キース・エマーソンの音楽を演奏し続けるレイチェル・フラワーズ
今日は趣向を変えて音楽のお話を。
キース・エマーソンといえば、1970年代にプログレッシブ・ロックの最高峰バンドの一つに数えられていたエマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)のキーボード・プレイヤーで、作曲家としても多くの曲を残した。キース・エマーソンは主にロックミュージックという商業音楽ジャンルのアーティストとして活動していた訳だけれども、その音楽性に注目し、彼らの音楽を後世に残すべく演奏活動を続けている人たちがいる。今回の記事では、その中からアメリカ合衆国在住のミュージシャン、レイチェル・フラワーズ(Rachel Flowers)について書きたい。
レイチェル・フラワーズの名はYouTubeのリコメンド機能で知った。「面白い活動をしている人がいるなあ」と思って、再生リストを作っていた。今回の記事を書こうと思ったきっかけは、昨日YouTubeで下記の動画を発見したこと。ELPの「悪の教典#9 第2印象」(Karn Evil 9, 2nd Impression)を、多国籍バーチャルバンドで演奏したもの。レイチェル・フラワーズはピアノパートを担当している。パーカッション担当が多様な楽器を演奏しているところも見所。「あの音はシンバルを弦楽器の弓で弾いて出していたのか!」みたいな驚きがある。全体に楽しめた。
かつて、ロックミュージックの名の下に様々な音楽的実験、冒険が試みられた時代があった。このムーブメントを「プログレッシブ・ロック」と呼ぶ(日本では「プログレ」と呼ばれる場合もある)。
プログレッシブ・ロックを扱ったBBCのテレビ番組で印象的な言葉があった。プログレッシブ・ロックのムーブメントは「ビートルズの『サージェント・ペパーズ』(1967年)に始まり、セックス・ピストルズの『アナーキー・イン・ザ・UK』(1976年)で終わった」というのだ。
BBCの番組がいうように、プログレッシブ・ロックはもう「終わった」ムーブメントではある。当事者にもそのような思いはあったようだ。この時代にデビューしたバンドの一つであるキング・クリムゾンの中心メンバーであるロバート・フィリップは、あるインタビューで次のような話をしている。「キング・クリムゾンの結成当時、音楽の扉が開いた。毎晩のセッションで奇蹟が起きた。だが、あるとき扉は閉じてしまった。私たちはいつ扉が開いてもいいように、日々の鍛錬をしている」。
プログレッシブ・ロックのムーブメントは終わったのかもしれない。だが、このムーブメントが生み出した音楽には後世に残すべき価値があると考える人もいる。レイチェル・フラワーズたちの活動には、キース・エマーソンとELPの曲の演奏活動を通して後世に伝えていこうとする意志が感じられる。YouTubeに残る映像を手がかりに、その足跡を追ってみた。
4歳から音楽教育を受け、14歳でELPに出会う
まずレイチェル・フラワーズのプロフィールを。Wikipeida英語版によれば、1993年生まれ、現在26歳。15週の未熟児として生まれ、生後3カ月で未熟児網膜症で視力を失ってしまう。2歳でピアノに触れる。4歳半から南カルフォルニア音楽院(Southern California Conservatory of Music)で音楽の専門教育を受けた。
小さい頃から、有名ミュージシャンに指導を受ける機会があった。レイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダー、クインシー・ジョーンズ、クラーク・テリー、ハービー・ハンコック、ハーブ・アルパート、ウェイン・ショーターと、名前を聞くと驚くようなミュージシャンたちに出会っている。
レイ・チャールズの前で「月の光」や"Take Five"を演奏する10歳のレイチェル・フラワーズの映像をYouTubeで見ることができる。レイ・チャールズが亡くなる1年前ほどの頃だ。
そして本人のコメントによれば、14歳のときレイチェルはエマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)に出会い、その魅力にとりつかれる。次の映像は、「悪の教典#9 第2印象」をピアノで演奏する16歳のレイチェル・フラワーズ。あの複雑な曲を全曲通しで弾いている。
次の映像は、"Studio Sessions"という番組に出演した17歳のレイチェル・フラワーズ。全7曲をピアノ独奏で聞かせる。1曲目はボブ・ディラン"My Back Pages" を「キース・エマーソン・スタイル」で演奏。2曲目はエマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)の"Take a Pebble"(石をとれ)。別の曲では、ピアノとフルートを同時に演奏する曲芸を見せる。
