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『都知事の虚像~ドヤ顔自治体の孤独なボス』⑤〝石原的都政〟に翻弄された四半世紀

 石原慎太郎と言えば、「くだらん質問をするな!」と記者を恫喝する強面ぶりが印象に残っていると思います。テレビの映像ではそんな場面ばかり切り取られますよね。私は都庁担当記者の端くれとして数度インタビューに同席したことがありますが、直に会ってみると意外に優しいおじいちゃんでした。いくら石原氏でもいきなり怒鳴ったりはしないのです。

 ただ、非常に用心深い人でした。インタビューの最初に、相手を試すような逆質問をしてくるのです。「私がやったことで一番大事なのは何だと思う?」……頓珍漢な回答をすると、機嫌を損ねます。的を得ていたら、ニコリと微笑み、うれしそうに話してくれます。

 都知事のインタビューは各社まとめて日程を組みます。1社15分くらいでしょうか。応接室で次々と知事が記者を迎え入れるのです。名刺交換はしないタイプらしいです。知事が着席したらさっさとインタビューを始めます。3期目の最終年(2011年)の年明けに、インタビューに伺った際は、「こっちも大変だが、君たちも大変だよな。しょうがないよな、仕事だからな」と苦笑いしていました。

 都庁は組織の中でチームを組んで仕事をします。でも、都知事は意外に孤独なのでしょう。歴代の知事を見ていると、イエスマンばかり周りにそろえている割には、大事な情報が知事の耳に入っていないと感じることがありました。副知事出身であれば、官僚とのコミュニケーションもうまくいくでしょうけど、外から乗り込んだ知事は〝裸の王様〟になりがちです。役人に対して疑心暗鬼になったり、役人主導を嫌ってお友だちを側近に起用して、組織から孤立していくのです。

 そんな石原知事が都庁に残した〝トップとしての振る舞い〟と〝その結果としての行政運営〟は、その後の都政にも深い溝を残しています。

 私はそれを「石原的都政」と定義したいと思います。

パフォーマンス優先の劇場型都政

 青島都政から石原都政、猪瀬都政、舛添都政、そして小池都政へと至る四半世紀の歴史は、一言で言えば「石原的都政」に翻弄され、迷走した歴史と総括することができます。唯一、舛添都政だけは、その初心においては「石原的都政」からの脱却を掲げましたが、道半ばにして挫折しました。

 石原都政以前である青島都政も含めたのは、それが石原的都政の源流にあり、前夜だと感じたからです。

 では、石原的都政とは何なのか。

 第一に、パフォーマンス優先の劇場型都政です。記者会見や講演、新聞やテレビのスクープなどで知事本人の口から発表し、大きな打ち上げ花火を上げます。トップダウンで決まっているので、都知事の発表なのに都庁の役人はほとんど知らない。マスメディアを味方につけて大々的に宣伝するので、社会的なインパクトは非常に大きいですが、都庁内での議論はもちろんのこと、都民や専門家の意見を聞くといった熟議が足りないので、施策が走り始めてから矛盾が露呈してきます。

 新銀行東京が良い例です。当時は不景気で銀行の貸し渋りが問題となっていました。では、東京都が〝都立銀行〟を創設し、困っている中小企業に資金を貸してあげよう。聞こえは良いですが、貸金業はお金を返してもらえなければ、貸した側が破綻します。銀行がリスクの高い中小企業にお金を貸さないのは、貸しても返してもらえないからです。都立銀行が無茶な取り立てをするわけにもいきません。夜逃げされたら焦げ付くだけなのです。最初から誰もが想像できたことでした。実際、融資した途端に倒産する会社までありました。

 東京都が1千億円もの税金を出資して設立した新銀行東京。設立当初はマスメディアの注目を集めて、華々しくスタートしましたが、たった3年で累積損失1016億円という破綻寸前まで追い込まれました。2008年2月、都は新銀行東京に対して400億円の追加出資を決めました。都議会はそれを認めてしまいますが、その後の新銀行東京は預金者向けのサービスを相次ぎ縮小し、ついにはATMすら廃止され、とにかく潰れないように体力を温存させることしかできなかったのです。

 2018年には八千代銀行が東京都民銀行と新銀行東京を吸収合併して、「きらぼし銀行」として再出発しました。

 大手銀行に対する外形標準課税(銀行税)を覚えているでしょうか。就任した翌年2月、記者会見で突然発表しました。石原知事が就任した当時、都は財政危機に陥っていて、新たな税収を必要としていました。そこで地方の課税自主権を行使した〝石原新税〟が検討されたのです。外形標準課税なら不良債権の処理で赤字に陥っていた銀行からも課税できます。1期目で石原人気絶好調という時期だけに、都民は喝采を浴びせました。

