でき太くん三澤のひとりごと その177
◇ うつし鏡
今回の「ひとりごと」で書くことは、もしかすると教育評論家や専門家と言われる人たちからは「まちがっている」と言われるかもしれません。
でも、あえて書いてみようと思います。
私が今日まで、今の仕事を続けてきて感じることは、子どもは私たちの「うつし鏡」であるということです。
今の自分の人間としてのレベル、価値観など、あらゆるものが子どもに反映されているのではないかと私は思っています。
子育てをしていると、私たちには様々な問題が起きてきます。
子どもが自主的に学習しない。
親の言うことを聞かない。
整理整頓ができない。
やる気がない。
声かけしないと何もしない。
嘘をつく。
物事が継続できない。
解答書の答えを丸写しする。
わからない問題があると、すぐにあきらめる。
ちゃんと挨拶もできない。
忘れ物が多い。
これらは普通子どもに原因があると考えがちですが、本当にそうなのでしょうか。
上述したような問題があると、私たちは何とかその問題を解決しようと、子どもに働きかけます。
どうしたら自主的に学習するようになるのだろうか。
どうしたら整理整頓ができるようになるのだろうか。
どうしたらやる気がでるのか。
そのことを一生懸命考え、子どもに積極的に働きかけます。
でもその前に、そもそも「自分」はそれができているのか。
もちろん、親御さんの中にはそれがしっかりできている方がいると思います。
子どものころから親御さんにも余計な心配をかけなかった方もいると思います。
しかしもし私たちに、「親である」という責務がなかったら、「社会人」、「大人」であるという認識がなかったとしたら、常識や規則といったようなある種の強制力がなかったとしたら、それらをしっかり行うことができるのでしょうか。
責務とか、常識とか、世間体とか、強制力とか、そういったものが一切ない立場、環境だったら、私たちは今できていることを本当に行うことはできるのでしょうか。
私の場合で言えば、それはおそらく「ノー」と言えると思います。
私の場合は、責務とか、今の立場とか、強制力といった外的な要因でできていることが多いように思います。
もしそういうものが一切なくなったら、私はどうなっているのか。
きっと物事は継続できないかもしれませんし、主体的に物事に取り組めないかもしれません。
1日中ダラダラして、何もせず、無気力な人間のようになってしまうかもしれません。
つまり本質的に私は、人間のレベルとしては、まだまだ成長過程であると思うのです。
そうすると私の子育てには、それがそのまま反映されることになります。
子どもが自主的に学習しない。
じゃあ、自分は物事を自主的に取り組むことができるのか。
自分に関わることを、すべて自主的に取り組むことができるのか。
やる気がない。
じゃあ、自分はいつもやる気があるのか。
イヤイヤ渋々取り組んでいることはないのか。
毎日やる気に満ち、人生を謳歌しているのか。
わからない問題があるとすぐにあきらめる。
じゃあ、自分は困難を目の前にしたときに、逃げずにしっかり向き合うことができるのか。諦めずに、最後まで取り組むことができるのか。
あらゆる問題が、すべて「自分」をうつし出している鏡のように思うのです。
これは私だけが感じている、私だけの主観の世界かもしれません。
しかし、これまでの経験などを踏まえると、子どもは私たちの「うつし鏡」であるように感じてならないのです。
子どもを責める前に、まず自分はどうなのか。
子どもの問題として捉える前に、まず自分自身の問題として捉えてみる。
子育てには、このような視点が必要なように感じてなりません。
このようなことを書くと、
「じゃあ、うちの子がやる気がないのは、私のせいなんだ、、、」
とか、
「うちの子がわからない問題があると投げ出すのは、私のせいなんだ、、、」
と、ご自分を責めてしまう親御さんもいるかもしれませんが、決して責める必要はないと思います。
なぜなら、それは私たちが成長すべきポイントを教えてくれているのですから。