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私の写真半生4 広告撮影会社時代の話

私の写真半生を綴るこのシリーズ。今回は広告撮影会社の話となります。今までは「写真を学ぶ者」としてのストーリーでしたが、ここからは「プロとして写真と関わる者」としてのストーリーへとなっていきます。
ちょっと長いですが、最後まで読んでもらえると嬉しいです!

入社から1年目:アシスタントとしての学び

写真家のもとを逃げるように辞め、ボロボロになりながらもなんとかはじめた就職活動。私を拾ってくれた会社はフォトグラファーが比較的多く所属している広告撮影会社でした。この会社はカタログやチラシの撮影をメインにしていて、撮影量が非常に多いのが特徴でした。会社のスタイルとして、100点、120点の写真を1枚撮ることよりも、80点~90点の写真をものすごいスピードで撮影していくことを得意としており、撮るジャンルも商品、フード、モデル、インテリア、ガーデニングと非常に広範囲にわたっていました。

入社1年目はアシスタントとして働きながら撮影を学ぶことがメインでした。もちろんフォトグラファーのサポートをするわけですが、沢山の商品を撮るという会社の特性上、具体的には「作り込み」という作業が多かったです。「作り込み」とは、撮影する商品を撮影可能な状態に綺麗に整える作業のことを指します。例えば、透明の袋に入っている商品であれば袋の両端のギザギザになっている部分に裏から透明のテープを貼って真っ直ぐにして綺麗に見えるようにします。箱であれば折れ目を綺麗にしたり、両面テープを使って箱の浮いている部分を整えて綺麗な箱の状態を成形したりします。大学生の頃に研究室の授業で商品撮影の「作り込み」の事は概念的には学んでいました。ですがプロの現場で実際にやってみると、「こういったやり方もあるのか!」「ここまでするのか!」と、学生の頃とのレベルの違いを実感しました。やはり色んな意味でプロの世界は違いました。仕事としての写真撮影にはそういった作り込みから始まり、実際の撮影、そして撮影の周りのこと仕事なども含め、様々な事を現場を通して1年間学ぶことになりました。

会社では常に何かの案件が動いているが、そんな中でも極稀に全然撮影が重ならない「空白の日」ができることがあった。そういった日は作品撮りをする日となる。その時に作った作品。


トレーシングペーパーにブラックライト用のペンでひたすら線を書いて作った作品。線をひたすら引いている所を先輩に目撃されてしまい、先「何やってるの?」 私「作品撮りです。」 先「え?線引いてるだけだよね?」 私「はい、そういう作品です。」 先「え?」 私「え?」
となったのはいい思い出。

ありがたい環境

会社というものは多かれ少なかれ、理不尽なことがあると思います。社会人でその経験が一切ない、なんて人はいないと思います。ただ、写真業界をはじめ、「やりたいこと」が明確にあって就く仕事は、その傾向が強くでやすいのかなと感じています。私もそういった経験はやはり色々とありました。私の場合、心がボロボロになった後に就職しているので、特に最初の頃はきつかったです。どうしても心が敏感に反応してしまいました。ですがフォトグラファーの多い会社という環境が自分にとっては非常に良かったです。様々な現場を点々とすることになるので、アシストするフォトグラファーもその度に変わります。中には厳しい先輩もいましたが、ずっと一緒に働くわけではなく、どんなに長くても1ヶ月くらいで一旦離れることができました。優しく、育てようとしてくださった先輩も沢山いました。そういった人や環境に恵まれて、ボロボロだった心も段々と癒えていき、以前よりも強くなることができました。体の方もゆっくりと元に戻っていきました。最初の頃は力仕事をするときに自分では100%の力を出そうとしているのに70%くらいしか出せない感覚がありましたが、それも1年位で完全に治りました。入社当初は身も心もボロボロだった自分が、1年後には元気になっていました。そんな私を拾ってくれたこと、良い環境を与えてくれたことには本当に感謝しています。

