働くということについて
お金のために、生きていくために、、、??
筆者は、「働く」とか「仕事」という言葉が嫌いだ。
どちらも「労働」のニュアンスがあり、お金を稼ぐためにすること、やりたくもないのにやらされることというイメージがどうしてもつきまとってしまう。
「ワークライフバランス」という言葉も嫌いだ。
「ワーク」の対極に「ライフ」があり、「ライフ」を幸せにするために「ワーク」を頑張るという構図に見える。
もちろん、衣食住を確立させ、加えて趣味などにも投資するためにはお金を稼がなければならないし、同じ仕事なら収入の高い方がいい。そのために「働く」ことにやりがいを感じている人もたくさんいるだろうし、そんな仕事の中で夢中になれることを見つけている人もいるだろう。
でもそれは、なんだか寂しくないだろうか?
人生の活動時間の半分以上を「ワーク」で埋めてしまうことはどう考えても幸せとは言えないと思う。
「ワーク」なんてやめちまえ
筆者は、仕事を「ワーク」として行おうとは思わない。
「ライフ」だけを謳歌したい。
これは、決して怠け者のセリフではなく、活力にあふれた言葉だと思ってほしい。
私が謳歌したい「ライフ」において、お金が手に入る過程は以下のようだ。
自分がワクワクする活動に取り組む。(その手段として、「企業に就職し社会的信頼と活動資本を得る」、「自ら法人を立ち上げて社会的信頼と活動資本を得る」という行動をとる。)
その活動が「(世のため、)人のためになる」。(「世のため」は、最終的に「人のため」につながる。「人のためになること」=「自分がワクワクする活動」という順序もある。)
ためになった人がその対価として、お金という「引換券」を支払う。
以上の過程に「ワーク」が入り込む余地は一切ない。
これは筆者の理想論なのかもしれないが、実際に体現している人もいるはずである。
結局は自分の納得
「ワーク」なんてやめちまえと言っても、選択権は個々人にあるうえ、そもそも「ワーク」をしたいという人もいるだろう。
これは価値観の違いであるし、
自分の選択に心から納得しているなら、それで大正解である。
でも、自分の選択に納得していないのに文句を言うのは筋が通っていないのではないかと思う。
したくもない「ワーク」を行うことを自ら選択しておいて、文句を言いながらその現状に甘んじている人の考えはよくわからない。(むしろ、その人は何も考えてないのかもしれないが。)
自分が納得する人生を生きたいものである。
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