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五感でつながる、新しい学びの場
ども、ながいあきです。
最近考えているのは、「学校」っていう言葉の意味について。私はずっと「学校を作りたい」と言い続けてきたの。でも、結局私が長年頭の中で考え続けてきたのは、うちの娘のコミュニケーションの方法だったんだろうと思っています。
私はすごく管理してきたと思うし、だからこそ、娘が私に対して圧が強いと感じることもあったと思います。でも、私は周りに恵まれていて、自分がそうある状態を理解できています。
これからは、自分の好きなこと、自分が喜べることを探求していきたい。
同時に、娘には娘のやりたいことを、やりたいようにやらせたいと思います。
そして、教育、特に学校教育に何か関わろうとしていたけれど、やめようと思います。それを伝えたくて、今日はこの文章を書いています。
大人だって、コミュニケーションが苦手な人や自己成長を必要としている人がたくさんいる。それに、五感を使う体験や体を動かすことを通じて、失敗を受け止める力や相手を受け止める力、感謝する気持ちを育てることは、年齢に関係なく誰にとっても大事だと思うんです。
また、私たちは今、日本の少子化や外国人の増加という現状にも目を向けていきたいところ。日本社会がグローバルにつながる時代において、自分たちの中だけに閉じこもることはできません。異なる文化や背景を持つ人々との共生は避けられないテーマです。
たとえば、食事体験では味覚を通じて文化の違いを理解し、人とつながることができます。インプロ(即興演劇)は、異なるバックグラウンドを持つ人々が身体を使って自由に表現し、共感し合う場になります。農作業では、自然に触れながら、自分たちの役割や協力の重要性を学ぶことができます。
こういった多様な体験を通じて、自己成長や他者とのつながりを深めるだけでなく、多文化共生の実践が可能になります。それが、私が目指している「学校」なんじゃないかなと思うんです。
でも、「学校」って言葉にこだわらなくてもいいかもしれません。コミュニティとか、学びの場とか、呼び方は何だっていい。
大事なのは、そこが誰もが参加できて、五感をフル活用して、失敗を恐れずに新しいことを試せる場所であること。
そして、リラックスして挑戦できる場所であること。
そのつながりの中で生まれる対話が、新しい発見や深い共感を生む鍵になると思うんです。
対話から生まれる発見や共感から、自分の好きや得意を見つけることができていったら最高ではないかと思うんです。
もちろん、私は『体験をさせる』という押しつけの形は望んでいません。それぞれの人が自分の好みや好きなことを自然に選び取る力を持っていると信じています。
そもそも、その選択の自由こそが、本当に自分を見つける鍵だと思うんです。
そして、自分の好きなことを体験するということは、遊ぶということでもあるし、学ぶということでもある。
遊びと学びが一体となった形で、自分の感覚や価値観を広げていける場所がsekairo〜世界中のキッチンに彩りを〜であれたらとても嬉しいです✨