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『都知事の虚像~ドヤ顔自治体の孤独なボス』⑨都知事選を人気投票にした政治家たちの無能ぶり

 四半世紀に及ぶ記者生活で私は9回もの都知事選を経験しました(4年に一度では計算が合わないのは察してください)。都政の専門紙にとっては、都知事選と都議選は4年に一度のお祭りです。2003年に石原知事が再選した選挙を除くと、何らかの形で都知事選に関わってきました。

(2003年はなぜ関わらなかったのか分かりませんが、都政新報はこのとき都知事選についてほとんど報じていません…w)

 都知事選は、石原慎太郎や小池百合子のような稀代のポピュリストを爆誕させた根本要因です。

 これまで書いてきたように、都知事選とは「東京都」という広域自治体の首長を決める選挙でしかありません。東京都とは首都のエリアを統括する広域自治体ではありますが、首都ではありません。にもかかわらず、全国の新聞やテレビがまるで総選挙のごとく大々的に報じます。

 総じて、都知事選は人気投票になりがちです。選挙に勝つには知名度が必要ですが、あまりにもそこにこだわりすぎるあまり、政策や行政経験に関しては二の次になってしまいます。マスメディアは都知事選が近づくと、有力候補として有名人の名前を挙げるようになります。

 「ああ、また始まった」……政策や争点そっちのけで有名人の名前を並べる芸能誌を見ながら、いつもため息をつきます。アメリカの大統領選挙なら、メディアはハリウッドの俳優やテレビの人気キャスターの名前で盛り上がることはないでしょう。共和党と民主党が早い時期から予備選を行い、党の代表候補を選ぶという形が定番なので、一人を決める選挙でも単純な人気投票にはなりません。

 今回は、この迷走する都知事選をどうすべきかを考えてみたいと思います。

「勝てる候補」に出会えない自民党

 私が携わった9回の都知事選で、自民党が擁立した候補者が勝ったのは舛添要一氏のみです。あえて言えば、石原慎太郎氏は再選、3選、4選を自民党が支援していますが、石原氏は元々、1999年の都知事選に無党派で立候補し、自民党が擁立した候補を破って初当選しています。そういう意味では、自民党にとって「与党」ではあっても自分たちで擁立した候補ではないのです。猪瀬直樹氏は公明党や日本維新の会が支持していますが、自民党は「支援」止まり。自民党都連はギリギリまで猪瀬氏以外の候補者を探していたのです。

 ケチのつけ始めは、1995年にオール与党で担いだ元内閣官房副長官の石原信雄氏の惨敗です。無党派の青島幸男氏に大差をつけられました。1999年は自民党と公明党の推薦で元国連事務次長の明石康氏を擁立しましたが、やはり無党派の石原慎太郎氏に惨敗しました(初めて都知事選に立候補した舛添要一氏にすら得票数で負けています)。2003年、2007年は、自民党と公明党が石原氏を「支援」していますが、推薦は出していません。2011年も自民党都連幹部が石原氏を口説いて立候補させますが、都議会として推薦しているだけで、政党としては推薦を出していません。

 舛添要一氏は、自民党と公明党が推薦して初当選させることができました。両党推薦の知事は鈴木俊一氏以来のことです。

 地方の道府県知事選では大阪のように特定の政治勢力が強い地域はありながらも、自民党が推した候補が勝つのが当たり前になっているのではないでしょうか。むしろ、知事になりたい政治家が何人かいて、誰を候補者にするのかがニュースの話題だったりします。東京はそういうわけにはいきません。自民党の推薦はイコール知事への約束手形にはなりません。

 東京は膨大な無党派層が選挙の行方を大きく左右する都市です。有権者は1千万人を超えます。都知事選は相手の顔が見えない選挙なのです。だから、単純に地元の国会議員が知事になりたいとか、知事の下で働いてきた副知事を擁立するといった、地方の首長選ではありがちな候補者の擁立方法では、あっさりと負けてしまいます。

