公務員には善人と悪人がいる~小池都政の人事
都知事選の開票日、私は宇都宮健児氏の事務所にいた。
都知事選はこれで何度目だろうか。事務所は報道陣でごった返していて、窓は全開だったものの、確実に「密」状態だった。会場に入ってすぐに、ヤバいと思った。陣営のスタッフが見かねて、1社複数で取材している社には人数を減らすように要請があった。うちは元々、事務所ごとにペン記者1人、カメラ担当1人という体制で、候補者によっては両者を兼任して1人という事務所もある。宇都宮氏は最初から2位になることは分かっているはずだが、なぜか何人も総出で取材に来ている社がある。あれはいったい、何担当と何担当がいるの?(苦笑)
結局、スタッフが事務所に入った人の名刺を確認して、体制の手厚い社から人を減らすよう直々に要請に回った。それで、気持ち人は減った。あくまで気持ちの問題でしかない。私は最初の共同会見が終わった段階で、カメラ担当を帰した。他社の記者もほとんど撤収してしまい、ようやく安心して取材できる体制になった。
その間、約2時間くらいだろうか。あの場所に一人でも感染者がいれば、宇都宮氏も含めて会場に居たスタッフと記者のPCR検査は必須だろう。もちろん、直々に事務所に顔を出した共産党の小池晃書記局長や社民党の福島瑞穂氏まで巻き込むことになる。毎日、体温のチェックは欠かせないが、幸い体調不良ではない。とはいえ、都知事選が終わって、まだ1週間も過ぎていない。なにか起こるとすれば、これから先の1週間だ。何も起こらないことを祈りつつ、毎日を過ごしている。
選挙期間中、都政新報の都職員アンケートが話題になった。おかげさまでnote版の記事がびっくりするほど売れている。年末の仕事納めの打ち上げで出すおすしをワンランクアップさせるくらいの稼ぎはできたのではないか(ちなみに1人分の人件費すら稼げていない)。相変わらず、小池信者が必死にレッテル張りをして回っている。そのことがいかに卑しいかは前回書いた通りであるが、一つだけ指摘しておきたい。
都政新報の都職員アンケートは、回答数が少なすぎる。だから信用に値しないという主張である。
小池都政1期目の検証に当たって、昨年11~12月に都職員アンケートを実施した。本紙購読者の都職員を中心に800人を無作為に抽出。うち223人から回答を得た。有効回答率は27・9%。
そもそも都政新報が守備範囲としている「都庁」とはどこのことを言っているのか。ここが重要だ。というのも、単純に都費を投入している職員のことを「都職員」と言えば、本庁のみならず、出先事務所、公営企業、3セク・民間企業への出向、国・地方自治体への出向、警察、消防、教育、都立高校、都立大学の教員など、膨大な守備範囲になってしまうからだ。うちは読者の資格に制限は設けていないので、一般都民や、都民以外、外国人でも読むことができるが、警察や消防に関しては守備範囲に入っていない。読者もほとんどいない。都立高校や都立大学の教員も少ないのではないか。
東京都は、膨大な守備範囲の全てを見れば、16万人近い職員を擁するのだが、都政新報が守備範囲とする「都職員」はその半分にも満たない。
したがって、都職員アンケートによる小池知事の支持率の中に、警察や消防、高校、大学の都費職員まで含めて考えるのには無理がある。少なくとも警察・消防・教育の職員は除くべきだろう。それだけでも都政新報が守備範囲とする「都職員」は13万人は減ってしまうことになる。そうなると、残りは一般行政職を中心とした3万人くらいしかいない。これに加えて、東京23区の職員、多摩・島しょ地域の市町村職員も購読しているが、今回の都職員アンケートの対象とはなっていない。
つまり、3万人のうち800人を抽出して、223人から回答を得たということになる。
なぜ16万人という話がネット上で回るのか。答えは簡単で、ウィキペディアしか見ていないからだ。少し考えれば分かる話だが、現在のネット空間とはたかがウィキをチェックしたくらいで何かを知った気になり、ドヤ顔でSNSで物知りの振りをするのが当たり前になっている。それを小池信者がやっているということだ。
信者は教祖に似る、ということだな。
では、「3万分の223」が信用に値するのか。
NHKの世論調査を例に比較してみよう。NHKは内閣支持率をどのくらいの国民を抽出して、回答を得ているのだろうか。
NHKは、今月19日から3日間、全国の18歳以上を対象にコンピューターで無作為に発生させた固定電話と携帯電話の番号に電話をかける「RDD」という方法で世論調査を行いました。
調査の対象となったのは、2202人で58%にあたる1270人から回答を得ました。
日本の国民は1億3千万人いる。そのうちの2202人を抽出し、1270人から回答を得ている。「1億3千万分の1270」である。うちの「3万分の223」と比較していかがであろうか。うちの方がはるかに信用に値するとは思わないだろうか。仮に「16万分の223」で考えてみても、NHKの世論調査よりはるかに多くの「都職員」を抽出しているとは言えないだろうか。
こんなこと、普通に頭で考えれば分かることだ。
では、223人を対象としたアンケートで満足かというと、それはノーだと言いたい。少なくとも500人はほしい。できれば千人から回答がほしい。
