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木曜日の憂鬱


 朝目覚めて,世界の明るさに寝坊を悟る。今から準備しても1限の開始には間に合わないだろう。15分ぐらい遅れても,途中から教室に入ればいいのに,どうやらぼくにはそんなことできないらしい。プライド?恥?面倒臭いだけだろう。来週は頑張ろうと思いながら再び眠りにつく。

 寝坊ってわけじゃないけど,そうゆっくりもしていられない時間。ぼくは自分自身を私という準備を始める。なんだか気持ちが焦っているようで,落ち着かない。木曜日はなんだか下を向きながら通勤してしまうんだ。職場に着いた時間はいつも通り,もしくはいつもより少し早い。まだ出勤していな人も少なくない。この時間に出勤してくる人は大体いつも同じ顔ぶれだ。みんな挨拶を返してくれる。そんな私の挨拶は昨日までと比べると幾分力ないことに誰か気が付いただろうか。あの管理職はよく人を見ているから気が付いているのかもしれない。
 正式な始業時間になると,どことなく元気が出てくるような気がする。というよりか,自分の体が業務モードに移行したのだろう。いわゆるアドレナリンのようなもので突き動かされているだけみたいだ。それでも,動かないよりは全然ましだ。
 木曜日は呪われているらしい。

 木曜日の呪いには薄々気が付いていた。多分それは小学生の時から。大学生で確信して,社会人になってもなんだか続いている気がする。
 でもね,自分でもわかってるんだよ。病は気から,ならぬ呪いは気からなのだ。別に呪われているのは木曜日だけじゃない。
 日曜日の夜は次の日のことを考えて結局憂鬱になる。それは木曜日とは違う種類の憂鬱。違う種類の呪いなんだよな。人間は生まれて名付けられることで初めて呪われる。それから呪い呪われ生きていく。ぼくも気が付かないところで誰かを呪っている。恨んでる?妬んでる?

 私の隣に座っている同僚は,労働の虚しさについて突如語り出した。5日しんどく働いて,それなりにしんどい2日の休日があっての繰り返し。それに気が付いて,なんだか疲れたようだ。そうだよ,やっと気が付いたんだね。それが現代社会の仕組みの中で,正統派として生きるということ。それは木曜日の朝のことだったんだ。

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