自粛要請の無限ループから逃れた街、逃れられない街~コロナ禍の夜の日常
日本には今、二つのエリアがある。飲食店に対する営業時間短縮要請が行われている街と、既にそれが解除されている街だ。前者は夜8~9時を境目に街の表情が変わる。後者は深夜までネオン街の明かりが消えない。この1カ月、二通りの夜の街を歩いてみた。
営業時間短縮要請をシカトする飲食店
湘南に住む私は時折、近所の行きつけの飲食店で情報交換する。最近の話題はもっぱら、時間短縮営業を拒否している飲食店がどこにあるのかだ。昨年、緊急事態宣言が明けた頃は、もう休業要請があっても休業しないと言っていたが、いざ、時間短縮要請が来ると、やはり店は閉めざるを得なかった。私の住む市のほとんどは時間短縮要請に応じていたが、期間が長引くとともに要請に応じない店舗が現れてきた。
A市のC駅の周辺にある大衆酒場は、金曜日の夜ともなると、午後8時以降は外に行列ができる。2度目の緊急事態宣言以降、この店は通常通りに営業していた。そんな噂はすぐに広まるもので、夜8時以降は超満員になることが当たり前だった。
そんな店のカウンターに座り、背後のテーブル席を眺めてみると、マスク会食が徹底している人は一人もいない。みんな、大声で騒いでいる。店の入り口に消毒液はあるが、カウンターやテーブルのパーテーションはないし、ソーシャルディスタンスは確保されていない。ひしめきあって、酒を飲んでいる。店の入り口は開けっ放しだが、風はほとんど通らない。タバコが吸える店なので、お世辞にも空気は良くない。
店に空席が目立つようになるのは、午後11時を過ぎてからである。駅前から発車する最終のバスが出てしまうからだろう。需要は地元民が大半なのだと思う。
カウンターの一人客はみな、大人しい。ほとんどが仕事帰りのサラリーマンだ。静かに酒を飲んで、食事すると、そそくさと帰る。テーブル席は長い。べろんべろんになるまで飲む。
別の日、再び行きつけの店で情報を得た。B市のD駅南口にも時間短縮要請に応じていない店があるというのだ。思い出してみれば、その店舗は2回目の緊急事態宣言までは時間短縮に応じていたはずだ。深夜営業を解禁したのは最近なのではないか。
雨が降っていなければ、テラス席で星空を眺めながら酒が飲める。大昔、大学の友人とこのテラス席で深夜に記憶が飛ぶまでワインを飲んだことがある。ワインの空瓶がゴロゴロ転がっていた。金を誰が払ったのか、今も思い出せない。怖くて、思い出せない。
つい先週、深夜にその店に寄ってみた。確かに夜11時を過ぎても営業していた。入口のメニューを眺めていると、店内からボーイが声をかけてきた。「営業してるの?」「ええ、朝4時までやってます」…面白くなって、店に入ってみた。
この日、外は小雨が降っていたので、テラス席は使えなかった。カウンターもテーブル席も、大入り満員である。お洒落なカフェレストランという感じだろうか。メニューには数えきれないカクテルや、まあまあ高価なワインリストが並んでいた。やはり、あの夜、友人は万単位の会計を背負ってくれたのではないか。ふと罪悪感がよぎる。
客のほとんどは常連客だろうか。店のスタッフが客の名前を知っている。しらふで入ってくる客はほとんどいない。2件目、3件目の客が大半なのだろう。カウンターの奥では、マスクも着けずに大声でスタッフに話しかけるおじさんがいた。ベロベロである。「今日は5千円しかないから」と、しつこく強調していたが、なかなか帰らない。
そのおじさんがようやく会計して、店を出ると、すぐに別の客が入ってきた。ベロベロの状態で、足元がふらついている。先ほどのおじさんと同じ席に座った。やはりマスクはない。スタッフと大声で話している。
店を閉めきっていて、空気がこもっているのが分かる。なんで、そんなに自信満々にマスクも着けずに大声で騒げるのか理解しがたいが、酔ってしまえばなんでもありなのだろう。
この二つの店舗で見たのは、ゾッとする光景だが、私は店を責める気持ちにはならなかった。時間短縮に応じれば、感染者数を減らすことができる。医療資源の負担の軽減につながる。そう信じて、時間短縮要請に従ったのに、いつまで経っても感染者は減らず、時間短縮も終わらない。とりわけ、後者の店舗については1件目に寄る店ではない。午後8~9時以降に閉めろというのは、店のコンセプトを否定するものだ。
時間短縮の無限ループに陥った街では、これから都道府県知事がどういう要請を出しても、事業者が無視し始めるのではないか。政府と自治体によるリスクコミュニケーションの失敗といえよう。
夜9時以降も店で飲食できる解放感
一方、日本には緊急事態宣言が解除され、「まん延防止等重点措置」も、営業時間短縮要請も行われていない街がある。いや、むしろ、そういう街の方が多い。首都圏に住んでいると、全国津々浦々で起きていることのように思えるが、そうではないのだ。
福島県のいわき駅前の居酒屋は夜8時を過ぎても赤ちょうちんに明かりがついていた。県による時間短縮要請がないから当たり前なのだが、この1年以上見慣れた光景とはかけ離れていて、不思議だった。いわきを訪れると必ず寄る店があって、わざと夜8時以降に訪れてみた。
