とある研究アシスタントの生物学③
AKIRAです。
本日は、このシリーズで扱った「ウイルス」について記事を書いていこうと思います。
ウイルスは細胞に潜むことができる
以前、ウイルスベクターの話をした際に、細胞のゲノムに遺伝子を挿入することができる、という話をしたかと思います。
それは、ウイルスがもともと持っている能力が反映されているからです。
よって、ウイルスは細胞の中に潜伏する能力を持っています。
どのように潜伏するのでしょうか。
それは、ウイルスの遺伝子だけを細胞の中に残して自ら消えることで潜伏します。
免疫はウイルスの遺伝子を見つけることができない
感染症の症状が出現する理由は、免疫がウイルスに感染している細胞を特定したり、ウイルスの体自体を認識することで攻撃を仕掛けるためです。
当たり前ですが、戦争の現場は武器等の使用によって荒れ地になります。
体の中でも同じことが起こるのですね。
しかしながら、ウイルスというものはしたたかで、細胞の中に自分の遺伝子を残して体をなくすことで細胞を隠れ家にすることができてしまうのです。
こうなってしまうと、免疫細胞はウイルスの存在を感知することができなくなります。
理由は簡単です。免疫細胞にとっての抗原は、ウイルスの遺伝子情報ではなく、タンパク情報だからです。
だから、まずは一般の方の「思い込み」を一度本記事でリセットしていただこうと思います。
感染≠発症
まずは、簡単なところから。
先述の通り、ウイルスは感染すると自分の遺伝子情報を感染した細胞の中に埋め込みます。この時のウイルスをウイルスになる前の状態、という意味でプロウイルスと呼びます。
この時のウイルスは、自分の体を作ることを考えてません。
むしろ、細胞に潜伏することで細胞増殖に伴って自分の遺伝子もついでに増やしてもらおうと寄生します。
だから、感染時と実際にウイルスの体が作られて免疫による反応が起こるまでにはタイムラグがあるのです。
この、免疫反応による体から出る不調がいわゆる発症というものです(発熱やのどの痛み、頭痛、咳など)。こう考えると、感染と発症という二つの現象は定義からして違う、ということが分かりますね?
変異にも種類がある
皆さんは、「ウイルス変異」という言葉を聞いてどのようなイメージを持たれるでしょうか。
もしかしたら、「ヤバいウイルスが出てきた!」と思われるかもしれませんが、実際はそうでもありません。
変異にもいろいろな種類があります。
変異したところで全く問題ない変異や、逆にまるっきり情報が書き換わってしまう変異も存在します。
しかし、遺伝子変異と聞くと一様に「ヤバいもの」というレッテルを張られるのは、まあ言ってみれば人間の防衛本能なのでしょうか?(笑)
ウイルスはたいてい自然選択による遺伝子変異が一般的
以前、私の記事の中で「生物は生き残ることこそが至上命題である」というお話をしました。それに関連することなのですが、ウイルスだってこの法則の例外ではありません。
例えばの話。
ウイルスは自律複製(自分で増える能力のこと)ができません。必ず宿主、と言って感染する細胞の存在に依存します。
極端な話、自身を複製することのできる細胞がこの世からなくなってしまうとそのウイルスは根絶…世界から消え去ってしまいます。
ゆえに、まずウイルスは「生物に定義される細胞に感染して自分が倒されない」ことが重要となります。
しかし、脊椎動物などには免疫という外敵や侵入者を排除するシステムがあるため、これを突破することは難しいです。
だから「免疫にバレないような状態を作らないといけなくなる」のです。これが俗に言う、免疫逃避というやつです。
しかし、そう都合よくいくわけではありません。遺伝子も形あるものですから限界というものがあります。
100%を超える情報量は遺伝子に入らない
PCやスマホのメモリにも同じことが言えるのですが、遺伝子はあくまで形あるものなので容量に限界があります。