会社が休みでスタジオが空いていた時に借りて作品撮りをさせてもらったことも。

フォトグラファーとしての成長

会社の流れとして、毎年新入社員が入ってくるので、2年目からフォトグラファーに昇格するというのが基本的な流れでした。しかし、不況の影響で翌年の採用が見送られました。ちなみに私の1代上の先輩たちも年齢的には3つ上です。その間2年間も採用が見送られていました。リーマンショックの影響はそれくらい大きかったということですね。

会社にはフォトグラファーが何人もいて、複数の撮影が同時進行で行われているため、どこかの忙しい現場ではアシスタントが必要になります。そうなると新人の私たちが駆り出されることになり、形式上は2年目でフォトグラファーに昇格していたものの、多くの現場ではアシスタントとして動いていました。アシスタントとしても沢山のことを学べましたが、やはり実際に撮影しないと本当の意味では力はつかないと感じていました。就職したはいいものの、なかなか撮影する機会が得られません。特に2年目は焦りを感じていましたが、入社前に人生の大きな失敗をしていた自分には耐えるしかありませんでした。少ない撮影の機会でなんとか吸収しようと必死でした。

残念ながら翌年も翌々年も不況の影響で新入社員が入ってきませんでした。会社としても新人にずっとアシスタントをさせ続けるわけにかないと考えてくれて、外注のアシスタントを使うなどいろいろ工夫し、配慮してくださいました。お陰でフォトグラファーとして現場に入ることが増えていきました。時には私たち新人がフォトグラファーとして入り、先輩がアシスタントするという形にしてくれることもありました。そういった対応までしてくれたことには本当に感謝しています。ただ、、、流石に先輩をアシスタントとしていろいろ指示をしていくというのは、すごくやりづらかったという本音もあります。まぁ、そこは、、、みんな理解してくれますよね苦笑

思い出深い撮影経験

そんな感じでフォトグラファーとして撮影する機会が増え、その分成長していくことができました。会社の特長である様々なジャンルの写真を沢山撮ることができたのは、自分にとって非常にプラスでした。まず、沢山撮るということはその分の経験値がどんどん貯まっていきます。何百枚も同じような商品を撮っていくなかで新たな発見があったりすることもあります。「数」を積み上げるということは1つの非常に大切なのは要素なんだなと学ぶこともできました。更に私は色んなことに興味がある性格だったことも、色んなジャンルの撮影がある会社の特性と合っていたと思います。幅広い撮影の経験が出来たことも、ものすごくプラスだったと思います。

そんな経験してきた沢山の撮影の中で、特に思い出に残っている撮影を3つ紹介したいと覆います。

大物撮影

スタジオ内に壁を2面を建てて部屋を作り、「ストーブ」や「寝具5点セット」といったインテリア関係の写真を撮る「大物撮影」と呼ばれるものがありました。キーポイントは壁を建てたり、ベッドを組み立てたりと、部屋をつくる作業があることです。この作業もフォトグラファーの仕事でした。撮影によってはカメラを握っている時間よりインパクトドライバーを握っている時間のほうがよっぽど長くなることもあり、「私は、、、何屋さんなんだ?うん。今日はフォトグラファーではないな。。。」なんて自問自答しながら作業をすることもありました(笑)

部屋が出来上がれば、いよいよ撮影のセッティングに入ります。スタイリストさんが小道具を配置している間に、カメラやライトのセットをしていきます。撮影内容によっては部屋の窓から外の光が綺麗に入ってきているようなライティングをしないといけないこともあります。最初うちはうまくできませんでしたが、ここは色んなジャンルを沢山撮る会社。色んな経験積んでいくうちにその経験を応用してどんどん上手くライティング出来るようになっていきました。それがすごく楽しかったです。