レイチェルは本当にエマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)にハマってたんだなあ、と分かるのが次の曲。キース・エマーソン作曲、ピアノ協奏曲第1番(後出の「補足1」も参照)の全曲をピアノとフルート同時持ちにアレンジして演奏している。独奏なのに、オーケストラとピアノによる複雑な20分の大作の輪郭をたしかに伝えている。彼女の音楽解釈の才能を示す演奏ともいえるだろう。
キース・エマーソン所有のムーグを弾く
2012年2月、レイチェルはキース・エマーソンその人と会う。次の映像では、キース・エマーソンによる紹介に続いて、あのキース所有のモジュラー・ムーグを弾かせてもらうレイチェル・フラワーズの演奏が収録されている。曲はELP「トリロジー」。なお、映像冒頭でキース・エマーソンの隣にいる人物はノルウェー人の指揮者テリエ・ミケルセン(Terje Mikkelsen)。彼は、後にキース・エマーソン追悼コンサートで指揮者としてレイチェルと共演することになる(この記事の冒頭の写真がそれだ)。
次の演奏には、ちょっと感動した。キース・エマーソンのモジュラー・ムーグとハモンドC3で「タルカス」全曲を演奏。細かなアラを吹き飛ばす勢いで、音楽を演奏する楽しさと、キース・エマーソンへのリスペクトが伝わってくる。
レイチェルは多くの演奏映像をYouTubeにアップしているのだが、その中から教会のパイプオルガンで弾く「展覧会の絵 プロムナード」(キース・エマーソン版)。プログレ好きのキーボードプレイヤーなら、パイプオルガン演奏は「一回はやってみたいこと」ではないだろうか。
キース・エマーソン追悼コンサートで演奏
2016年3月10日、キース・エマーソンは自らの命を絶つ。病気で一部の指が動かなくなり、満足のいく演奏ができなくなったことを苦にしての自殺とも言われている。
同じ2016年12月7日、ELPのメンバーだったグレッグ・レイクが病気で亡くなる。
2017年7月28日、イギリス、Birminghamでキース・エマーソン追悼コンサートが行われた。オーケストラを編成し、テリエ・ミケルセン(先に引用した映像のひとつで、キース・エマーソンと一緒に写っていた人物)が指揮を担当。このコンサートのスペシャル・ゲストはリック・ウェイクマン(後出の「補足2」も参照)。キース・エマーソンの息子も出演した。レイチェル・フラワーズはゲスト演奏家として出演している。もう一人のゲストはフランスのジャズ・ピアニストThierry Eliez(Jad&Den Quintet)だ(この人達のELPカバーもとても面白い演奏だ)。
この映像は、追悼コンサートでELPの"The Endless Enigma"(永遠の謎)を演奏するレイチェル。途中で涙が止まらないまま演奏を続ける。
キース・エマーソンのピアノ協奏曲 第1番 第3楽章。レイチェルは、ソリストとしてオーケストラを従えて堂々と演奏している。
「キース・エマーソン作品を残したい」
キース・エマーソンが亡くなった後も、レイチェル・フラワーズはその音楽を引き継ごうとしている。
次の映像はProgStockというイベントでの演奏。ピアノ独奏による「タルカス」全曲。ピアノ1台で、あの大作を表現している。この演奏、私はかなり気に入った。ちょっと驚くような表現も出てくる。
次の映像は、多国籍バーチャルバンドによる「悪の教典#9 第1印象」(Karn Evil 9, 1nd Impressio)。「パート1」と「パート2」に分かれている。レイチェルは、オルガンとエレクトリックギターを担当。つまりキース・エマーソンとグレッグ・レイクの両方のパートを1人で演奏している。
この映像の終盤で、レイチェルは次のようなメッセージを残している。
私はいつでもエマーソン・レイク&パーマー(ELP)の音楽を演奏するのが大好きです。キースとグレッグを失ったのはとても辛いことですが、私たち全員がその音楽が生き続けるようにベストを尽くしています。
ELP、キース・エマーソンの音楽を「演奏される曲」として残していこうとする意志が伝わってくる。演奏活動を通して、キース・エマーソンやグレッグ・レイクが作り上げた音楽を残したい。これは、クラシック演奏家が偉大な作曲家の音楽の演奏活動に取り組むのと同じ精神といえるだろう。
クラシック音楽の分野でも、キース・エマーソンの音楽を再評価する動きはある。日本でも、作曲家の吉松隆が編曲した「タルカス」の一節がNHK大河ドラマ「平清盛」で使われた。ピアニスト黒田亜樹は、2004年にCD「黒田亜樹・タルカス&展覧会の絵」をリリース、ELPの曲をクラシック曲として解釈している。キース・エマーソンの「ピアノ協奏曲 第1番」をクラシックのコンサート音楽として演奏する試みもいくつか出ている。
