先祖とDNAの問題

自己紹介の続き。
明治天皇に仕えていた曽祖父は、那須の御用邸への行幸に付き添った際、私の曾祖母と出会った。下級官吏だったから、御用邸の中ではなく近所の神社に宿泊していたらしい。それが、日光東照宮二荒山神社だったわけだ。

曽祖父は、内村鑑三氏の第一弟子で、内村鑑三全集を編纂したカトリックだ。

カトリックの信者に娘などやれるかというのが日光東照宮二荒山神社の神主小杉さんの考え方であった。時代背景を考えると全うなご意見だ。
それなのに、曽祖父は曾祖母と駆け落ちをした。その想いは強かったらしい。

結果、神主さんは「ミソでも、ヤソ(耶蘇)でももってけ!(バカヤロー)」と一声を挙げたそうだ。

ここに、最適化されないDNAが生まれたんだと私は信じて止まない。全く価値観の違う二人を結婚させるなんて…
子孫が心配しても後の祭りなんだけど。。。

でも、この決断には愛がある。神主さんには得ることは一つもないんだけど、この明治時代において、駆け落ちを許した人だ。私は自分を最適化されてないDNAの持ち主だと思っているけれど、この曾祖母の父親の度量の広さを尊敬している。また、大叔父にあたるこの曾祖母の弟さんは明治天皇のお姿を描かれた画家で小杉放菴氏だ。血は遠いけれど、絵は昔から好きだ。ピアノを弾いたり、絵を描いたり、書道等、一心不乱にそこに打ち込める。私には芸術の領域に何かあるのかもしれない。書くこととかね(笑笑)

そして、今の私はどういう人間かに戻らないとね。
師匠は私の軸は「受容」だと言った。
寛容ではなく、受容。仰る通り、私はあるがままを認識して、それ(その人)が好きか嫌いかは別としてあるがままでいてほしいと願っている。支配欲求は誰にでもあると人は言うけれど、私はそれが無いほうだと思っている。子どもに対しても、教育に対しても、それはしみ込んでいる。

今、ともに活動を始めているコバタクは、強制などされないので気になさらず、という態度を一貫している。私はそこに魅力を感じている。コバタクは私にも強制をしない。自分が活動するうえでの諸条件を明確に挙げているだけだ。諸条件を満たせば利害関係が一致していると、現状言える。
ともに活動するうえで必要なのは、「想い」が共有できることと、諸条件がクリアになっていること、それだけで十分だ。

先日挙げたブログ「最適化されないDNA#1」で、「去ったはずの人」のことや師匠について言及した。辺川銀先生が「書かずにはいられなかった気持ちが、原始の地球に初めて降った雨をイメージさせるくらいの大洪水のようでそれはネガティブなものではないです」と評した(ネガティブじゃないってところはありがたいですが)。

うん、まさに本当にすごいエネルギー。大放出する感じだった。あれを自分で理解することも整理することもいまだできていない。ただ、師匠のセッションルームから退室した事実はあるし、「去ったはずの人」に対しては、去ったという事実だけ残してくれたらいいと願っている。今さら、どんな理由を言われようと、それは私には関係ないからだ。



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