 政権与党たる自民党が立てた候補者が勝てないのですから、都知事選は並大抵の難しさではありません。

他道府県の田舎侍を都民は選ばない

 少し話はそれますが、都知事選では他の道府県の首長が勝ったことはこれまで一度もありません。これまで多くの知事や市長などが都知事選に挑戦しましたが、いずれも惨敗しています。

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 知事経験者、市長経験者がわざわざ他県の知事を目指すという事例はあまり聞いたことがありません。例えば、市長がそのエリアの県知事を目指すならあり得ることです。わざわざ他県から東京都の知事になろうとするのは、やはり「東京都」という広域自治体が特別な存在であるかのように認識されているからでしょう。とりわけ、石原慎太郎都知事の誕生は「都知事」という仕事に対する誤解を国民全般に行き渡らせてしまったと言えます。

 そういう石原都政の功罪は、これまでの連載で述べてきた通りです。

 同時に、こうやって越境してまで都知事の座を狙おうとする人たちが過去に一度も当選したことがないという事実も知っておいていただきたいと思います。

 つまり、東京都民は他道府県の田舎侍をリーダーにはしたくないということです(言い方は悪いですが)。

 もちろん、都知事選に挑戦した首長経験者の皆さんはいずれも市長・知事という立場で実績を積み、行政経験豊富な方々ばかりです。浅野史郎氏、松沢成文氏、増田寛也氏はいずれも改革派の知事としてらつ腕を振るった素晴らしい県知事でした。しかし、都民は彼らを選ばなかったのです。

 都知事選が近づくと、メディアの報道で必ず名前が挙がるのが橋下徹元大阪府知事です。任期満了で引退する松井一郎大阪市長も、次の都知事選では名前が挙がるのかもしれません。どちらも大阪では絶大な人気を誇っています。国民的な知名度も高い。

 では、都知事選で勝てるのか。そのときの組み合わせにもよりますが、私はどちらも当選できないと思います。

 都知事選は人気投票ですから、勝利するには知名度は重要な要素です。でも、それだけでは勝てません。都民にだってプライドがあるのです。

「後出しじゃんけん」は有利なのか

 都知事選での必勝法に「後出しじゃんけん」があります。これは1995年の青島幸男氏、1999年の石原慎太郎氏が告示直前に出馬表明し、マスメディアの注目を集め、その勢いで選挙戦を乗り切ったことから言われ始めたことです。

 都知事選は2011年までは毎回、統一地方選に合わせて行われていたので、いつもゴールデンウィーク前の4月が投票日でした。3月には予算議会があるので、勇退表明をした〝死に体〟では野党からなめられます。ですから、出馬表明や勇退表明が予算議会最終日になることはあり得るのです。

 新人候補は知名度アップが必要なので、後出しじゃんけんはむしろ不利になります。

 しかし、最初から知名度のある候補なら別です。青島氏も石原氏もインパクトが重要で、出馬表明から告示までの時間は短いほど、化けの皮がはがれなくて済みます。だから、戦略としては間違っていないのでしょう。

 2011年に立候補したタレントの東国原英夫氏は、そういう手法をあからさまに利用した人です。

 東国原氏は自著『決断の真実』で、次のように語っています。

 準候補者になると、全くというわけではないがテレビなどに出られなくなってしまう。「選挙に出る」と言ってしまうと、行動が制限されてしまう。出ないと言っているうちはメディアのプロモーション戦略は取れる。だから、「分かりません。今は白書の状態です」と言うしかなかった。

 東国原氏はいつも東京駅八重洲口のロータリー近くで囲み取材を受けます。集まるのは、芸能誌の記者や芸能リポーターばかりです。決して「出る」とは言いません。出るとも出ないとも言わずに、のらりくらりと取材を交わします。取材を受ければ、出馬表明しなくても翌日の記事になります。こうやって、観測気球を上げながら、都知事選の告示ギリギリまで引っ張るのです。

