見出し画像

金鈴塚古墳3 馬具と馬来田皇女

〇 五つの金の鈴が出土した金鈴塚

〇 19振りの装飾大刀が出土した金鈴塚

 この金鈴塚古墳からは、金銅製の馬具も複数出土しています。

 馬はもともと日本列島に生息していなかったとされています。朝鮮半島との交流の中で、半島から連れて来られたということです。この時、馬具も同時に朝鮮半島からもたらされ、当時、馬自体が少数であり、所有者は高い身分の首長に限られていたであろうことから、権威の象徴であり、その馬具も鉄板に金銅板を重ねて作られた装飾性の高いものであった様です。その馬具の副葬は、5世紀頃から始まったとされています。馬の導入は、その移動速度と発揮できる力という意味で、画期的な革命であったと考えられます。当然、高い必要性に基づき、全国的に展開されて行ったことから、馬具の副葬も、全国的に広がりを見せています。一方、調べた所、静岡県と長野県に、馬具副葬の古墳が集中しており、この2県で、全国の1/3の例が集中しているとのことです。これ以外にも、関東から西で、馬具副葬の古墳が広く存在している様ですが、長野、静岡に続くのが、群馬、栃木、福岡となっています。群馬では、金鈴塚古墳造営と同時期に古墳造営が非常に盛んになり、また、埴輪の作成も活発になった様です。群馬の古墳からは、馬の埴輪も多く出土しており、私の別のスレッドでも触れさせていただいておりますが、これは、馬の展開を受けた群馬で、その馬を模した埴輪が作られたということでしょう。ちょっと脱線しますが、このスレッドに書かせていただいた通り、群馬の「馬」は、「車」に関係している様です。

群馬の馬型埴輪

ここから先は

1,448字 / 7画像

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?