやってくれている仲間や、これから出会っていく仲間、お客様が幸せになれる、そのツールの1つになれたら嬉しいです。
独立したいスタッフがいたら応援したいですし、新しいことをやりたいと思えば、どんどんやっていいと思います。本を出したいとか、幼稚園をやりたいという社員からの声もあるので、それぞれがしっかり考えて、隠れた力を引き出してあげられたらいいですね。人と触れ合う仕事を楽しく続けていける環境をつくっていく、それが僕の使命だと思っています。

不思議なことに、ここにこんなお店があったら面白いだろうなって考えていたら、いつもタイミングよく周りから紹介をいただけるんですよ!

記者:今の環境や出会いなど、1つ1つのつながりを大事にされているからこそ、そういう引き寄せがあるんでしょうね。

Q.この先、どんな目標や計画を立てていますか?

松村:取り組みたいのは、東京でも福岡でも、しっかりと独立支援システムを整えることです。
昨年独立ラッシュで、3~4人が独立しました。
実はこれが、嬉しい気持ちと、申し訳ない気持ちになったんです。
独立しないと、自分のつくりたいものがつくれないと思わせてしまったんじゃないかって思うんです。独立しないと好きなことができないという環境は減らしてあげたい、そして出来るだけリスクを減らしてあげられたらいいなと。でもまだそこがふわっとしているので、今考えている段階です。

記者:お店がどんどん大きくなっていっているから出てくる次の課題でもありますね。

Q.その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような活動をされていますか?

松村:スタッフたちのことを、ちゃんと信頼して仕事を任せることですね。
うちはマニュアルとかもつくっていません。社長の私がどうこう言っても、結果はその店舗で働くスタッフたちが毎日つくるものだから 自ら考えるように主体性を重要視しています。
極端に言うと、企業理念は各店舗違っていいって思うのです。
まぁ私が管理が得意ではないからですね(笑)
私は表現が下手だからいつもどう伝えればいいのか悩むのですが、みんなそんな私のことを分かってくれているので、周りの発信上手なメンバーが私の気持ちを汲み取ってやってくれます。
そうやってそれぞれの得意なことを生かしながら、みんな仲良くやってくれています。1度は辞めて東京に行った元スタッフが、福岡に帰ってきてまた戻ってきてくれたりして、とても嬉しいですね。仕事以外でも恋愛の相談を真剣に聴いたりすることもあって、家族のようにみんなの親であり兄貴でありたいと思っています。
みんな自由に働いて、自由に成果を上げられたらいいんじゃないでしょうか。そっちの方がおもしろいし、これからの働き方なのかなって思います。
幸いにもうちは採用に困ったことがなくて、「COMATSUで働きたい」っていって来てくれるんです。理由を聞くと、スタッフが楽しそうに働いているからっていう声が多いんですよ。
だから私は、働いている人が楽しめるように柔軟性を持たせて、色々なチャンスをつくってあげたいし、みんなの隠れた力を引き出してあげたいです。他業種からの転職でも、1年で店長にもなれますよ。

記者:松村さんのその自然体が、周りを自由にさせているのかもしれませんね。

Q.そもそも、その夢を持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?

松村:小さい頃から目立つことは好きで、人の面倒をみるのも好きでした。リーダーシップっていえばかっこいいですけど、ジャイアンのような無茶苦茶なこともやってましたね。
実家が地元で小さなバーを営んでいたこともあって、私もバーで働いていました。22歳のとき、成長するために上京したのですが、友達が全然できず、詐欺にもあったりして、2~3年で心が折れてしまって。
その中でも学べるものは学び、25歳のときに福岡へ戻りました。
そこで、当時はまだ1店舗だった小野グループに就職して、寿司、居酒屋など和食から洋食まで様々な業態に携わりました。
2011年、父が亡くなって東日本大震災なども起こる中で、人生について今後のことを悩んでいるとき、いつかは独立したいと思っていた私に、小野社長が背中をおしてくれました。それがCOMATSUの始まりです。
私も出会いの中でチャンスを貰っているので、チャンスをみんなに流していきたいと思います。

記者:チャンスのバトンが人を伝って渡っているようですね。

Q.スタッフさんのやりたいことを大切にされる、その背景には何があったのですか?

松村:父親の影響が大きいですね。
実家のバーは子どもが見るからに儲かっていなくて、家も傾いているような家でした。そんな店でも、バーテンダーをやっていた父が毎日すごく楽しそうに仕事をしていたことが印象に残っています。亡くなる最期まで、本当にに楽しそうな人でした。
私もバーテンダーをしていたとき、たくさんのお客さんの話を聞いてきました。楽しそうでありながら、基本大変そうで、職場の人間関係だったり愚痴だったり、本当に悩んでいて深刻な人も結構いました。
父をみてきて、仕事は楽しいのが当たり前の感覚だったから、生きづらそうな人をみると楽しませたくなるんです。
誰でも幸せになるために生きてほしい。人にも自分にも、嘘はつきたくないですね。今を最高に楽しむことが大切だと思いますよ!

記者:今を楽しむってすごく大切なことだと思います。
松村さん、本日は貴重なお話をありがとうございました!

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松村宗孝さんの活動、連絡については、こちらから

【編集後記】
記者を担当した荒牧(写真右奥)、高村(写真右下)、相良(写真左下)です。
座右の銘でもあられる「一期一会」を本当に大切にされていることが今回の会話の中でも感じられました。松村さんの人徳が今の結果にそのまま反映されているのだと思います。
これから益々のご活躍とご健勝をお祈りいたします。

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この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。


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