大変不謹慎かもしれないが、猛烈な解放感だった。
夜中に普通に店が営業している気持ちよさ。酒を飲もうが、飲むまいが、やはり気持ちが良い。
福島と言えば、カツオが美味しいので、カツオのたたきを頼んでみると、既に完売だったが、大将が「いいよ。作るよ」と冷蔵庫から刺身用のカツオを出して、あぶってくれた。これはうれしい。案の定、超絶美味しかった。
「うまい、うまい」と食べる私を見ながら、大将は「今年は初ガツオが早すぎる」と表情を曇らせた。確かに、4月は早い。今年は暖冬で、桜の開花も早かった。もしかすると、戻りガツオがないのではないかと。
気づけば、カウンターは私を含めて3人、奥のテーブル席も閑散としていた。営業していても、やはり客は酒場から遠のいているようだ。ただ、店にいる客はみんな、マスクを耳にひっかけて食事していた。時短破りの店と比べると、格段に安心して食事できた。
もう一つ、福岡も所用で訪れた。ここも政令指定都市でありながら感染者数の水準は人口比では神奈川県くらい。緊急事態宣言が解除され、時間短縮要請が行われておらず、飲食店は午後8時以降も通常営業である。
さすがに福岡は遠い。往復の飛行機に乗って、用事を済ませるととんぼ返りする。知人が住んでいるが、久しぶりに会おうとは思わない。できるだけ余計な人との接触を避けて、帰りの飛行機に滑り込むことにしている。
深夜、飲食店が並ぶ大名を歩いて、ケバブを名物とするバーに入ってみた。ここは日付が変わっても営業している。夜9時を過ぎていたが、店の奥のテーブル席は満席だった。前半で紹介したお洒落なカフェレストランに似ているだろうか。
店のスタッフはマスクではなく、マウスシールドを着用していた。感染防止にはあまり効果がないが、店のスタッフが美人揃いで、嗚呼、マスクじゃなくていいやと思えてくる(笑)
この街では普通に会食も行われている。街がにぎやかで、明るい。コロナ禍前の街の表情が戻っている。
もちろん、道行く人たちはマスクを着用している。店舗の入り口には消毒液があるし、検温も行っている。しかし、いったん規制から逃れた街は明るい。街の空気が重くない。ずっと自粛の無限ループにハマりこんでいる首都圏や関西圏と比べると、いったん規制を解除して、羽目を外す快感を知っている。ここは大きい。
オン・オフの切り替えを明確にしてほしい
コロナ禍でストレスのない感染防止対策を行うには、オン・オフの切り替えをいかにメリハリ良く行えるかにかかっている。ところが、首都圏では飲食店に対する時間短縮要請が2回目の緊急事態宣言以前から切れ間なく続いている。時間短縮要請のオン・オフ、緊急事態宣言のオン・オフはいずれも〝総合的に判断〟されていて、明確な条件は示されていない。
あえて言えば、感染者が増えれば飲食店に時間短縮を要請し、医療資源がひっ迫すれば、緊急事態宣言を発出するということか。あいまいでざっくりしている。特措法の改正で新たに適用が可能となった「まん延防止等重点措置」に至っては、どこで適用し、どこで解除するのか、基準が全く存在していない。
つまり、首都圏では、営業時間短縮要請(感染増)→まん延防止等重点措置(感染急増)→緊急事態宣言(医療ひっ迫)→営業時間短縮要請(感染は減っているけど念のため)→まん延防止等重点措置(また感染増えてきたから再適用)→緊急事態宣言(医療ひっ迫しちゃった、またやるよ)……という無限ループに陥るわけだ。その一つひとつの判断は〝総合的〟に検討するだけで、出口が見えない。
イギリスなどから流入した変異株は感染力が強いという。大阪は8割近くが変異株に置き換わってしまった。そうなれば、感染者は格段に増えることは、現在の大阪を見れば分かる。従来型の飲食店にターゲットを絞った対策では、感染者数の増加を止められない。
そんな状況で、上記のような無限ループを続けたら、〝自粛疲れ〟という状態を通り越して、空しくなる。
残念ながら、現在より強い自粛要請を行い、一定レベルまで感染者数を減らさざるを得ないのではないか。1年前の緊急事態宣言並みに強い規制を行うかどうかは議論があろう。ただ、飲食店だけターゲットを絞った対策では、感染者数を減らせないし、飲食店が音を上げるだけだ。
その代わり、オンとオフの切り替えの基準をはっきりさせること。強力な自粛要請は短期間にとどめること。いったんオフにしたら、限りなく自粛のない日常を取り戻すこと。
私は専門家ではないから無責任なことしか言えないが、じわじわと首を絞めて死に至らしめるような現在の手法では社会が持たない。1年を通じた長期戦なら、なおさらだ。
それをコントロールするのがリーダーの務めではないか。
自粛要請の無限ループから、いかにして抜け出すのか。少なくとも日本の国土の大半はそのループから逃れられているのだ。もうワクチン接種が遅れることが分かってきたのだから、〝新しい生活様式〟もリニューアルしてもらいたい。