 しかし、考えてみれば、特定の業種を狙い撃ちして自治体が課税したら、ただのいじめです。

 これには当時の政府ですら、苦言を呈していました。

銀行等の自己資本の減少とともに、不良債権処理の遅延、経営健全化計画の履行及び公的資金の返済への支障、金融再編への悪影響、金融機関間における競争条件の不均衡、といった問題が生じることが懸念される。また、世界の金融センターを目指す東京金融市場に対する予見可能性、信頼性について、国際的な疑念を招くおそれがある
https://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/2000/toukyouto-tihouzei.html

 結局、都は銀行側に訴えられ、敗訴し、都側が大きく譲歩した和解に落ち着きました。「和解」とはいえ、税率を元に戻して、都が課税した税金を銀行に返すわけですから、全面的な負けです。

 新銀行東京にしろ、銀行税にしろ、チェックをする側の都議会は、石原人気を恐れて迎合するだけでした。

 都庁は銀行など設立してはいけないのです。連載の最初にも書きましたが、都政が本来の広域自治体としての役割をしっかり発揮しないで、自治体行政からかけ離れた民間の仕事に手を突っ込み、あげく大失敗する。それに対して、チェック機関であるべき都議会が右から左へと受け流し、ブレーキ役になれない。マスメディアは石原都政の発信役として、批判的精神を忘れてしまう。

 自治体行政には、まちづくりや産業などを興し、中小企業の仕事を増やすことができます。都庁が銀行など持たなくても、貸し渋りで苦しむ中小企業には運転資金の助成や利子負担の軽減など、いくらでも施策を打つことが可能です。都が投じた最初の出資額は約1000億円、破綻寸前で追加出資した額が400億円、これだけの税金があれば、どれだけの中小企業を助けられたでしょうか。

 後段の外形標準課税についても、銀行と闘うのは、都庁の仕事ではないのです。「銀行は儲かっている」「銀行はズルい」……そういう国民・都民の感情を巧みに利用し、大銀行をやっつけるという〝政治活劇〟を見せて、大衆を喜ばせる。記者会見というワンマンショーをフルに利用し、大銀行を叩いて、自分たちの味方を増やす。そういう手法に対して、都議会もマスメディアも批判しようとしない。

 石原知事の周りがイエスマンばかりになる。間違ったことを始めようとしても、ブレーキ役がいない。

 パフォーマンス政治と劇場型都政の行き先に見えてくるのは、全体主義であり、ポピュリズムなのです。

歪なヒエラルキーと恐怖政治

 もう一つの「石原的都政」の特徴は、トップダウンと恐怖政治です。

 2001年の第1回定例都議会本会議の一般質問で、その年の任期満了に伴い勇退する社民党の藤田十四三氏(故人)が最後の質問に立ちました。都議会史上、最後の社民党都議です。

  今定例会で提案された組織改正の目玉となる知事本部の下敷きとなったであろう大統領府などの発想にうかがわれる、知事の強大な権力志向と、例えば石原新税にかかわって私がおこがましく指摘したような行政手法が合体し、常態化する。身近でだれも知事をいさめない。加えて、昨年第四回定例会終了時のコメントで私が言及した、容貌を動かしてここに暴慢に遠ざかる、この作風が知事の周辺でなくなる。さらに、執行機関と議会相互間のチェック・アンド・バランスの気概が不十分なまま、都知事のトップダウンが突出し、まかり通る。まさにこのヒエラルキーができたときの都政はどうなるのか。その危惧と、都議選、参議院選後、混迷必至の政局下、都民の知事への支持も、知事と都議会の関係も定かでないと見る私の認識を重ね合わせ、私は、これからの都政の行く末に思いをはせます。

 社民党所属とはいえ、藤田氏はむしろ保守的な考え方の持ち主でした。石原都政との関係も決して悪くはない。そんな藤田氏が最後に都政の行方を憂いたのです。「執行機関と議会相互間のチェック・アンド・バランスの気概が不十分なまま、都知事のトップダウンが突出し、まかり通る」という指摘は、まさに当時の石原都政を的確に分析していました。