 だから、まだ出馬表明していないのに、自民党の世論調査では優位に立ったのです。

 こうした過去があるから、都知事選では必ず告示直前に出馬表明する候補者が現れます。2014年の細川護熙氏、2016年の鳥越俊太郎氏です。

 しかし、皆さん、振り返ってみてください。東国原氏も、細川氏も、鳥越氏も、落選しました。

 後出しじゃんけん有利説は、都市伝説でしかありません。

 都知事選に出馬する予定のある人は、早めに出馬表明した方が得策です。選挙期間は10日間しかありませんから、告示よりも前からテレビの報道番組で公開討論に応じて、選挙の争点を明らかにすべきです。政策論戦から逃げないでください。

自民党がもがく「勝てる候補」の呪縛

 石原知事の4期目、猪瀬知事、舛添知事と3代にわたり知事が任期途中で辞任しました。私はその大元には、候補者選びの失敗があったと思っています。その源流はやはり、石原4期目です。

 2011年3月11日、石原知事は第1回定例都議会最終本会議で4選出馬を表明しました。東日本大震災の発生まで30分弱に迫った時間です。以下は当時の議事録です。

〇知事(石原慎太郎君) 定例議会の終わりに当たり、議長のお許しを得て、私の進退について、一言、ごあいさつさせていただきます。
 私は、既にかなりの高齢であり、かねがね、みずからの心身の衰えを感じております。ゆえにも、長きにわたっての逡巡、呻吟の末に、今回それを押して、あえて知事選への出馬を決心いたしました。
 その理由は、今日、国民の多くが感じている国家破綻への危機感のゆえにであります。現今の国の政の混乱、停滞を眺めれば、この日本の命運は恐らくこの数年間に決められると思います。それを控えて、日本の心臓部であり頭脳部であるこの東京が混乱し、破綻することは、国家の喪失につながりかねません。
 過去十二年間、議会の皆さんと、皆さんを選んだ都民の支持と協力を得て行ってきた都政は、多くの成果を得たと思います。これは、知事である私にとって、政治家としての欣快、男子の本懐でありました。日本という国家の命運を支え抜くためにも、私たちはそれを失うわけにはいきません。ゆえにも、私自身の心身の限界はありますが、身命を賭して最後のご奉公をさせていただく決心をいたしました。
 都民と、都民の代表たる皆さんのご理解とご協力を改めてお願いいたします。ありがとうございました。よろしくお願いいたします。(拍手) 

 読めば読むほど、引退表明にしか読めません。今期限りで都知事を勇退するが、国家破綻への危機感を都民に訴え、引退後の国政進出をほのめかす演説のように読めないでしょうか。この一文を議場で聞いて、石原知事が直前まで3期で勇退するつもりだったことを悟りました。

 都知事選への出馬の理由が「国家破綻への危機感」だというのは、石原都政の混迷をそのまま表しています。事実、石原知事は4期目、尖閣諸島の購入など、都政とは関係ないことに執心し、任期途中で知事の座を投げ出してしまいました。

 辞める気満々の石原知事を最後まで説得したのは、自民党都連幹部です。都知事選の情勢調査で東国原英夫氏が優位だと分かり、東国原都知事誕生を阻止しようとしたのです。石原氏は自らの勇退を控え、松沢氏に「後継」として都知事選出馬を打診していました。すでに松沢氏は出馬表明を行い、知事選の準備を着々と進めていました。石原氏の4選出馬表明で、松沢氏はハシゴを外されてしまい、立候補を取りやめて、神奈川県知事としての震災対応に集中しました。

 当時の自民党都連幹部からすれば、何としても東国原都政を阻止したいという気持ちだったでしょう。しかし、それに勝る候補者を擁立することができず、最後の最後で石原知事にすがったのです。

 勝つことだけを優先する姿勢は、この先の混迷のきっかけをつくってしまいました。

 翌2012年、石原知事は任期途中で辞任する際、「猪瀬優位」の世論調査の結果を根拠に猪瀬直樹副知事を「後継」に指名しました。石原知事は自民党と同じことをしたわけです。自民党都連は猪瀬氏を都知事候補とすることに最後まで抵抗しますが、他に「勝てる候補」を擁立することができずに、結局、自民党として「支援」を決めました。