お歳暮の撮影

カタログに載るお歳暮商品のほぼすべての写真を撮る案件です。3カメ、4カメで同時進行で撮影を進める大規模なフード撮影となります。これは撮影とは別のスキルが求められる現場でした。戦いは撮影前から始まります。商品は再撮影のことも想定して3セットずつ送られてきます。多くの商品が冷凍で、一部は冷蔵や常温でスタジオに届けられます。この商品たちを人間が3人くらい入れそうな超大型の冷凍庫3台、冷蔵庫1台、または常温商品用のダンボールに入れていきます。もちろんどこに何が入っているのかも情報を整理しながら入れていきます。それだけでも結構大変なのは想像してもらえるかと思います。

本当の戦いは撮影前日の準備から始まります。翌日撮影するものは3セットのうち1セットを解凍するために冷蔵庫へ移動する必要があります。口で言うのは簡単ですが、超大型の冷凍庫3台の中からお目当ての商品を探し出すだけでも一苦労です。

なんとか準備を終えて翌日撮影が始まります。ここから戦いは更に複雑になっていきます。撮影が予定通り進めばそこまで複雑にはなりませんが、いざ開封したら商品の状態がイマイチだったり、撮影がうまく行かず再撮影になると、もう1セットを急遽冷凍から出して解凍しなければいけません。そういった感じで現場では様々な理由で色々な変更が入ります。そういった情報を整理しつつ、商品を探し出し、解凍してフードスタイリストさんにすぐ渡す、といった対応が必要なのです。 そう商品の管理がめちゃめちゃ複雑で大変なんです。

でも撮影が進むと更に複雑になっていきます。撮影が終わった商品を物によって冷蔵か冷凍別々に保管しなければいけないこともあるのです。なので例えば、番号111の商品はAセットは撮影で使ってもうない、Bセットは半分が冷蔵で保管、半分は冷凍で保管、Cセットは冷凍庫で手つかず。一方112の商品は、、、一昨日撮影したけど再撮になり、Cセットしかもうない!しかも急いでいるのに探し出すのが大変!といった感じで悪夢のようになって行きます。撮影が進むほど商品情報がどんどん複雑になり、対応しなきゃいけない要素がとんでもなく増えるのは想像してもらえるかと思います。

商品管理は担当の人がつき、アシスタントはサポートに回るのですが、情報整理が多すぎて2人でテンパりながら作業をしていた思い出があります。しかもそんな中でフォトグラファーに呼ばれて撮影のサポートにまわったりもします。あの現場ではあまりに処理しなきゃいけない情報が多すぎて、写真が綺麗に撮れるかどうかより、どれだけ商品をうまく管理できるかが最も重要なスキルでした。こういった「撮影の周りにある仕事」のスキルがついたことは自分にとって大きなプラスになっています。

ガーデン撮影

広告やカタログなど、どんな媒体でも形になるまでには皆さんが思っている以上に時間がかかります。アパレルメーカーの撮影だと、夏発表の服ならその前の冬に撮影し、冬発表の服は前の夏に撮影する必要が出てきます。モデルは撮影では季節が真逆の服を着ることになるので、すごく大変だという話を聞いたことないでしょうか?

この季節のズレ問題は他の業界の撮影にも言えます。初夏公開のガーデンカタログの撮影案件は毎年真冬に撮影していました。冬に夏っぽい写真を撮る必要があるわけです。しかもガーデン系なので撮影は主に外です。太陽の位置も低く、天気の影響をもろに受け、さらに多くの植物が冬モードで写真映えしません。そんな環境下で撮影をしていくのに必要なのはチーム力です。

まず撮影がガーデン関係なので、大きくて組み立てが必要な商品もあります。大きなトラックで商品を撮影現場まで搬入し、商品を組み立てたり管理する専門業者がサポートしてくれました。見た目が冬の問題はグリーンを扱う専門業者が対応します。木や芝生を配置して夏っぽい、華やかな見た目にしてくださいます。私たちフォトグラファーは最高の撮影アングルを見つけ出し、商品を配置します。そしてその時の天気や太陽の位置に合わせて光を作り込んでいきます。曇っている時はストロボライトで太陽光を作り出したり、光が魅力的でない時は湾曲できる大きなミラープレートを使って光を反射させて商品に当ててキーライトを作って魅力的になるよう演出します。時には太陽の光を遮りつつストロボとミラーを駆使して作り込む、なんてこともありました。そうやって色んな分野のプロの人達と相談し、連携しながら、一緒に一枚の写真を作っていく撮影の経験は本当に貴重でした。


