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1人の部屋で高熱に苦しむ

 日本の住まいは小さい。特に1人暮らし用の部屋なんて独房みたいなものだ。本当に必要最低限のものがある。健康で文化的な最低限度の生活ができるぐらい。これも捉え方による。人によってはできない。私もできているのかは正直怪しい。ひとまず寝床だ。
 狭い部屋も嫌いではないのだ。特に体調を崩した時には良い。体調を崩し,広い部屋に1人取り残された孤独感は厳しいものである。それが楽しいと言う人もいるだろう。私は違う。寝過ぎてもう眠れないが静寂があたりを包んでいる。頭が痛くて何も行動できない。ただ時間が過ぎていくのを待つしかない。その間に私の体内では,数多の戦いが繰り広げられ,日常を取り戻そうとしてくれているのだろう。ただし,実感がない。孤独,空虚,ただ時を待つだけなのだ。
 狭い部屋だと幾分ましである。私は狭い空間の中で占める割合が大きい。確かに孤独ではあるが,虚無感が違うのだ。扉の前の音が聞こえてきたり,窓の外の音が聞こえてきたり。私のことなど何も知らない人間が世界を回し続けてくれている。それは,私が健康な時と変わらない。そして,死んだ後でも変わらない日常だろう。そこにあるものを感じるのだ。これはむしろ孤独ではない。私は布団に包まれ,苦しむ中で,確かに世界の一部であることを実感する。特別な存在ではないけれど,それこそが特別であるとも言える。

 こうして思考を巡らし,いつしか眠りに落ちている。ふと目覚めると14:30。なんとも言えない罪悪感と優越感がやってくる。でも,頭の痛さには敵わない。早く日常を取り戻したい。

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