情報リテラシー論(6) 長岡造形大学
あきぽんぬです。
今回は批判からします。
指導教員``よこたん``のサイト→https://yokotashurin.com/
先生が述べていたレポートについての発言に対する批判【レポートの意味とは】
よこたん:「レポートで上位に入りたい、単位を取りたい方は、各人のサイトまとめをつくると良いでしょう」と発言していたことに対して反論します。
シラバスの達成目標には反していない発言だと思いますし、むしろその通りだと考えました。以下シラバスの内容です。
①検索エンジンやソーシャルメディアなどインターネット上の様々なサービスを理解すること、②情報を受信する際と発信する際の注意点、③プライバシーの管理やセキュリティの重要性を通して情報社会のあり方を説明できるようになること。
達成目標の①②を得るためには、サイトまとめをつくり、上位に目指すことが、方法の一つということは納得がいきます。実践(ブログを書く行為)を通しながらサービスやマナーを理解することができると考えられるからです。
しかし「③情報社会のありかたを説明できるようになる」ことはサイトまとめを書くことのみによって得られるでしょうか。
受講生は単位が欲しいですから、当然楽に上位を目指せる方法が分かれば、食いつくのではないかという深層心理は分かります。そして、生徒の授業姿勢が先生の発言で変わると思います。しかし、リンク数で競うレポートで「情報社会のあり方を説明できるようになる」ことが果たしてできるのでしょうか。
「リンクを貼ることで検索エンジン上位に食い込む」という事実は、自分のビジネスや活動の広告として活躍するというような認知の役割としてのメリットはあります。
しかし、レポートを書くのは「自論を展開することで、考えを整理できる」ことに意味があるのではないでしょうか。ただリンクを貼るだけで、思考の整理ができるのでしょうか。ましてや、長岡造形大生はものづくりをする人間が集まり、学ぼうとしている人たちが大半です。ものづくり、コトづくりは他人が関わってきます。自分の考えを整理することの出来ないデザイナーはモノもコトも何も創れませんし、何も伝えられません。
そういった考えで、あの発言には違和感を覚え反論しました。よこたんが悪いわけではなくて、検索エンジンの精度が落ちていることが悪いのでそこは勘違いしないで下さい。
批判できる講義は価値があると思っているので、情報リテラシー論を継続して受講しようと思います。○○論と謳っている講義にも関わらず、批判できない講義は、情報の羅列だけしかしていない講義なので取らなくて良いと思います。(ex.日本文化論)
リンクまとめを作ることの労苦を思えば、作る人は凄いと思います。
卒業して、将来独立したときに、自分の仕事がほしくなり、自分を広めたいときに自分のブログにたくさんリンクを貼っていこうと思います。そして認知してもらいたいです。
疲れたのでここらへんで終わりにします。
今回の授業内容は(6)キュレーションが必要な訳
結論だけ申しますと、「情報(選択肢)が多いから」だと考えました。
1303字のレポートになりました。書くのが楽しかったですね。
以上です!読んでくださりありがとうございました。