うちは零細企業である。たかが20人程度しか従業員がいない。アンケートは編集部員が自分で作って、自分で刷る。アンケート用紙を折って、封筒に入れて、郵便局に出すまで、全て編集部員の手作業である。回答が集まってくると、都庁担当が「正」の字を書いて集計する。私が都庁担当だった時代は、回答の分析は調査会社に委託したが、あれはアホみたいに金がかかる。自分で集計して、自分で分析する。膨大な作業だ。
大手メディアなら委託会社に丸投げできるだろう。だが、それをするだけの予算はうちにはない。そういう限界の中でやっているアンケートだから、あまり高望みはできない。だが、知事の足元で働いている都職員の本音を聞くには良い材料だ。これまで歴代知事の側近たちはこういう調査を参考に、知事の庁内での求心力を把握していた。
石原都政でこうした職員アンケートをスポーツ芸能紙が面白おかしく取り上げるようになった。あくまで内輪ネタでしかない。前回も書いたが、都民の支持率と庁内の支持率が異なるのは当たり前だし、知事が庁内の世論に迎合する必要もない。いつの間にか、うちの調査結果が一人歩きを始め、会社が想定もしていない政治性を帯びるようになった。だから、ネトウヨ雑誌である『月刊Hanada』が飛びついたのかもしれない。
うちは本庁の職員を相手にした業界紙でしかない。少なくとも、入社当初はその程度の意識しかなかった。新聞自体が変質したわけではないが、やりにくい世の中になったなと思う。しかも、こうした「アンチ小池」のアンケートに答えること自体に問題があると苦言を呈する都議が現れるのだから、現場の職員は異論の声を上げることすら難しくなっているのではないか。石原都政ですらなかった恐怖政治そのものである。
都政新報7月10日号に9日付の局長級人事が載っていた。先日、副知事の交代があったので、それに伴う人事だろう。現場を離れて長いので、人事にはすっかり疎くなったが、それでもN福祉保健局長の交通局長への横転には驚いた。これでは実質的には「更迭」みたいに見える。
Nさんは総務局人事部長の経験があり、本来の都庁の出世ルートからすれば交通局長で終わるような人物ではない。そうあってはならないと思う。官房3局の局長になって当然の有能な公務員だ。タイミング次第では副知事になってもおかしくない。
いったい知事サイドに何が不評だったのかは分からない。新型コロナウイルス対策では常に最前線に立っていた。
石原都政以来、時折こういう人事は見掛ける。局長級に限らず、課長級、部長級、出先に飛ばされた人が二度と日の目を見ない。逆に日の目を見ないと思われていた人が知事が交代した途端、出世街道に復活することもある。
石原都政では、衛生局長(福祉保健局の前身)から中央卸売市場長への懲罰的異動に反発し、退職した幹部もいた。知事サイドから嫌われたらしい。やらせ質問事件で百条委員会が設置された当時、財務局長から交通局長に飛ばされた人もいた。この人はシンプルに悪人だった。
都庁の官僚組織には、誰が知事の椅子に座ったとしても変わることのないしきたりやルールが大昔から息づいている。それは彼らなりに組織を公正・公平に動かそうという矜持が創り上げたものだ。知事の任期は4年でも、都庁マンは何十年も働き続けなければならない。知事の気まぐれで組織をかき回されないための知恵でもあるのかもしれない。政党の推薦を受けない無党派の知事がいると、常にそういう官僚組織の流れと、知事サイドの意向とがぶつかり合い、押し返し、押し返されるという攻防が繰り広げられる。
ここまで書いて、青島都政時代にも知事との折り合いが悪くて出世街道を外れた人物がいたことに気づいた。現在の石川雅己千代田区長である。青島知事が1995年4月、「都市博の中止」を掲げて都庁に乗り込んだ。その最初の人事で港湾局長に抜擢されたのが石川氏である。ところが、たった1年で、石川氏は福祉局長に異動し、そのまま退職を迎えた。当時、都市博が中止され、臨海副都心開発の見直しが最重要課題となっていた。
公務員には善人と悪人しかいない。石原都政以降、悪人の方が出世しやすい組織になってきたなと、毎年の幹部人事を見ながら思う。石原知事は職員の支持率はさほど低くはなかったが、知事サイドに対する反発や人事の不満は多かった。真面目に仕事をしている幹部が報われない組織だった。もっと言えば、善人には出世できない都庁になったなと思う。小池都政でも人事は極めて石原的で、悪人は出世するが、善人が苦労する。
豊洲市場の盛り土問題で更迭された中央卸売市場長など、善人の典型だった。有能な公務員だった。
正直に言うと、我々記者は悪人を相手に仕事をしている。記者にとって使える公務員は、ほとんどが悪人だ。善人は使えない。真面目すぎて、情報を流してくれない。杓子定規で融通が利かない。青臭い。そういう公務員らしさがない悪人こそ、現在の都政では出世できる。
思えば、Nさんもなんという青臭い男だろうと苛立ちながら取材していた。だが、決して悪さをしない。騙さない。記者を悪意で利用しない。善人だったとも言える。
都知事が公選となって以来、都庁官僚の組織に息づいていた悠久の流れが石原都政以来、確実にかき回されていて、善人も悪人も公平・公正に報われる組織ではなくなってきているような気がする。私が都庁と向き合ってきた時代はたかが25年でしかないから、気のせいだよと言われればそれまでなのかもしれない。
しかし、やりにくい時代だなと思う。
思えば、大昔にNさんに電話越しに怒鳴られたことがあったが、今となっては懐かしい。あれはNさんが善人で、私が稀代の悪だったというだけのことだ。謝るつもりなど微塵もないが、彼のことだから善人らしく交通局長の仕事を愚直に全うするのだろう。