 自民党と猪瀬氏は相思相愛の関係ではありませんから、そんな政権が長続きするわけがありません。「政治とカネ」の問題を巡って猪瀬氏が〝炎上〟すると、手のひらを返したように都議会の総務委員会で自民党の都議がつるし上げを行い、辞任に追い込みました。

 選挙で支援した都知事が2人続けて任期途中で辞任しても、自民党はやはり「勝てる候補」探しから始めました。前回も書きましたが、推薦政党との距離が微妙だった舛添要一氏は、やはり最後の最後で自分を擁立した自民党にもはしごを外されました。

 この混迷は、石原4選というアクロバットから始まっています。世論調査の結果はどうであれ、まだ号砲すら鳴っていない選挙の人気を勝手に測り、勝てそうな候補に政党が乗っかる。政策や行政手腕とは関係ない部分が優先されるのです。

 振り返ってみれば、石原4選がなければ、猪瀬都知事は実現しなかったでしょう。舛添都政が実現したかどうかは不透明です。小池都政はなおさら遠のいたのではないでしょうか。

 では、石原知事が3期で勇退していれば、どうなったでしょうか。世論調査通りなら東国原都政だったかもしれません。果たして何期、いや何年続いたでしょうか。宮崎県知事を1期で辞めた人です。国政進出のチャンスが訪れれば、あっさりと国政選挙に出てしまったのではないでしょうか。

 勝負は下駄をはくまで分かりません。東国原氏が本当に勝てたかどうか、私は疑問を感じます。石原知事が勇退することが間違いないなら、他の有力候補が後出しじゃんけんで出てきても不思議ではないからです。松沢氏も立候補を辞退することはなかったでしょうから、石原知事がつきっきりで応援に入れば逆転できたのかもしれない。

 2011年3月11日は、東日本大震災が発生した日ですが、東京にとっても大きな節目だったのです。

野党も陥った「勝てる候補」探しの迷走

 こうした「勝てる候補」探しの混迷は、国政野党の側も追随しています。2014年の都知事選で、脱原発の候補者として細川護熙元総理が立候補しました。既に建て替えられた旧ホテルオークラ東京の前に細川氏と小泉純一郎元総理とのコンビが立ち、報道陣の囲み取材に応じて出馬を表明しました。

 熊本県知事としての経験があるとはいえ、元首相が都知事選に挑戦するというのは異例中の異例です。脱原発の市民団体や政党がいかにネームバリューを重視していたのかが分かります。ところが、細川氏は「脱原発」という旗印だけは明確でも都政のことが分からない。だから、テレビの公開討論会をことごとく拒否しました。

 ホテルオークラでの出馬表明が絶頂で、日が経てば経つほど都民の期待は薄れました。結果としては脱原発票は細川氏ではまとまらず、舛添氏の独走を許し、2012年に脱原発の統一候補として立候補した弁護士の宇都宮健児氏が2位、細川氏はさらに後塵を拝する3位に終わりました。

 正直に言います。細川氏は東京都政をバカにしているのかと思いました。元総理ともあろうお方が市民団体のおもちゃにされて、ご本人はそれで満足だったのでしょうか。

 2016年の都知事選には、野党各党がまとまる形で鳥越俊太郎氏が立候補しました。既に過去2回都知事選で次点となっている宇都宮氏が立候補していましたが、こともあろうか野党は知事選の実績よりネームバリューを重んじたのです。しかも、その決め方はブラックボックス以外の何ものでもありません。都知事選告示の直前に突然、鳥越氏が民主党の幹部と会い、立候補を決めたのです。

