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🎞️春の別府公園周辺を歩く
令和六年四月八日。
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雨が降る中、道の駅ゆふいんで朝ご飯と甘味を買って別府へ向かう。
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Canon EF100mm F2.8 MACRO USM
FUJIFILM FUJICHROME Velvia 100
桜を求めて、別府公園へ。
椿も咲いていました。
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皇太子の別府市行啓に伴い、明治40年(1907)に整備された別府公園は、戦後に連合国軍進駐の為に接収されてキャンプが建設され、南北戦争最後の激戦地であるチッカマウガが別府のように岩の多かった地形という事で『キャンプ・チッカマウガ』と名付けられました。
昭和32年(1957)に日本に返還された後は自衛隊駐屯地として使われていましたが、駐屯地移転により別府市に返還。
昭和52年(1977)に昭和天皇御在位50年記念公園の指定を受け、再び別府公園として整備されました。
園内にある大きな檜の木は連合国軍がクリスマスツリーとして植えたもので、チッカマウガ・ツリーと呼ばれて親しまれています。
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Canon EF17-40mm F4L USM
FUJIFILM FUJICHROME Velvia 100
池の周りには桜とチューリップが植えられています。
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Canon EF17-40mm F4L USM
FUJIFILM FUJICHROME Velvia 100
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Canon EF100mm F2.8 MACRO USM
FUJIFILM FUJICHROME Velvia 100
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Canon EF100mm F2.8 MACRO USM
FUJIFILM FUJICHROME Velvia 100
雨でしっとりした雰囲気。
平日なのに市街地のど真ん中だからか人は多い。
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Canon EF100mm F2.8 MACRO USM
FUJIFILM FUJICHROME Velvia 100
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Canon EF100mm F2.8 MACRO USM
FUJIFILM FUJICHROME Velvia 100
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Canon EF100mm F2.8 MACRO USM
FUJIFILM FUJICHROME Velvia 100
ベンチやテーブルも沢山あるので、晴れた日はお弁当持ってピクニックするのも良さげ。
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雨に打たれて散る桜。
ふと見たらレンズフードに花弁がくっついていて、何だか心がポカポカした。
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Canon EF100mm F2.8 MACRO USM
FUJIFILM FUJICHROME Velvia 100
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Canon EF100mm F2.8 MACRO USM
FUJIFILM FUJICHROME Velvia 100
木の幹やライトを彩る花弁。
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Canon EF100mm F2.8 MACRO USM
FUJIFILM FUJICHROME Velvia 100
置き去りになった小さな自転車が寂しげだけど、桜色なので風景に馴染んでいた。
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別府公園で春を堪能した後はコンデジに持ち替えて、以前から行きたかった所へ歩く。
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忠魂碑と、旅順港閉塞作戦に使われた報国丸のマスト。
報国九マスト由来記(資料別府町報より)
このマストは明治三十七、八年
日露戦争を回顧する貴重な遺品です
世界の列強国から弱小視された日本海軍が世界最強のロシアバルチック艦隊と戦うことは無謀窮まりないとされたが、ケープタウンを回航して来るバルチック艦隊と旅順港内のロシア東洋艦隊が合流すれば日本艦隊は無残に惨敗することは一日瞬然の事でした
これを阻止するため、ロシア東洋艦隊を港内に閉じ込め一挙に殲滅せんとし、決死隊長廣瀬中佐指揮のもと報国丸を旅順港口に運行し船底を爆破
沈み行く船を確認し、帰艦のためボートに乗り移り人員点呼の結果、杉野兵曹長の姿が見えないので中佐は再び沈み行く報国丸に飛び移り、杉野杉野と呼んだ時
飛び来た敵の砲弾に直撃され中佐の身体は一片の肉塊を残し、祖国を護るため散華したとき運命を共にした報国丸のマストです
日本海大海戦の大腸利に困り大繁栄を続ける別府を祝福するため、宇佐柳ヶ浦今戸吉二郎氏、大分市児玉定氏が住吉神社に奉納された報国丸マスト二本の中の一本の寄贈を思い立ち、大正二年、海軍省に払い下げを請願し、五年余の陳情でようやく払い下けが決定
別府町に寄贈されたもので今尚明療に残っている弾痕が当時の激戦を物語っています
マストは忠魂碑の南方の大岩石上に建立されましたが、別府公園も戦後この周囲二百余坪を残すのみとなったが、マストの正面に青山公民館が建設後増築され、マストが外部からは見えなくなり移転しました
平成六年四月吉日
英靈奉賛奉仕活動隊
日本初の軍神として知られる広瀬武夫氏が報国丸を指揮したのは明治37年(1904)2月24日に決行された第一次閉塞作戦の事です。
第一次の閉塞船5隻の内最も古い船齢34年の報国丸はロシア戦艦レトヴィザンと砲台からの十字砲火を受けて火災が発生したものの、レトヴィザンの南方に沈ませた後に報国丸の乗組員は無事生還しています。
ただし第一次閉塞作戦では仁川丸に乗船していた梅原健三二等機関兵(戦死後、一等機関兵に昇進)が脱出ボートに乗り移る際に敵弾を受けて戦死しました。
上記に引用した現地の説明は同年3月27日に決行された第二次閉塞作戦で広瀬武夫少佐(戦死後、中佐に昇進)が指揮した福井丸での出来事で、杉野孫七上等兵曹(戦死後、兵曹長に昇進)が爆破装置の操作で船底に降りたまま最終点呼にも姿を見せない為、広瀬少佐は沈む福井丸と脱出ボートを三度行き来して捜索したものの発見出来ず。
やむを得ずボートに乗り移り他の乗組員と脱出を試みましたが、福井丸のボートは旅順港を出る最後の船故に集中砲火を浴びる形となり、速射砲弾を後頸部に受けた広瀬少佐の身体は原型を留める事無く無惨に破壊され、小池幸三郎二等機関兵(戦死後、一等機関兵)と菅波政次二等信号兵(戦死後、一等信号兵)も敵弾を受けて戦死しました。
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旅順港閉塞作戦はまだ続くのですが、とんでもない長文になってしまうので報国丸に関する部分のみに留めておきます。
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マストに隣接するのは移転復元された野口原五輪塔群。
丁度椿が綺麗でした。
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マストがある青山町公民館の隣には、これまた見たかった聴潮閣。
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元々は浜脇海岸に潮の音を聴く館として昭和4年(1929)に建てられた聴潮閣。
大分県財政界の第一人者だった高橋欽哉氏の住居兼迎賓館として使われていました。
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平成元年(1989)に現在地へ解体移築され、その後は“聴潮閣 高橋記念館”や“佐藤溪美術館”などに使われましたが、建物の保存を最優先する為に現在は一般公開されていません。
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塀越しにお庭も見えました。
一般公開されている時に訪問出来なかったのが悔やまれますが、保存の為ですから仕方ありません。
ただ、いつか特別公開などがある事を密かに期待しています。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。