レイチェル・フラワーズの音楽活動
ここまでは、レイチェルとELP、特にキース・エマーソンとの関わりについて書いてきたのだが、レイチェルの音楽活動はもちろんそれに留まるものではない。オリジナルの曲をいくつか紹介しておこう。下記の映像はピアノ・インプロビゼーション。ラヴェルとキース・ジャレット風味が入っている。
レイチェル・フラワーズ作曲オルガン協奏曲第1番の予告編。短い映像なのだけれども、曲の雰囲気は伝わってくる。レイチェルは、キース・エマーソンや、ディープ・パープルのジョン・ロードに影響を受けたと語っている。そういえばディープ・パープルもオーケストラと共演したことがあったのだった。
レイチェル・フラワーズのオリジナル曲"Goes to Eleven"を演奏。独特の変拍子が特徴。
レイチェルがエレクトリックギターとスキャットで客席を沸かせているライブ映像。曲はフランク・ザッパの"Montana"。レイチェルのギターソロは2:00から。
レイチェルが、伝説的なジャズ・ベーシスト、ジャコ・パストリアスの『トレイシーの肖像 / Portrait of Tracy』を題材に、ハーモニクス奏法について説明している。
レイチェルが、楽器"スティック"でジョン・メイヤーの曲を演奏。
語り始めたら、思わず長くなってしまった。まだまだ動画はたくさんあるのだが、紹介はこの辺にしておこう。
おそらく、クラシックの目線で見ればレイチェル・フラワーズのピアノは演奏家として完璧ではないのだろう。それでもレイチェルの演奏を私はよく聴いている。キース・エマーソンへの、そして音楽への思いがよく表現されていて味わいがあり、聴いていて気分がいいのです。
以下は、ちょっとした補足です。
補足1 キース・エマーソン「ピアノ協奏曲第1番」について
キース・エマーソンの「ピアノ協奏曲第1番」は、キースが好んだ音楽の様々なピース──古典、ロマン派、現代曲、ジャズ──を1曲に詰め込んだ「おもちゃ箱」のような曲だ。それだけに、ロックミュージックの文脈からも、クラシック音楽の文脈からも評価されにくかったともいえる。しかしながら、発表から43年が経った今聴くと、改めて面白い曲だ。コンサートで演奏される曲として後の時代に残って欲しいと個人的には思っている。
次の動画はアルバム"Works"(「ELP四部作」)に収録されている、キース・エマーソンピアノ協奏曲第1番。音声のみ。
余談ながら、以前、友達とあるロック喫茶(というものがあった。追記:渋谷の近く、国道246沿いのロック喫茶SAVだったと記憶する)に行ったときのこと。店内で曲をリクエストできるのだけど、LPレコードの片面単位で頼む形となっていた。友達は、あろうことか「キース・エマーソンのピアノ協奏曲第1番」をリクエスト。あっさり断られてしまった。エレクトリックギターもシンセサイザーもボーカルもドラムも使わない、コンサートピアノとオーケストラによる20分近い曲はロック喫茶には向かないかもしれない。
このピアノ協奏曲第1番を収録したときのキース・エマーソンのコメントが残されている。 「76年にロンドンのオーケストラと共演したときは、オケのメンバーはロックミュージシャンにとても冷たい目を向けていたから、非常にフラストレイティングだった」。キースも苦労していたのだ。
補足2 キース・エマーソンの曲をリック・ウェイクマンが弾いた
2017年に開かれたキース・エマーソン追悼コンサートのメインゲストはリック・ウェイクマンだった。彼はELPと同じ時代に人気を競い合ったプログレッシブ・ロックのバンド「イエス」のキーボードプレイヤーとして人気があり、ロック好きにはキース・エマーソンのライバルと見ていた人が多かったように思う。
次の動画はキース・エマーソン追悼コンサートでのリック・ウェイクマン。前半はトークで観客席を沸かせ、後半3:36からELPの「トリロジー」を演奏する。ある意味で貴重な映像だ。リック・ウェイクマンはキース・エマーソンとは対照的な弾き手で、ピアノを丁寧に鳴らしている。
補足3 ELPについて
ここで本家のエマーソン・レイク・アンド・パーマーも魅力を伝える映像も紹介しておこう。「石をとれ」。個人的に大好きな曲です。
1972年に日本で行われたコンサートから。雨の後楽園球場で演奏。
「悪の教典#9」収録時のスタジオ風景。キース・エマーソンはリズムパートにかなり口を出していることが分かる。
50年にわたり聴かれ続け、演奏され続けた音楽は、ある意味クラシックのようなものだ。21世紀にELPの音楽を演奏し続ける人達のことを時々思い出すことは、私にとってかなり楽しいことだ。彼らの音楽は、きっと次の世代にも残るだろう。
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