日本炭業(株)上山炭鉱/麻生綱分炭鉱/三菱飯塚炭鉱/共同石炭鉱業(株)日吉炭鉱
年始に訪れた筑豊炭田ですが、ちょい摘みで回った部分が多かったので纏めて掲載していきたいと思います。
(遺構1ヶ所のみなど、本当にちょい摘みな中身の薄い内容となっております・・・すみません;;)
先ずは昭和37年に閉山となった日本炭業(株)上山炭鉱。
日本炭業は昭和7年に橋上保氏が設立した橋上鉱業(株)が始まりで、昭和12年に日本炭業(株)に改称しています。
跡地には団地が建ち並び、高台の公園のような場所には台座らしき遺構が残っていました。
2ヶ所目は昭和36年に閉山となった麻生綱分炭鉱。
住宅地にバリッバリの違和感を醸し出しながら残る巻揚機台座。
初めて見る形状・・・現役当時はどんな姿だったのだろう。
3ヶ所目は昭和40年に閉山となった三菱飯塚炭鉱。
こちらは石炭積み出し用施設だったとの事。
大正4年に飯塚炭鉱の前身である大徳炭鉱を開坑した中島徳松氏の別邸であり迎賓館だった養和館。
現在は門と塀を残すのみ。
近くに残っている巻揚機台座は6年前位に撮影したのですが、ちょっと保存ディスクを探し出せなかった(恐らくリストに記入漏れ)ので、探し出せた際には掲載したいと思います。
4ヶ所目は昭和43年に閉山となった共同石炭鉱業(株)日吉炭鉱。
こちらは巻揚機台座。
上山田線と漆生線の分岐点だった嘉穂信号場があった場所でもありますが、現在は太陽光発電所となっており、跡形も無くなっています。
火薬庫。
もっと近くに寄りたかったが、立ち入ってはいけない雰囲気だったので遠巻きに撮影。
・・・と、本当にちょい摘みな記事でした←
最後まで読んで頂き、有難うございます。
【撮影機材】
Canon EOS 6D
Canon EF17-40mm F4L USM
TAMRON 28-300mm F/3.5-6.3 Di VC PZD (Model A010)