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社会人になると卒業シーズンとか関係ない
卒業式。人生で4回経験した。小学校からの卒業は結構覚えている。初めての卒業式。私は転校していたので小学校は3校目。3年ちょっと過ごした場所。周りが泣いているのがよくわからなかった。卒業したって小学校は我が家の目の前にあるし,ほとんどの友達は同じ中学校に進学たのだった。
中学校の卒業式。これは特に印象に残っている。特殊な環境だったから,高校受験と時期が重なり,何人か欠席していた。私の前に呼ばれるはずの子もいなかった。卒業後はみんなバラバラになった。世界中に散らばった。ドイツ,シンガポール,カナダ。日本国内でも沖縄から北海道までバラバラに散っていった。
高校の卒業式。不思議と何も覚えていない。高校生活は特に楽しいことはなかった。頑張って勉強して入学した高校は私にはレベルが高過ぎた。勉強にはついていけずに,すぐに落ちこぼれていった。そして,部活ばかりの日々。別にそれも楽しかったわけではない。いい思い出ではある。そんな感じだから卒業式には何も思い入れがないのだ。
大学の卒業式。こちらも特に覚えていない。友達や恋人,後輩たちとたくさん写真を撮ったような記憶がある。
卒業式は人生の一大イベントと世間では言われているが,特に大きな影響を受けた覚えはない。少なくとも私の場合は。それどころか,社会人になってからの卒業シーズンなど,ただの年度末だ。多少体制が変わるけれど,以前と変わらない雇用条件・給与のまま今までと同じ労働が続くだけだ。送別会で酒が飲めるくらいだろうか。
現在の環境からの離脱も「卒業」と表される。これに関してはシーズンは関係ない。そして,「卒業」と表現する必要もないと思っている。その環境に残るものから見たら離別かもしれないが,本人にとっては新しい環境への突入,挑戦である。卒業に関連づけられるワードの「旅立ち」の方がふさわしい。「卒業」が「旅立ち」を内包しているみたいに見えるけど,私としてはあまり好きじゃない表現だ。
前途洋々。前途多難。猪突猛進。
環境が変わろうと,変わるまいと計り知れない目の前の”世界”に突撃していくことに変わりはない。私は私の目の前に広がる何かに,その得体の知れないふわふわともやもやとしたものに,日々ぶつかりつつ生きていくしかないようだ。死ぬのはまだ怖いからね。