 石原知事は「このままいくと独裁的なヒエラルキーができるんじゃないかというご懸念でございますが、これは、膨大な数を抱えたチームプレーである限り、そんなことはできるわけありません」と否定しましたが、後に藤田氏の懸念は現実のものとなるのです。

 2005年、都議会に35年ぶりの百条委員会が設置されました。2期目を迎えて絶頂を迎えていた石原知事は、これを契機に坂道を転げ落ちるように求心力を失いました。この年の3月に都議会予算特別委員会で、知事の側近である濱渦武生副知事は、社会福祉総合学院の補助金を巡って民主党の都議に〝やらせ質問〟を働きかけ、自ら答弁席に立ち、明らかに問題があるという趣旨の答弁を行ったのです。

 前述した「劇場型政治」を思い出してください。何らかの〝敵〟を設定して、その敵をやっつけることで都政があたかも良くなるような印象操作を行う。浜渦副知事の手法は、まさにお手本通りでした。百条委員会の調査では、濱渦氏はこの問題を利用して都庁内の実力者を追い落とし、内田茂都議会議長や石川雅己千代田区長までも標的にしていたと言います。

 ところが、濱渦氏の狙いを当時の自民党幹部は見抜いていました。百条委員会が設置され、関係者の証言により民主党都議の質問が〝やらせ〟だったことが明らかにされました。石原知事はその責任を取らせる形で濱渦副知事を更迭。石原都政の歪なヒエラルキーのトップにあった人物が都庁を去り、権力の構造が入れ替わったのです。

 『都政新報』は石原都政を振り返る連載で、百条委員会事件の背景と石原都政の実態をこう振り返っています。

 登庁が週2~3日で、午後の数時間だけ。都政に関心がなく、ほとんどを他人任せにしながら猜疑心だけは強く、職員を信用しない。ざん言と揚げ足取りが横行する組織運営では、知事の威光を笠に着た側近が幅を利かす。石原知事のもとだから起きた事件であって、鈴木都政では絶対に起こり得なかった。
 濱渦武生副知事、桜井巌出納長などの一部官僚と一部マスコミが意図的に疑惑を捏造し、庁内の完全支配を狙ったのが事件の構図である。一部で言われる「ケンカ」などではない。
 それまでも濱渦副知事は、保身と出世しか考えていない役人を巧みに手玉にとってきた。気に入らない優秀な局長は、肩たたきで早期勧奨退職とし、官僚がなびくように人事を壟断した。「お手紙」「わび状」を書かせ、濱渦副知事を通さない報告や決済は、知事に上げられない庁内システムを作り上げてきた。

 濱渦副知事を通さないと、案件が何も通らない。まして、嫌われたら悲惨です。東京のため、都民のために進めなければならない施策があっても、知事の側近がシカトするわけです。都庁の官僚は焦ります。浜渦副知事宛に「わび状」や「お手紙」を書いて、忠誠を誓うのです。

 石原都政の下で、有能な都庁官僚が次々に使い捨てられ、都庁を去ってしまいました。いつの間にか、都庁は上司のご機嫌を伺って仕事することしかできない〝ヒラメ〟管理職ばかりになってしまったのです。

 濱渦氏の誤算は、〝都議会のドン〟でお馴染みの内田茂都議まで追放しようとしたことです。

 つまり、〝虎の尾〟を踏んでしまったのです。

 追い詰められた石原知事は、濱渦副知事を更迭しました。では、都庁は果たして正常化したのでしょうか。これも、『都政新報』の連載から引用してしましょう。

 事件は、濱渦副知事らを都庁から「追放」して収束するが、それによって都庁は「正常化」したのだろうか。残念ながら否だった。最後の最後に議会の有力者と知事サイドが手を結び、都政の権力構造が変化しただけに終わった。
 それまでは、濱渦氏という権力志向の強力な側近がいて、それと戦いながら政策中心の都政運営を目指す官僚組織との間に、緊張感とエネルギーがあった。双方の司令塔が消え、残ったのは都政の重心が議会主導に移ったという事実だけだったのである。

 小池知事が最初の都知事選で、「都議会のドン」という言葉で自民党都連を攻撃しました。知事が週2回しか出勤しない。しかも、都政には関心がなくて、他人任せ。そういう状況で、役人は知事に代わる〝決済役〟を求めたのです。石原都政の前半で〝濱渦詣で〟を繰り返した役人たちは、コロッと態度を変えて、今度は〝内田詣で〟を始めました。