 宇都宮氏の事務所には立候補を辞めろと抗議の電話が殺到しました。宇都宮氏はやむなく立候補を辞退しました。

 票が割れるからといって、出馬表明している人物の事務所に一斉に電凹攻撃して、引きずり下ろす。これを、「憲法を守れ」とか、「民主主義を守れ」と言っている人たちが平気でやるのです。野党を支持している人たちは、全体主義の芽が自分たちにも眠っていることに気づいていません。深刻な事態だと思います。

 では、鳥越氏は都知事候補としてふさわしかったのか。残念ながら「都立保育園」などという寝言のような公約を掲げて、都民の失笑を買いました。都政のことを知らないのです。政策はそっちのけで、勝つことしか考えていない。要するに、野党が自民党をやっつけたかっただけです。

 この選挙では、自民党も「勝てる候補」探しに難航し、ようやく擁立したのが元岩手県知事の増田寛也氏でした。

 前述しましたが、都民は他道府県の田舎侍を嫌います。もちろん、増田氏は人格も行政手腕も遜色ありません。しかし、他県の知事を都知事選候補に擁立する。これはやはり禁じ手でした。

 鳥越氏は立候補直後に過去の女性スキャンダルが発覚し、一気に支持を失いました。結果は小池知事が初当選し、鳥越氏は3位に沈みました。

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 どの政党も、勝てばなんでもいいという候補者選びばかりしています。そういう姿勢が小池百合子氏のような稀代のポピュリストの付け入るスキを与えたのです。小池知事は無党派で当選した人ですが、政党が政党としての役目を果たしていないことが小池都政実現の背景にあったのです。

 もういい加減、野党は懲りたのかと思いましたが、2020年の都知事選でも告示が近づくと、「山本太郎」「蓮舫」といった名前がマスメディアで流れ始めました。再選を目指す現職は無敵です。有名人を出せば勝てるような選挙ではないでしょう。最終的には4年前にハシゴを外した野党が宇都宮氏を支援するという不可思議な共闘が実現しました。勝負以前に共闘を優先した形です。

都知事選を制するには250万票が必要

 都知事選に3度挑戦し、3度次点だった宇都宮氏は、『都政新報』(2019年9月10日)のインタビューにこう語っています。

 4年に一度、勝てそうな候補としてタレントや有名人を口説いて、それが市民団体の重要な活動だと思っている人たちもいる。選挙は落ちたときから次に向けて始まる。選挙が終わってからも、都政を変えていくための都議会の傍聴や監視、地元の区市町村の議会の傍聴、市民運動などの活動につなげていくべきだ。
 日本の市民運動には民主主義がない。彼らはよく民主主義という言葉は使うが、安倍政権に対してだけではなく、自分たちの陣営の中の市民運動、野党も含めた民主主義を考えてほしい。自分の足元は独裁で、大きな政党が決めたら従うのは危険な兆候だ。本来、市民運動と政党は対等な立場で、市民は政党の小間使いではない。

 ぐうの音も出ません。

 都政を変えたければ、政党も市民団体もまず足元から変えていくべきです。都民の代表を決めるのは有権者です。自分たちが擁立した候補だけが都民の代表ではありません。都民の思いそっちのけでタレントや有名人を擁立するのに躍起になり、都知事選を人気投票にしてしまったことを、都政に携わってきた政党人、市民団体の幹部、そして、それらをあおってきたマスメディアが反省することなくしては、都政の正常化は期待できません。

 〝石原的都政〟からの脱却は、そこから始まります。

 東京都の有権者はおよそ1千万人です。仮に投票率50%と仮定しても勝利するには有権者の4分の1、250万票が必要です。組織票だけで勝ち抜けるほど甘くはないし、東京全域に知名度を広げるには選挙期間は短すぎます。

 街頭演説していて、選挙カーの周りに集まってくるコアな支持層は勝利のカギを握りません。都知事選に勝つには、そのもっと向こうで冷ややかな目で遠巻きに街宣を見つめている都民の支持が必要です。大音量でがなり立てても、その人たちに声は届きません。

 たった一度の落選であきらめない、粘り強い戦いこそが都知事選を制し、都政を変える原動力になります。

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