「もうすぐ死に逝く私から いまを生きる君たちへ」を読んで
水谷修著「もうすぐ死に逝く私から いまを生きる君たちへ」(発行所:鳳書院)を読んだ。講演録だけど、「夜回り先生」はやっぱり迫力がある。
著者は1956年生まれ。年金受給が始まったばかりの著者が、「もうすぐ死に逝く」って年頃なのか。私も、著者の年齢に近いのに。
今でも、続けている
忘れてしまうくらい昔、著者の本を読んだ。たぶん、2004年著作の「夜回り先生」。当時は、誰に頼まれたわけでもないのに「夜回り」してる情熱的な先生、としか思ってなかった。
その頃から30年近くなる。
今でも「夜回り」をやっているなんて驚き。凄い。
還暦過ぎで、夜の街をうろつく様に、執念のようなものを感じる。
夜の街にたむろしている子供たちは、何某かの闇を抱える。悲しみや苦悩だけじゃない。イライラしてたり、狂暴であったり、薬でおかしかったり、いろいろ。そんな連中に、声を掛ける度胸が、私にはない。「昼の道に戻りなさい」と諭す事も出来ないし、そんな見ず知らずの子供たちのために、暴力団や強面の人たちに対峙する勇気もない。行政や警察から頼まれたって躊躇する。出来ない。
私が起業し、情熱を注いで四六時中働いていた20年間は、この先生が夜回りを続けていた時期の一部でしかない。あの猛烈な日々よりも、長く「夜回り」を続てるなんて!
その志を貫徹する気力、体力、精神力にリスペクト。
それでも、続けている
何で「夜回り」を始めたのか。著書によると「夜回り」の動機は、不幸にして亡くなった子供たちがいることらしい。そうか。そうか。
でも、30年以上も続けられるだろうか。
どうやって生活してるんだろう。
いろんな疑問が出てきて、本を読んだ後に、少し、Web検索や、YouTubeを見た。病気も抱えているらしい。
「活動を休んだら、考えて込んで、後悔ばかりでどうしようもない。だから、休む間もなく、動き続けているんです」。そんな話がWebに掲載されてた。この先生に全ての責任があるわけでもなかろうに。良く分からない。
「わが子のためなら、自分の事をさておき、子どものために頑張る」気持ちは、よくわかる。同じような情熱で、夜回りしで出会ってしまった子や、講演を聞いていた子供たち相手に、自分の人生捧げるほどの、お世話は出来ない。私には到底無理だ。著者には、何かの原罪のようなものを一身に背負っている気迫を感じる。
夜回りをしながら、全国を講演で飛び回り、執筆に勤しむ。それだけでも凄いなぁ、と思ってしまう。子どもたちを救うために、何度も怖い目にもあっているようだ。それでも「夜回り」を止めない。
著者のブログには、「一人の子どもが、笑顔を忘れ涙を流すことは 大人全員の恥であり、いのちを失うことは大人全員の罪」と記している。「夜回り」は、大人の原罪なのだろうか。
著者は、上手に生きるってことが出来ない性分なのかな。
愚直なまでにまっすぐで、正直。著作やYouTubeでは、失敗を悔い、包み隠さず話している。
なかなかできることじゃない。わたしなら、取り繕って、自己弁護してるだろう。
近年は、政党の助力を得て、全国規模で取り組みを進めているらしい。
特定政党に偏れば反発する人達もいるんだろうけど、たった一人で、日本中の子供たちに向き合っていくなんて出来ない。
全国の子供たちを救うなら、組織的に取り組んでいくしかない。それには、資金や人材も必要だし、「水谷らしさ」を共有しなければ上手くいかない。
何処の政党だろうと、支援団体であっても、全国規模の組織との連携は必須だ。国や自治体からの助成金や、企業の寄付等も必要になってくる。
いつまでも
著者のブログの冒頭には、「どこまでも、生きぬいて」と書いてある。還暦過ぎても現場に拘る著者が言うと、重たいな。
著者がやっていることは、いつ終わるとも知れぬ世界。
ゴールのない闇の中を、ただひたすらに走り続けている。
敬服。久々の一冊で、そんな事を思った。
(敬称略)