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夏の暑さは苦手なようで好きなようで

 うだるような暑さと言うけれど,「うだる」ってなんだと思っていた。今キーボードから「うだる」と入力したら,「茹だる」と変換された。そう言うことだったのか。それはもう生きていけない状態に思える。生存していくと言うか,調理されている。生肉の色がどんどん変わっていくように,蟹が美味しそうな色に変わっていくように,人間も変色していって美味しく召し上がられてしまいそうな雰囲気すらある。平仮名で表記するのは大切かもしれない。平仮名で表記すると「うだる」,どこかオノマトペに見えてくる。こちらも暑さでしなっている小松菜みたいな,しおれた人間が想像できてしまうところが恐ろしい。とにかく生命体が外で活動できるような気温ではないことが窺い知れる。
 しかし,私は夏が好きである。理由はよくわからない。夏が醸し出す雰囲気が好きなのだ。私が持っているこの感覚は,あるいはメディアや創作物によって作り出され,自身の中で強化かれていったものかもしれない。結局暑いのは嫌だし,朝早くから明るくなってまを覚まされるのもあまり好きではない。何が私を夏好きにさせているのかは,かなり曖昧で定かではない。

 暑さの中に趣はあるのか。子どもの頃は暑い中でも走り回って遊んでいた。今よりも暑くなかったらしい。それでも暑いだろう。現代の子どもを見ていても,幼かった頃の私と大差なく灼熱の中で遊び回っている。暑さを感じる感覚が異なっているのだろうか。三十路となった私にはもう夏の暑さの中で走り回ることなどできない。やらなければならない場面がきたらやるけど,そのあとに激しい後遺症のようなものが発現するだろう。
 今年の夏は例年より暑いのか。よくわからないけどたくさん汗をかいている。家から駅までの約10分で汗だくである。電車の冷房で濡れた服が冷たくなる。気持ちが悪い。それでも私は外に出ている。別に仕事でもないし,そうしなければ死ぬわけでもない。やはりどこか夏が好きなのだろう。年齢を重ねて,死が近づいて,残された時間で人生を楽しむために,行動力が変わってきている。そうなると季節とか関係なさそうだ。それでも空調のよく効いた電車の窓から夏の海を眺めるのはとても好きだ。

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