「ザイチョウで女を口説いた」というベテラン記者の伝説~都構想の肝でもある都区財調について
何年か前に亡くなってしまったが、うちのベテラン記者のSさんは、「キャバクラに行くと、ザイチョウで女を口説いた」という伝説を残している。どこまで本当なのか分からないが、あながち嘘ではないと思っている。
大阪が都構想の実現を目指すようになって、「都区財調」という仕組みも新聞でたまに見掛けるようになったが、一般市民には馴染みが薄いし、新聞記者でさえ都の交付金程度の認識しかないのが記事を通じても分かる。私自身は1995年に今の会社に入って、記者として「ザイチョウ」という摩訶不思議な財政調整制度を取材する立場となった。それ以来、もう25年もこの「ザイチョウ」に付き合わされている。
キャバクラで何を話せば、財調の話題になるのか分からない。私自身は昔、別の先輩に連れられて何度かキャバクラに連れていってもらったことがある。北海道に旅行に行った際、たまたま先輩の父親がキャバクラに連れて行ってくれたという経験もある。どういうわけか、私がキャバクラにハマることはなかった。やはりそれは、ザイチョウで女を口説くなどという荒技ができなかったからであろうか。
では、「ザイチョウ」とは何のことだろうか。これを一言で説明できる人を私は知らない。私自身、説明しろと言われると自信がない。それほど、想像力が必要で、奥深い財政制度なのである。そして、現在のところ、この制度は東京にしかない。つまり、「都に設置される区」にしか必要のない制度である。正確に表現すれば、都区財政調整制度と言う。これを行政マンは「財調」「都区財調」と略して使う。
東京都の区は「特別区」と言って、政令指定都市にある「行政区」とは異なる。特別区は、名古屋市や横浜市と同じように基礎的自治体で、法人格を持っている。区長がいて、区議会が設置されている。そこが、名古屋市瑞穂区や横浜市戸塚区とは根本的に異なる。一つの自治体だから、住民税などの課税権も持っていて、その収入で行政サービスが行われている。ところが、市町村のように全ての行政サービスを担っているわけではない。東京23区の区域で統一的に行うべき行政サービスは、都が担っている。例えば、消防や水道などがそれである。
本来、基礎的自治体が行うべき住民サービスの一部を都が担う。だから、23区の区域では大都市事務にかかる財源を都と区で分け合っているのだ。具体的には、法人市民税・固定資産税・特別区土地保有税の三税を都が課税し、その一部を区に交付している。これを垂直調整という。
23区の行政需要と収入には格差がある。人口も異なる。だから、都から交付された財源を区の実態に合わせて23区に振り分ける必要がある。これを水平調整という。
この都と区の間の財政調整のことを、通称「都区財調」「財調」と呼んでいる。
各区に配分される交付金はどうやって決めるのか。これは区がルールに従って需要を積み上げ、需要と収入を比較し、足らず米を交付するという仕組みだ。収入の方が上回っている場合は「不交付」となる。行政システムに詳しい方はご存知かと思うが、地方交付税の仕組みと酷似している。ただ、地方交付税の総額は、国の皮算用で年度によって安易に増減するのに対して、都区の関係は極めて機械的に配分割合に則って交付総額が決まる。
2000年の都区制度改革以降、都と区の配分割合は、大きな税制・制度改正や都から区への権限移譲などがあった場合を除き、ほとんど固定化されている。
かつて23区では「総額補塡主義」で交付額が決まっていた時代がある。つまり、需要を積み上げて、その需要に見合った交付金を交付することだ。しかし、高度経済成長期には税収がどんどんと上がり、需要を積み上げても財調財源が余り、区の配分割合を下げなければならないほど、収入が増えてしまった。せっかく長年確保してきた既得権益を逃したくない区側は、都区の調整率を固定化して、収入に合わせて需要を積み上げるという考え方に転換した。
ところが、バブル経済が崩壊し、収入が下がり始めると、需要に見合った収入が確保できなくなった。自分たちが言い出したことではあるが、そこで方針を転換する。収入に応じて需要を決めず、需要に応じた配分割合にしろと言い出したわけである。そんなこともあって、2000年都区制度改革に向けた協議は、紛糾に紛糾を重ねた。当然のことだが、都区制度改革とは特別区が一人前の自治体になることに他ならない。都区の配分割合は大きな変動がない限り固定化される。都と区は、都が区にお金を分け与える親子の関係ではなく、対等な関係になる。金が足りないから、親に金をよこせとせびる関係では、本来なくなるはずだった。
ところで誤解されている方は多いと思うが、都区財調における「需要」とは現実の需要のことではない。あくまで算定ルールの化身である。