 小池都政は、そういう議会主導の都政を変えましたが、皮肉なことに権力の移行が行われただけで、小池知事自身が人事で〝恐怖政治〟を断行し、庁内を震え上がらせることになります。

歴史修正主義の罠にハマる

 〝改革派〟を自称する政治家が総じて罠にハマるのが歴史修正主義です。日本維新の会の政治家たちを見ていれば分かりやすいですが、「改革」を掲げると、不思議なくらいに歴史修正主義にのめり込んでゆきます。河村たかし名古屋市長は「南京大虐殺」、橋下徹元大阪府知事は「従軍慰安婦」、石原知事は露骨に「侵略戦争」全般を否定します。

 石原知事は毎年8月15日になると靖国神社に参拝し、マスメディアの記者はハマったように「公人としてか、私人としてか」と質問し、石原知事に「バカな質問するな」と怒鳴られるところまでがセット商品として配信されていました。よくも毎年、同じやり取りを繰り返すものだと感心しますが、石原知事にとってはそこでマスコミを〝やっつける〟ことで保守層から拍手喝さいを浴びたのです。

 こういう〝改革派=歴史修正主義〟の基本セットをつくりあげたのは石原都政に他なりません。

「東京から日本を変える」という欺瞞

 そして、四つ目は「○○から日本を変える」という政治スタンスです。

 石原都政は、日本を変えたでしょうか。確かに、日本の空気を変えました。それは前回、述べた通りです。社会の右傾化に石原知事の発信力は大きく貢献しています。〝ネトウヨ〟と言われる人たちの心のよすがとして、石原知事の功績は敢然と光り輝いています。

 石原都政を知る多くの人は、国に先駆けたディーゼル車規制を功績として挙げるでしょう。確かに私も石原都政では国を動かした取り組みの一つだと思います。あのディーゼル車から排出される黒い粒子の入ったガラスケースを振り回す石原知事を覚えている方は多いでしょう。あのパフォーマンスだけでマスメディアや都民を味方に付けてしまいました。これもまた銀行税と同じで、黒い煙を吐くディーゼル車という悪者を仕立て、メディア向けのパフォーマンスで都民受けを狙ったのです。

 しかし、環境問題はディーゼル車だけを標的にしていても解決しません。石原知事が就任してすぐに都庁の「環境保全局」から「保全」の文字が消えました。東京都の「みどり率」は、減りはすれども増えてはいません。都心再生で、高層ビルが林立していますが、環境は守られているのでしょうか。派手な打ち上げ花火ばかりに気を取られていると、木を見て森を見ずになりかねません。

 都知事が変えているのは、日本の空気です。石原都政以来の歴代の都知事や、都知事選に挑戦する候補者たちは、「東京から日本を変える」というフレーズを好んで使います。でも、冷静に振り返ってみてください。都知事は本当に日本を変えたでしょうか。

 日本を変えたいのであれば、都知事選ではなく、国政選挙にチャレンジしてください。都庁に骨を埋める気がない都知事は必要ありません。

 私は思うのです。国を変えなくていいから、東京を変えてください。マスメディアに連日追いかけられ、会見ではテレビカメラがずらりと並ぶ景色に悦に浸っていないで、どうか都民と向き合ってください。広域自治体の首長として、行政本来の仕事に集中してください。

 東京都は広域自治体であり、都知事とはその首長です。総理大臣へのステップではないし、総理になれない政治家のイデオロギー装置ではありません。

「石原的都政」の克服が課題

 以上、「石原的都政」の四つの特徴を見てきました。例えば、青島都政下ではその前夜として、〝就任直後に目的を達成してしまい、都政で何をしたらいいのか分からない知事〟を支えようと、庁内に複数の副知事を頂点としたヒエラルキーが存在しました。リーダーが仕事ができないと、ヒエラルキーは歪になるのです。猪瀬都政は、基本的には「石原的都政」をそのまま継承していました。知事ブリーフィングであまりにもどうでもいい質問をして、答えられないと怒鳴り散らすので、都庁の職員がiPadを持ち込んでその場をしのいでいたというのは有名な話です。舛添都政はそういう「石原的都政」からの脱却を目指しましたが、初心を忘れて権力に溺れてしまいました。小池都政に関しては、また別の機会に分析したいと思います。

 最初にも述べたように、この四半世紀にわたる都政は、こうした〝石原的都政〟に翻弄されたと総括することができます。それは言ってみれば、広域自治体としての本分を忘れた行政運営でした。都知事選が近いうちにあるのなら、そこを克服する候補者の登場を期待したいと思います。

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