こちらもスタジオを貸してもらって作った作品
色々と実験的な撮影もできてすごく楽しかった
スターウォーズっぽいのも撮れたりした笑

独立への道

フォトグラファーとして少し自信がついてきたのは入社3年半くらいの頃だったと思います。入社してからそれなりに時間が経ち、落ち着いて色んなこと、将来のことを考えられるようになってきました。まだまだ漠然としていましたが、いつか独り立ちできたらという気持ちがこの頃から強く出てきました。それでも撮影をする度に何かしらの反省があり、まだまだだと痛感する日々でした。ちなみにあれから何年も経った今でも完璧な撮影だったことは一度もありません。何かしらの学び、反省が常にあります。「もっといい写真が撮れたのではないか」、「もっと満足してもらえる方法があったのではないか」と毎回思います。この思いは一生このままだと思いますし、そうあるべきだと考えています。でも当時は反省する度に、まだ力がたりないのではないか、独立するのは早すぎるのではないかと不安になっていました。
「どのレベルまでいけば独立してやっていけるかなんてわからない。でも、もう少し成長したら何か見えるかもしれない」と自問自答を繰り返しながら日々を進んでいきました。

転機となったのはある人との出会いでした。その人はこの会社の元フォトグラファーで、現在は独立して活動している人でした。その頃は丁度、会社の撮影案件が沢山重なってしまい、フォトグラファーが足りないということで、その人を外注として呼んでいたんです。私もその人のいる現場に何度か入ることになり、色々と話すようになっていきました。何かの拍子に、独立してやっていきたいと思っていること、でもどれだけ力をつければいいのかわからない、まだ自信がない、ということを話ました。そしたら意外な返答が帰ってきたんです。「君なら大丈夫。もう十分独立してやっていくだけの力はついていると思うよ。」と言ってもらえました。実際にフリーランスで活躍している人からそう言ってもらえたことは自分にとって非常に大きなことでした。その言葉がきっかけで独立を決意しました。
しばらくして撮影部の部長と相談をして、丁度入社して5年になる新年度を機に会社を離れることになりました。
そして2017年からフリーランスフォトグラファーとして活動していくことになります。

入社3年目の時にニューヨーク研修に行かせていただいた。「せっかくNYに行くのなら、現地の人を撮って作品にしたい」と思い、街行く人に声をかけては撮らせてもらった。この作品が後のライフワークとなるシリーズ「THE FACES」を作るきっかけとなった。

まとめ

ボロボロだった自分を拾ってくれて、いろんな経験をさせて頂いた会社には本当に感謝しています。もちろん、辛いことや苦しいことも沢山ありましたが、そういった経験があったお陰で今の自分があると思っています。色んなジャンルの写真を80~90点の写真でスピードを重視し、大量に撮っていく。これは他では経験できない、本当に特別なものでした。

SNSが強くなった今の時代、何でも撮れる人より、一つのジャンルに特化している人のほうが有利なことは理解しています。そういった人の方が起用されやすいのもわかります。そのことで悩み、ジャンルを絞ろうと試みたこともありましたが、私にはできませんでした。

やっぱり、色んなことに興味があり、色々撮っていきたいんです。それは逆に言えば、色んなジャンルの撮影に精通し、ちゃんとライティングが出来て、色んな撮影の知識があるからこそ、撮れるものもあるはずと考えています。なので「幅広く対応できる。幅広く撮れる。」ことを武器にしてフリーランスとして活動していくことになって行きます。

次回はシリーズ最終回、フリーランスになってからの話となります。お楽しみに。

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前島聡夫/空飛ぶ写真家
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