もうキョトンとしている方は多いだろう。
都から配分割合に基づいて交付される交付金は、一般財源である。それは、調整3税から23区の交付金を引いた残りの都の取り分も、同じである。特定財源ではない。
一般財源とは何に使ってもいい財源である。一方、特定財源とは目的が決まっている財源のことである。そのほとんどは国や都道府県からの補助金で、紐付きのお金ということである。財調交付金は一般財源である。
ところが、この財調交付金は「需要」に応じて算定され、各区に配分されている。ここに財調交付金の倒錯した性格がある。もしも、都がザクッとお手盛りで23区に交付金をばらまいていれば、悩むことはない。「好きに使え」と言われて、区が好きに使えばいいからだ。だが、実際には都は公平・公正に交付金の額を決める必要があるので、算定ルールを決める。それが、「需要」というものだ。
例えば、財調算定上、「区民全員に防災グッズを配る」というルールにしたとしてみよう。平均的な防災グッズの値段に区民の数をかければ、交付額が決まる。では、交付金が配分された区は防災グッズを区民全員に配るのだろうか。配ってもいい。だが、配らなくてもいい。
ここで、たいていの人は頭の上にはてなマークが出てしまう。
交付金は一般財源であるから、何に使ってもいいのだ。うちの区は防災グッズを配るより、もっと耐震化助成制度にお金を回したい。ならば、回してもいいのだ。もしかすると、区民全員ではなく高齢者にだけ防災グッズを配る区もあるかもしれない。それでも構わない。この論理は都の側も同じで、都は残された調整3税を23区域に限定して使う必要はないし、23区向けに使う必要もない。そもそも、都区財調の算定では都の需要は問わない。
つまり、都区財調の算定ルールで言うところの「需要」とは、あくまで仮定の需要に過ぎない。
説明の仕方を変えてみよう。
要するに、都区財調とは仮定の需要を積み上げた「標準区」を決めて、収入が標準区という物差しよりも少ないと、その分の交付金がもらえる。逆に標準区よりも収入が多いと、交付金はもらえない。標準区はあくまでも算定ルールの総体でしかない。架空の人口とそれに見合った職員数を抱えている。財調算定上、標準区で職員定数が削減されると、その分の財調交付金は減らされる。だが、現実の区で職員を減らす必要はない。もちろん、財調の算定上職員定数が減ったので、実際の職員を減らそうという考え方もあるだろう。
財調の取材をしていると、そういう現実と架空の世界を行き来することになる。私は最初、その両者の違いが分からなかった。何年か取材して、ようやく意味が分かった。
毎年秋になると、都と区の財政担当者が翌年度の配分額を決める財調協議を始める。その財調協議を初めて紙面で大々的に扱ったのは、1996年のことだった。都区制度改革まで残り4年を残し、都と区の協議は暗礁に乗り上げた。
私はまだ入社2年程度の新人である。以来、四半世紀も「ザイチョウ」に付き合わされてきた。
冒頭に上げたSさんは、私よりも早く財調のことを新聞に書いていた記者だ。
キャバクラでザイチョウの話をされたホステスは、このおっさん、何を言ってるんだろうかと思いながら、話を合わせてくれたのかもしれない。だが、この話題はハマると癖になる。
大阪の都構想も、突き詰めて行くと「ザイチョウ」をどうするのかという課題にぶち当たる。だが、都構想賛成派も反対派も、このザイチョウの意味するところを本当に分かっているのかというと、甚だ疑問だ。
例えば、大阪市が廃止されて、4つの特別区に分割される。大阪府は4区に配分割合に基づいて財調交付金を振り分ける。財調交付金は「需要」に基づいて4区に配分される。だが、このときの「需要」とは算定ルールでしかない。特別区の住民サービスの水準は、特別区の区長や区議会が住民の意向を汲んで決める。だから、交付金がいくらになったとしても、特別区が独自にサービス水準を決めることができる。
間違えてはならないのは、特別区に移行した際に政令市時代の住民サービスを維持するかどうかは、現在の大阪府と大阪市が決めることではないということだ。大阪市が特別区に移行する段階で、従前の行政サービスを維持できるだけの財源を確保することはできても、実際に移行先の特別区でサービスを維持するかどうかは別問題だし、そもそも、その住民サービスを行わないという選択もあり得る。
住民サービスの維持を放棄すれば、財調交付金は減るのか。
ここまで読み込めた方はもう分かるだろう。財調交付金は減らない。
まるで禅問答をしているような話だが、酔っ払ってホステスを相手に盛り上がるネタとしては面白いかもしれない。S先輩は無類の酒好きだった。
やはり、「ザイチョウ」はしらふでは理解出来ない。