ですので、変異が起こることで失われる能力もあるということです。
生物の世界では、この能力のことを「表現型」と言ったり遺伝学ではもっぱら「形質」なんて言い方をしますが、失われる形質があるということを理解する必要があります。
この点でいうと、ウイルスの場合はエンハンサー領域(ウイルスが悪さをする遺伝子の機能を高める領域)に影響が出たりします。
もっと直接的な言い方をすると、毒性が落ちていくのです。
感染力と毒性は同義ではなく、拮抗する関係である
さて、そう考えるとウイルスの感染力と毒性の定義は同義ではなくなってしまいます。
ですが、それで間違ってないのです。
本来、感染していく対象が自身のもつ毒性で死んでしまったら、効率よく自分を増やすことができなくなってしまいますからね。
つまり、感染力の獲得と毒性の強さはトレードオフ。
毒性と引き換えに、感染力が上がっていくのがウイルスの変異の一般的な経過です。
これが一般の方には浸透していないようですね。
この当たり前を知らないと、とんでもない誤解を生んでしまう原因になります。
では、実際にどういう誤解を生むのかを考えてみましょう。
感染症に対する対策としてワクチンが当たり前であるという勘違い
はっきり言います。
核酸ワクチン事業は無意味です。
というよりも、ワクチンを普及させなければならないほどの感染症はなかなか現れないという意味で。
インフルエンザは強毒株を持っている時代はそうでもありませんでしたが、弱毒化した株ではあまりにも無意味です。
現に、インフルエンザワクチンは弱毒化したワクチンを使っていますが、感染爆発は起こっていません。
このインフルエンザにしてもウイルスの一般的な形質変異過程を踏んでいます。
極端な話、ウイルスの免疫原性さえ保たれていれば、宿主の細胞内でスパイクタンパクを高発現する機構など必要ありません。
コロナウイルスにしても、核酸の構造安定やエンベロープにかかわるタンパクの抗原情報は高度に保存されています。
つまり、変異の起こりやすい抗原(もっと正確に言えば自然選択圧のかかるタンパク変異の起こりやすい部位)を狙うより、高度に抗原情報が保たれている部位を生体に暴露させたほうが免疫の回避は起こりにくいのです。
以上のことから、免疫学的にワクチンを感染予防策として当たり前と考える風潮は、はっきり言ってミスコンセプションと言わざるを得ません。
ウイルスが免疫を回避するのは当たり前
要は、抗生物質と一緒です。
ブドウ球菌をはじめとした細菌類を殺菌するために、人類は抗生物質というものを生み出しました。
そのパイオニアはペニシリンです。
しかし、徐々にペニシリン耐性菌が増え始めます。
だから、それに対抗して人類はペニシリン系の次世代であるセフェム系抗生物質を生み出しました。
しかし、これもまた耐性を持つ菌が現れます。
そうして生み出されたのが第3世代セフェムです。
この後もバンコマイシンやカルバペネム系などといった抗菌薬が開発されていきますが、最近ではニューキノロン系といった特定の菌株に対して抜群の効果を持つわけではないが、幅広く抗菌スペクトルを持つような抗菌薬を短期間で処方するといったトレンドになっているようです。(もしかしたら私の知識が古すぎて最新の抗菌薬はまた違ったものもあるのかもしれませんが)
話が多少脱線しましたが、ワクチンもこれと同じ。
特に核酸ワクチンなどまさしくこの例に該当します。細菌と抗菌薬・抗生物質のイタチごっこを再現しているだけです。
抗生物質に対して細菌が代替戦術をとることも、戦争で相手の国がやってきた戦術の弱点を突く行為も、免疫記憶が過剰になされた抗原の発現パターンをウイルスが回避するのもすべて同じ現象です。
おわりに
というわけで、少し難しい話になってしまいましたが、今回はウイルスについて語ってみました。
皆さんの知識向上につながれば幸いです。
気になったことは、皆さん個人個人で調べてみてください。
それでは、また。